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昨日、インターネット上の友人らとの会話で人間関係の不和が話題にあがった。そのうちの一人曰く大学の学友に幼稚な振る舞いをする人たちが多く、付き合いがたいとの話だった。なんでも未成年の身分で飲酒行為を婉曲的に称揚したり、単純に雑談の中で品性に欠ける様子がたびたび見られたらしい。

僕はその会話にはあまり積極的には加わらずほとんど黙って聞いていた。成人にも満たない子供のする事にいちいち注文などつける気にはならない。学生時代の知人に大麻を栽培して捕まった人がいるが、あれでさえ大して驚きはしなかった。少々の飲酒や猥談で済むのならまさしく児戯に等しい。

それ以降も各々の人間関係にまつわる会話が交わされ、最終的に自身に害をもたらすかもしれない人間とは極力付き合うべきではないとの結論に達した。確かに常識的な見解だ。合理性や利益を考えたら至極まっとうな意見に感じられる。… 続きを読む

ゴア表現今昔

ゴア表現の精細性は視覚文化の発達に伴ってますます進歩している。激しく殴打されれば身体が歪み、刺されれば夥しく流血する。人々はたとえ現実で体験した事がなくてもそこに現実感を見出してきた。たとえ仮想の出来事であっても。

自らが介入して自在に刺激を加えられる視覚文化ーすなわちゲームが登場して以来、この「現実感」はさらに重要性を帯びはじめた。当初は数色のドッドで構成された敵が光って消える程度の演出に過ぎなかったが、点や線の集合がやがて具体的なモチーフを形どるまでにそう時間はかからなかった。

90年代に入るとゴア表現はいよいよある核心に到達する。立体的なフィールドを歩き回って写実的な銃でもって人を殺せるようになったのだ。これまでは想像力を働かせなければとても人間や銃に見えなかったグラフィックが、この頃にははっきりとそう認識できる水準に達していた。… 続きを読む

戦前前世

歌や音楽で組織の一体感を図る試みは、なにも近代に始まったわけではない。僕たち人類の祖先があなぐらで暮らす時代から既に実践されていた。それは儀式の一環としてではあったが、組織力を維持するために決して欠かせない行事だった。

時代が進むと次第に愛情や悲哀など他の感情も取り入れられるようになり、共通認識を得るための行事から芸術性を伴った娯楽文化に昇華していく。人々は若葉の生え際に無垢な精神を見出し、秋の紅葉を拾って熟れた恋心を連想するに至る。

戦場ではどの国でも太鼓や笛で勇ましい律動と音を響かせ、戦士たちの意欲を高揚させる。不幸にも友が死した時は荘厳な節奏とともに悲しみに浸る。どんな時でも音楽は僕たちの感情に染み入り、震わせ、なんらかの感情を引き出してきた。… 続きを読む

原始の平等に学べ

今日、呆けながらテレビを眺めているとNHKで「人類誕生」と銘打たれた特番が放映されている事に気づいた。これが存外に優れた出来栄えで思わず見入ってしまった。NHKの作る映像にはなんとなく垢抜けない印象があったのだが、今やそうでもないらしい。

僕たちの祖先は極めて原始的だったあの時点で、怪我人を介護したり死者を尊ぶ感情を備えていたという。それらは決して精神的余裕がもたらしたものではなく、むしろホモ・サピエンスはしばらくの間ずっと弱々しい種族だった。弱いからこそ群れる必要に迫られ、そのためには弱りきった者をも保護しなければならなかったのだ。

つまり、動物的な弱肉強食の掟から脱却する事こそが人類の生存戦略であった。弱さを社会性と技術力で克服した結実として今日の社会がある。技術力は個人の能力に依存しない効率的な集団を形成し、社会性は窮地に陥った人々を救済してきた。けれども近年の社会はそんな人類の叡智を捨て去ろうとしている。… 続きを読む

糖衣に包まれた毒薬

いわゆる「ネット右翼」が爆発的に増加したのは2002年頃の事だった。日韓ワールドカップでの一部の選手や観客の振る舞いを発端に、韓国人への蔑視感情や偏見がインターネット上で高まりだした。もっと遡ればパソコン通信の時代にもその手の集団は確認されていたが、公に広く認知されうる規模まで拡大したのはこの頃だ。

それ以来、2ちゃんねるのハングル板を中心として嫌韓思想は爆発的に伝播していった。10年以上経過したいま、そこから巣立っていったネット右翼の先達たちがあらゆる場所や業界で嫌韓を拡散させている。彼らは言論空間に強く根を張った。

僕には気に食わない漫画作品がある。その漫画…「テコンダー朴」は2007年頃に連載が開始された時はまだ無名だったが、ここ数年でネット上のミームとしてにわかに注目を浴びている。僕はこの作品を以前からよく知っていた。… 続きを読む