京都市長選挙に見る政局の問題点

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今月7日に京都市長選挙の投開票が行われた。京都市は共産党推薦候補が健闘できる数少ない地域であったはずだが、今回の選挙では惨敗してしまった。数々の悪法を通しつつも盤石の支持率を誇る安倍内閣とは異なり、どうもわれわれ左翼は大衆的な支持を得られていないようだ。その理由を考えてみる。

いわゆる安保法制や秘密保護法が表に出た時、テレビもネットも相当に盛り上がったものだ。しかし、本当に盛り上がっていたのは政治に関心を寄せる人々とメディアぐらいで、ほとんどの国民は全く気にかけていなかったというのが実際の所だろう。大半の人々にとって重要なのは日々の暮らしであり、それ以外の事に対するプライオリティは常に低く維持されている。もっとも、それらについての情報を彼らなりに各所で見聞して、一応の賛否を示す事ぐらいはしたかもしれない。だが、これらはあくまで雑談の範疇に留まり、政治的な影響力を持つには至らないのだ。

われわれ左翼の問題点は、こうした大衆の現状をほとんど無視している所にある。その点、右翼は人々の感情に素早く反応する。特定の民族に対するちょっとした偏見や微かな嫌悪を切り口に、自らの思想を巧みに伝播しているのだ。SEALDsやその諸派による活動はセンセーショナルな注目を集めたものの、身なりの良い若者が大言壮語や理想論を叫んでいるように捉えられる節もあり、本筋とは関係のない対立を生んでしまった。世代間対立などはその最たるもので、若者のする事は何でも鼻につく年頃の人達からすれば、あれはまさに格好の批判材料だったに違いない。おまけに、老人層はほぼイコールで保守層でもある。

とはいえ、彼らの活動は、ヘルメットにゲバ棒を持った旧世代的・暴力的左翼闘争のイメージから脱却を図るという点では有益でもあった。デモや政治活動に新鮮な印象を与えられれば、この国でもそれらがもっと活性化するかもしれないからだ。古参左翼はこれを「ルッキズム」などと呼んで批判するが、そもそも現代の政治活動、とりわけ素人による政治活動はほぼ完全にルッキズムそのものである。金も権力もない赤の他人の小難しい話など、顔でも良くなければとても聞いていられないのだ。今の時代、熱中できる話題は他にいくらでもある。

ゆえに、彼らの身なりや容姿が良い事は汚点ではなく、本当の問題は彼らのやり方なのだ。国会前に集結して大声を張り上げるという手法は注目を得る手段としては悪くないが、大衆を一瞬振り向かせる程度の影響力しか持てない。程よく注目を得たら、大勢で叫び続けるのではなく中心的人物による理論的な演説にシフトする方が適切であった。そしてこれを国会前だけではなく、あらゆる場所で散発的に行う方が良い。しかし、このような企画を計画的に行うには中央委員会的な組織が必要不可欠であり、上下構造の発生は避けられない。かなり厳しい言い方になるが「自然な連帯」などとヌルい事を言っているうちはどうにもならないのだ。

ここまで書いて話はようやく京都市長選挙に戻る。選挙期間中、SEALDsは本田久美子氏の応援を行っていたのだが、彼らの「応援」は国会前で行っていた内容とほとんど代わり映えしないものだった。本田久美子氏も自ら「憲法市長」と名乗り、護憲と安保法制反対を中心的なテーマとして扱っていた。この空気を読まぬ一辺倒さは初めに述べたわれわれ左翼の問題点を際立たせている。国政選挙ならまだしも、地方選挙においてそのようなテーマで戦うのは無謀でしかない。われわれ左翼に求められているのは労働環境の劇的な改善や持続的な賃上げといったものであるはずだ。国政でさえも解決が困難な問題を地方選挙で掲げて一体どうしようというのか。京都市民はたいへん冷ややかな視線を向けていた事だろう。

ところがSEALDsの若者達は皆、身なりがとても良い。お洒落に金をかける余裕もあり、多くは大学にも通っている。何より若く健康で、これから安定的な正社員になれる可能性が非常に高い。そのような身分の人達が労働問題に特別な関心を払わないのはむしろ当然と言える。これは日々、余裕なく働き続けている人々からすればたいへんむかつく話である。しかも、われわれ左翼はそういう人達にあまり優しくしてこなかった。派遣社員やフリーター、日雇いの人達にとって労働組合は無縁の存在でしかない。彼らからすれば政治活動などは貴族の遊びに映るのが実情で、仮に政治に興味を持つとしても、日本人というだけで自動的に承認と一体感が得られ、たとえ虚構だとしても優越感を与えてくれる右翼の側に靡いてしまうのは無理もない話に思える。

さしあたり、われわれ左翼の使命は非正規雇用の人々のために尽くす事だろう。これは地方選挙では特に重要であり、国政選挙でも優先事項として掲げるべきである。具体的には、最低賃金の値上げ、労働基準監督署の拡大と監視の強化、失業保険の全面的な義務化と拡充、そして正社員の解雇規制緩和が挙げられる。一番最後は正社員にとって不利な施策に見えるが、正社員がいつまでも解雇されないからこそ再就職が行いにくく、経営者がその現状を逆手に取って正社員に過労を強いているのではないか。正社員の方も再就職の難しさをよく理解しているからブラックだろうと追い出し部屋だろうと卑屈になって留まり続けているのだ。

このような停滞した現状を打破するには人材の出入りの機会を増やすしかない。解雇規制緩和はそのためには欠かせない施策である。失業保険の期間が今よりもずっと長くなれば、解雇された人々が安心して職探しをしたり、地道に新しい技術を身につける事も可能になるだろう。要するに、必死になって働くのはエリートだけで十分なのだ。彼らは好き好んでやっている。それ以外の人々は適当に働き、適当に休み、解雇されたら失業保険で食いつなぎながら他の仕事を探せば良い。これらは夢物語ではなく、一部の国では既に実現している事だ。

しかし、これを実現するには非常に長い道のりを要する。そもそも左翼政党というものは労働組合を支持基盤としている場合が多く、彼らは主に正社員の権利を守るために戦ってきたのだ。その戦いぶりはブラック企業が蔓延る現状を見るに健闘しているとは言い難いが、いずれにせよ正社員の首を切りやすくなる施策が労働組合に支持される事はあり得ないだろう。言い方は悪いが彼らは左翼を名乗りつつも、自分達が中間層に留まるために下の人々が圧迫される事を黙認しているのだ。この構造の罪深さをわれわれ左翼は認めなければならない。

今、日本で働いている人達に最も必要なものは時間である。暇ならば政治に興味を持つ事もできる。暇ならばソーシャルゲー厶などでは満足できなくなり、我が国でも本格的なゲームが復権する。この国は衣食住は足りているかもしれないが、圧倒的に時間が足りていないのだ。安保法制や秘密保護法を廃案に追い込むのも、大衆に時間的な余裕がなければ実現しない。

個人的には、このために左翼政党が安保法制や秘密保護法、憲法改正といった他の問題を一時的に無視してもやむを得ないと思っている。大衆が時間を取り戻せば、自ずとこれらの問題も解決に向かうからだ。