残虐で道徳的なデッドプール2

初めてデッドプールの予告編を観た時、アメコミにあまり詳しくなかった事もあって「どこの馬の骨ともわからん赤マスクが出てきた」と思った。ところが再生して間もなく既存のヒーロー映画との違いに気づく。あまりにも残虐だったからだ。

かつて、年齢制限がかかるようなヒーロー映画は客入りが悪くなるから作られないなどと決めつけられていたが、今ではそれがまったくの間違いだと誰もが知っている。デッドプールは大人向けヒーロー映画を刷新した。

彼は敵を茶化しながら容赦なく殺しまくり、あたりに臓器や脳漿を撒き散らす。激しい痛手を負うのは自身も例外ではない。まさしく血と硝煙と笑いに包まれた映画だった。そんなデッドプールが支持を得た理由は残虐性だけではなく、そこに多様な感情と道徳性を混ぜ込んだところにある。

一見、復讐に狂う不死身のダークヒーローが悪党を成敗していく映画だが、その実そこには深いユーモアと愛情が秘められていた。特に記念日ごとに変わった性交渉をするシーンは個人的に気に入っていて、彼とヴァネッサの相思相愛ぶりがよく伝わってくるように思う。

それらの断片の結晶が、最終的に純愛映画顔負けのラブシーンをよびこんで物語を着地させた。彼は完璧なヒーローではないが、少なくとも彼女のヒーローにはなれたのである。その後は不器用ながらも正義のヒーローを目指していくようになる。

今作ではそんなヴァネッサが映画の序盤にあっけなく死を迎えてしまう。デッドプールはすぐさま犯人を追い詰めてトラックで轢き殺させるものの、依然として心の溝は埋まらなかった。自殺しようにも死にきれない不死身の肉体が重荷としてのしかかる。

そこから物語は、虐待を繰り返す養護施設を憎むミュータントの少年ラッセルと、未来で極悪人になる彼を殺すためにタイムスリップしてきたサイボーグ兵士のケーブル、X-MENやその他の面々を加えて大きく躍動する。

一匹狼のデッドプールが手強い敵を倒すために、チームを結成してまで奮闘するさまは彼の心境の変化を予期させた。やがて彼は私利私欲ではなく他の目的のために仲間と共闘するようになっていき、敵味方の境界を越えうる道を見出すに至る。

今作の登場人物は不完全さが際立っている。正義感や目的意識に欠けるわけではないがどこか空回りしていたり上手く機能しない。それでも次第にその不協和音が徐々に調律されはじめ、おのずとお互いを家族と呼び合うにふさわしい調和を奏でるようになる。

デッドプール2は残虐で道徳的なファミリー映画だった。彼は児童虐待と差別を決して許さない。そしてケーブル役のジョシュ・ブローリンはあまりにも格好良すぎた。