やすりで窓を拭くな

芸術家と呼ばれている人たちの逸脱は大目に見られやすい。違法薬物の助けを借りて作曲を試みる音楽家は決して珍しくなく、過去には軍隊を扇動して革命を起こそうとする作家もいた。法的な免責までもは得られないが、少なくとも世論や雰囲気の中においてならそれを勝ち得ていると言える。

これは逸脱そのものが彼らの芸術性に寄与しているとの認識によるものだ。ゆえに彼らの犯罪行為や奇特な言動が必ずしも名声を汚すとは限らず、むしろ精神の昇華に繋がりうると考える向きから賛意を寄せられる事さえもある。

事実、まったく話を聞いてもらえず嘲笑されながら自害する最期を晒しても、なお「金閣寺」の気迫や繊細さは微塵も色褪せなかった。表現や芸術は本人の思想や精神から出力されるものだけれども、それ自体への評価は独立しているのだ。

ところがこの認識は随分昔から一般的ではない。彼らが不祥事を起こせば出版社やレコード会社は平然と取り扱いを中止するからだ。芸術性の権威が許す逸脱の特権は次第に薄れていき、天上人が地上に引きずり出されはじめている。

最近ではSpotifyもその隊列に加わった。悪人が表舞台に立つ事は許されないという市民感情と、クレームを恐れた企業の判断が加速度的に芸術家の専横を抑制しつつある。どんな人間も道徳的であれ、と。表面的には悪い話ではない。彼らの自制心もおのずと高まり、結果として迷惑をかけられる人も減る。

しかし、それでもこの風潮は未来に対して悪しき前例を作ってしまったように思う。将来的に判定基準が広がっていけば、数多くの芸術作品が流通路を絶たれるおそれは否めない。悪事や犯罪を肯定しない極めて倫理的な社会が芸術の歴史を毀損しうる未来を生んでしまった。

もちろん被害者にとって彼らが脚光を浴びるさまは大層受け入れがたいだろう。いくらでも金銭を受領すればいい。謝罪をさせ、法律にもとづいて償わせればいい。どうか作品を殺しにかかる事だけは勘弁してほしいものだ。