映画「万引き家族」が叩かれている

一見、反道徳的に見えるものの中に本質的な良心や善性が宿る事がある。第71回カンヌ国際映画祭で是枝裕和監督の映画「万引き家族」が最高賞を受賞した。日本人の受賞者は21年ぶりで、これまでわずか3人しかいなかったそうだ。

もっぱらエンターテイメント寄りの作品ばかり観る僕には疎いジャンルだが、確かにこの映画のあらすじにはかなりの興味を惹かれた。なんでも既に死んだ親の年金の不正受給と万引きを糧に生活する家族の話らしい。

家族は作中で迷子の子供を拾って育てようとするも、それがきっかけで様々な問題が表面化していく。つまり登場人物は無垢な善人でもなければ徹底した悪人でもなく、英雄でもなければ清貧でもない。

この物語はおそらく貧困や格差、普遍的な道徳や家族愛をテーマにしているのだろう。率直に言って面白そうだ。邦画を映画館で観る事は今やまったくなくなったが、この作品は観るかもしれない。

報道などで知る表面的な犯人像では彼らの抱える心境や葛藤について理解する事は難しい。しばしば彼らの凶悪性や加害性にばかり焦点が当てられ、あたかも犯罪者を社会から隔離すれば解決するかのような印象を視聴者に与えている。

ところが現実にはそれぞれの環境や生い立ちに見過ごせない要因があり、様々な状況や時としては偶然もが重なり合って犯罪は起きる。それ自体には誰もが真っ向からは否定しないのに、実際に厳罰主義的な発想が衰退する様子は一向に見られない。

そこには嫉妬に近い負の感情がうずまいている。日頃から抑圧に耐えて慎ましく暮らす人からすれば、悪事に走る人間がことさら楽をして生きているように感じる事がある。現代ではきっと多くの人が自分こそ辛い、自分こそ救われたいと思いながら生きている。

咎めを受けなければならないはずの犯罪者を擁護したり斟酌しようとする言動は、そういう状況に追い込まれている人達にとってはそれだけで自身が蔑ろにされたように思えるのかもしれない。

現在、Twitterなどでこの作品についてエゴサーチをすると、そのような趣旨の批判や中傷が散見される。中には日本の印象が悪くなるからこのような作品を世界的に発表するのは反日的だとの批判も見受けられる。

つまり彼らの中には無垢で純粋な道徳と秩序に満たされた日本と、それを律儀に維持する日本人という一方的で都合の良いセルフイメージがあり、それを壊すようなメッセージやテーマはたとえ創作であっても受け入れられないのだ。

もちろん彼らのセルフイメージと現実は大きく異なっている。この国の良好な治安は強大な警察権力と抑圧的な社会風潮とのトレードオフでなんとか成立しているに過ぎない。この国の犯罪率は確かに低いものの、一方で再犯率はかなり高い。これは一度道を踏み外した者を社会が受け入れておらず、再び犯罪の道に走らせている事の証ではないだろうか。

他方、道を踏み外しながらも犯罪に走らなかった者は死に追い込まれている。この国の年間の自殺者数はアメリカの銃撃による死亡者数とほぼ同じである。日本は決して道徳的な国とは言えない。単に臭いものに蓋をしてごまかす事に長けていただけに他ならない。

もっとも、上に挙げたようなセルフイメージを頑なに手放さない人達にも、確かに日本でも何か悪い事が起こっているという認識自体はあるようだ。しかし、その場合は彼らの中にある「日本人」の枠から外れた外国人やマイノリティが、それを引き起こす元凶としてしばしば槍玉に挙げられる。

自分や自国の善性を疑わない考え方がその枠から外れた人達を迫害する武器に変化しているのだ。その武器でもって、いま「万引き家族」は日本の印象を貶める反日作品として不当に叩かれている。

通常、自身が属するコミュニティや組織に対する批判や風刺は自浄能力の証としてむしろ前向きに受け取られる表現のはずだが、善悪観が極度に単純化されていると一種の自虐のようにしか捉えられないのかもしれない。

敢えて繰り返し言おう。一見、反道徳的に見えるものの中に本質的な良心や善性が宿る事がある。どんな物事も多面的に見なければ真に理解を得る機会を失ってしまう。それが人間の精神性の部分においてどれほどの損失をもたらすかぜひ考えてほしい。