日大タックルから和の精神が迸る

古来から日本には数々の伝統芸能が受け継がれてきたが、その中でも日大タックル問題はとりわけ和の精神が色濃く表れていると言える。この件が多くの耳目を集めている理由は単に危険なタックルをしたからではない。

最初の報道を聞いた時は、危険というもののアメフトとはそういう側面もある競技ではないか、などと恥ずかしながらも的外れな感想を持った。しかし、実際に映像を観てすぐに意見が変わった。そのさまはスポーツの枠を軽々と飛び越えてもはや暴力の域であった。

加害者の選手はそれを複数回も繰り返した末に退場させられたのだが、仮に監督がこの事に問題意識を持っていたのであれば初回の時点で彼に注意を与えていなければおかしい。当然、問題の本質は選手個人の行動ではなく監督の指導力不足にあったのではないかという話に移る。

ところが事態はそれよりもさらに酷薄な色を帯びたものだった。タックルそのものが監督みずからの指示によるものだと言うのだ。それだけではなく試合に出る権利と引き換えに強要されていたのだ。このようなモラルに欠けた話が現代のスポーツであり得るだろうか。あり得たのである。

周囲の証言によれば強豪校である関西学院大学のクォーターバック、即ちアメフトにおいて司令塔的な役割を持つ主力選手の身体をここで物理的に壊しておけば、後々有利になると監督らが話していたと言う。あたかもグラウンドや室内ではなく戦場での会話を彷彿させる。

もともと監督に疎まれていてスターティングメンバーから外されていた加害者の選手はその計画を実行させる鉄砲玉として最適だったのだろう。思えばこの時点で監督やコーチは彼に責任を押し付ける腹積もりだったのかもしれない。

問題が露呈するやいなや監督やコーチ、そして日本大学は我が国の伝統芸能、和の精神を存分に発揮した。表面上こそ謝っているが、とどのつまり自分たちの非は誤解を招いた事であって指示はしていない。悪いのは実行犯の選手で自分たちは大して悪くない。だけど仕方がないから一応謝っておいてやる…このような対応に終始した。

他の選手によれば監督は責任をとるから安心してタックルをするよう話していたとの事だ。こういうお偉方の姿は昔から絶えない。何かをさせる時にはさも立派に威勢良く振る舞うが、実際に何かが起こると途端に全力で責任回避を図ろうとする。気づけば末端の人間に全ての責任が負わされているのだ。

少なくとも選手が独断でわざわざキャリアを台無しにするようなラフプレーを行うメリットはまったくない。逆に退場処分がくだされるまで黙認し続けた時点で監督が何も関与もしていなかったと考える方が難しいだろう。

それでも日本大学が監督を擁護するようなコメントを繰り返している理由は、彼が単なるスポーツ監督ではなく日本大学の常務理事として絶大な力を持っているからにほかならない。いつでも富と権力はそれを持つ者たちを守り通してくれる。

こうした出来事は何もアメフトに限った話ではない。日本中のありとあらゆる場所で日々起こっている。学校でも、職場でも、そして政治の世界でもまさに現在進行形で起こっている。つまり誰しも今回の件は他人事ではなく、それゆえに注目を集めているのだ。

先日、加害者の選手はこの件に対応するために顔と実名を公表して記者会見を開いた。彼は逃げも隠れもせずに当事者、加害者としての責任をまっとうしたのである。逃げ口上に徹してどこかに雲隠れしている監督やコーチとは雲泥の差だ。

聞けば彼らは危険なタックルをさせるために選手を意図的に誘導したと言う。コーチは彼に「タックルをするから試合に出させて下さい」と監督に頼みにいくよう指示したというのだ。これはまさしく和の精神の極地を体現している。

敢えて当人から頼み込まれたという形をとれば、強制ではなく志願だったと言い逃れする事がよりたやすくなる。かつての神風特攻隊や従軍慰安婦も表向きは志願制だった。何かを交換条件にさせられているせいで結局は志願するほかないように予め仕組まれているのだ。

インターネット上では断れなかった時点で自己責任だとの声も少数だが聞こえる。部分的には確かにそうかもしれない。しかし、そもそもこの国の教育は主体的な判断というものを僕たちに一度でも正しく教えてくれただろうか。

日本の義務教育ではほぼ例外なく集合させられ、整列させられ、隊列を組まされ、行進させられる。班単位で固まって何らかの活動を行う。適性や好悪に関わらず順繰りで仕事が割り振られ、しばしば非効率な形で解決を要求される。僕はこれとよく似た組織を知っている。昔の軍隊だ。

このような環境には主体的な判断力を育めるかと敢えて問うほどの余地さえない。ところが成人したり社会に出るといきなりそれらが求められるようになっていき、その時点で主体性を得ていなければ都合良く利用されてしまう。その点で言えば加害者の選手は同時に被害者でもあるのだ。

監督、コーチ、日本大学。彼らが発する言葉の端々や態度、それらの様子から吐き気をもよおすほどの和の精神を感じる。そのどす黒く迸る輝きは富や権力を持たない人々にただ抑圧のみを与え、何も恩恵はもたらさない。