スクリプトを殺し続ける日々

僕たちゲーマーはいつになっても性懲り無くスクリプトを殺し続けている。飽きもせずに。光り輝く剣を手に入れて数字を積み増しするためにひたすらそれを繰り返す。紫色や金色で彩られた名前を吐き出してくれる敵はいつでもそこにいた。

今日、各所で話題沸騰中のMORPG「Dauntless」のオープンベータが開始されたが、この日記を執筆している時点ではまだログインできない。あまりにも参加者が多すぎてサーバに入れないからだ。

映像を観る限りではモンスターハンターのようなゲームだが、今から売り出す以上は何らかの工夫や演出が凝らされているのだろう。もちろん楽しみにしている。しているが、それでもこの手のジャンルに通底したある種の白けた感情を拭いきれないでいる。

ハクスラ要素や生産要素を持ったオンラインゲームは昔からたくさんあった。長年あらゆるゲームを遊び続けてきた僕たちはそれらの大半か、少なくともそのいくつかをプレイしてきたはずだ。

敵を殺す、レベルを上げる、スキルを伸ばす、敵を殺す、装備を拾う、敵を殺す、装備を作る、敵を殺す…もうちょっと気の利いたゲームはさらに高難易度なダンジョンを用意してくれるが、それでも基本的には繰り返しが前提になる。

攻略情報やその共有方法が発達した現在ではかなりの高難易度でさえちょっとした工夫で何とかなるようになってしまう。むしろそれで何とかならないゲームは理不尽なだけに思えてくる。この両極端な現象の原因は殺すべき敵がスクリプトで動いているという問題に集約される。

規則的なルールで動いている以上は必ずどこかに突破できる弱点が備わっていて、その具合をどれぐらいシビアに設定するかで難易度が決定されている。ゆえに締め過ぎれば大縄跳びのように一つのミスも許されない強迫的なものになり、緩め過ぎれば単純でつまらないものになる。

それを上手く調整できたゲームこそ良い作品と評されるが、それでもスクリプトには変わりない。初回こそ感動するものの周回するたびにその感動は薄れ、結局はルーチンになっていく。けばけばしい装飾の装備と僅かでも大きい数字で周囲を威圧するために、ひたすら周知された弱点を突き続ける日々だ。

このように考えるとどんなに魅力的に見える作品も途端にその色彩を失ってしまう。結局はスクリプトを殺し続けるだけではないのか。ストーリーを第一に作られたシングルゲームはスクリプトを殺すにしてもそこに確かな文脈が用意されているが、オンラインゲームにはしばしばとってつけたようなそれしかない。

メインストーリーが一段落つけば、やがて文脈そのものが派手なネームプレートで示されたスクリプトはそれ何体でアイテムいくつぶんかという即物的な認識にとってかわる。これはあまりにも空虚でやるせない。あたかも時給から月の給料を計算しているかのようだ。

せめて敵のプログラムに柔軟な自由意志が備わればたとえ周回するにしても段違いの体験を得られると思うが、それを持った敵を殺し続けるという文脈は僕たちが抱えるにはまだ重すぎる。