イスラエル建国70周年の陰で

輝かしい栄光とされる足跡に屍体が連なっている。数日前、イスラエルは建国70周年を迎えた。同時に、パレスチナ人にとっては屈辱と弾圧の象徴でもある。70年前の5月14日、イスラエルの建国によって多くのパレスチナ人が突然難民の立場に追いやられた。

その昔、パレスチナの地は3つの宗教徒が共存している安定した地域だったが、19世紀末にユダヤ教徒の間で勃興したパレスチナ帰還運動が全てを変えてしまった。ユダヤ教にとってエルサレムは宗教的聖地であり、民族のかつての故郷でもあった。

彼らにとっては大昔に略奪された聖地と故郷を取り戻すための正当な権利運動なのかもしれない。とはいえ、その時代から1000年以上も経過したパレスチナに住んでいる人々からすればまさに寝耳に水の出来事である。

当時、パレスチナを治めていたオスマン帝国はユダヤ教徒がそこに移住する事をとりたてて規制しなかったので徐々に入植者が増えていった。この状況に目をつけたのが他でもないイギリスである。というのも、この頃は第一次世界大戦中で、オスマン帝国とイギリスは敵対していたからだ。

イギリスはオスマン帝国を切り崩す策としてこの地域に住まうそれぞれの民族を懐柔し、帝国を打倒した暁には諸々の支援すると約束したが、その裏ではロシアやフランスと帝国領を分け合う協定を結んでいた。

こうしてアラブ人には独立、列強国には領土の割譲、ユダヤ人には居住地の建設容認と、それぞれ威勢よく空手形を切っていくものの、最終的には全て反故にした。この三枚舌外交が現在まで続くパレスチナ問題に繋がる。

ナチスドイツによるユダヤ人の迫害はパレスチナへの移住に拍車をかけた。結果、ユダヤ人の人口が増えて現地アラブ人との摩擦が起こり始める。国連の仲裁が失敗に終わると次第にパレスチナは内戦状態に突入していき、イスラエル建国宣言以降は幾度となく戦争を繰り返すようになった。

初期こそ拮抗していたものの、イスラエルはアメリカをはじめとする西洋列強の支援をもとにやがて強固な軍事力を得るに至った。4度の戦争を経て事実上の和平合意に至ったため、現在まで戦争は起きていないが双方の軋轢と憎悪が収まる様子は見られない。

そう言うとあたかもユダヤ人とパレスチナ人が拮抗して争っている印象を与えるかもしれない。しかし、現実には強力な軍事力と富を背景に弾圧を進める前者と貧しくろくな抵抗力を持たない後者という絶望的な格差が存在している。

トランプ大統領がアメリカ大使館をエルサレムに移転すると発表したのもイスラエルへの支持表明にほかならない。つまりトランプ政権はエルサレムをユダヤ教徒の聖地として見なしているのだ。

これはキリスト教徒やイスラム教徒にとっても同様に聖地だという信仰を蔑ろにしているだけではなく、エルサレムの中立性を定めた国連のパレスチナ分割決議にも反している。アメリカがイスラエルに肩入れしている事は明らかだ。

14日、ガザ地区とイスラエルの国境沿いで行われた移転への抗議集会に向かって、イスラエル軍は容赦なく夥しい銃弾を浴びせた。アメリカの支援で得た銃列がイスラエルの手によって放たれ、パレスチナ人を蹂躙しているのだ。

死傷者は2000人以上にも及んだ。言うまでもなく虐殺にほかならない。国連人権理事会は緊急会合を開き調査団の派遣を決議するも、日本はアメリカの意向を窺い棄権した。決議そのものは賛成多数で採択されたとはいえ、あまりにも情けない話だ。

ユダヤ人の歴史は度重なる迫害の歴史でもあった。故郷のない彼らはどこに行っても外様の扱いを受け、不当に蔑まれてきた。彼らは民族としてその過酷さを理解しているはずである。それにも関わらず、どうして同じように他の民族を傷つけられるのだろうか。

激しい差別と迫害を経験してきた彼らが、いまや我が物顔で領土を占有してパレスチナ人を殺戮している。彼らは果たして本当にそこまで残虐にならなければいけなかったのか。あるいはむしろ、理不尽に味わわされてきた仕打ちがかえってイスラエルを冷酷な性格に形どってしまったのだろうか。

イスラエルを取り巻く中東情勢にはある種の寓話性を感じずにはいられない。不謹慎ながらもそう思う。そこには人類が培ってきた負の遺産ー差別、迫害、弾圧、暴力、貧困、格差、憎悪がおそるべき濃度で浸漬している。