2024/07/10

星新一をくれたお巡りさん

2003年のある夏の日。僕はいつものように本を読みながら下校していた。人も建物もまばらな田舎町の通学路は足が覚えている通りに歩き続けるだけで家に着く。時折、足の裏に意識の一欠片を分け与えると、じきに靴底が土くれを踏んでいる感触を伝えてだいたいどの辺りを歩いているかが分かる。道中に道路が未舗装の区間があるため、そこまで来れば半分は歩いたことになる。

たとえ東北の寒村であっても夏は蒸し暑い。6時間授業を終えた後でも、未だ空高く昇りつめた太陽がじりじりと首筋を焼き焦がして汗腺を刺激する。してみると、これはずいぶん不公平な話に思える。日本中どこもかしこも暑いのだから東京の子たちと同じく夏休みも8月31日まで続いてたっていいではないか。だが、事前に配られた冊子は今年も例年通り僕たちの夏休みが遅く始まり、より早く終わる過酷な事実を容赦なく告げてきた。

かといってそのぶん冬休みが東京の夏休み並に長くなるわけでもない。冬は冬で窓という窓が積雪に覆われていようとも、屋根の雪かきに駆り出されようとも断じて長い休みにはならない。良いところがあるとしたら自転車で行ける距離に小学生無料の市営スケートリンクがあること、そして僕は自分のスケート靴を持っているのでレンタル料金がかからないことぐらいだ。

その時、額から垂れた汗がぽつり、と紙面に落ちた。自分の顔で影ができた薄暗い紙の上に、さらに階調の濃い灰色の点描がぽつ、ぽつと穿たれる。いけない、これは図書館で借りた本だ。汚したら怒られる。半袖のほとんどない袖を無理に引っ張って額の汗を拭く。遠い冬の氷上を想像しても夏の暑さはごまかせない。

こんな田舎の通学路にもいくつか自販機があるとはいえ、一円もお金を持たない身分の僕には読めない文字で書かれた石板よりも価値がない。制服を着た中学生か高校生の子たちが得意げに小銭をじゃらじゃら言わせながら、いかにも甘くて美味しそうな冷えたジュースで喉を潤している様子を素直に羨ましいと思っていたのも昔の話だ。今や自販機も、中高生の子たちも、申しわけばかりの建物も、すべてが平坦な一枚板の背景に溶け込んでいる。

だから僕は、歩きながら本を読んでいる。どうせ手に入らないのなら作り話の方がよほど面白い。僕にとっては百円玉も、まだ見ぬ異国のポンド硬貨も、現実には存在しないシックル銀貨も、面白いか面白くないかの差しかない。シックル銀貨はポンド硬貨より面白く、ポンド硬貨は百円玉よりはたぶん面白い。

後で知った話だが、僕は自慢するにはだいぶ物足りない理由で町の有名人だった。華奢な身体の肩から顔まで覆い尽くす巨大な本を読みながら登下校する子がいれば、それは当然、通学路に点在するあらゆる家々の人たちに記憶される定めであり、僕は彼ら彼女らから「本読みの子」と密かに呼ばれていた。

ただでさえ乏しい日数の前半がラジオ体操により消耗される徒労感を思い出した夏休み初日、前触れなく警察官が家を訪れたのはそういう伝言ゲームの結果だったのだろうと思われる。がっしりした体格の「おじさん」か「お兄さん」かでいえば辛うじて後者に属する風体のお巡りさんは、一向に姿を現さない父親を諦めてこう言った。「うん、君に聞いた方が早そうだ。少しいいかな」

藍色に身を包んだ公僕の姿をまじまじと見つめる。目線の高さに映る腰周りには警棒と拳銃。拳銃は硬い紐で繋がっていてハサミでは切れない。内部には5発の銃弾が装填されている。でも、本当に撃ったら怒られる。僕が読んだ本にはそう書いてあった。お巡りさんは自らしゃがんで僕と顔を合わせた。経験則から僕の中ではそういう仕草をする大人は良い人だということになっている。

「ダイエーの手前の道路、わかる? 君の学校の通学路なんだが」

首を縦に振る。ダイエーは我が町を代表するスーパーマーケットで、地上階にはマクドナルドがある。3階にはささやかながらなんとゲームセンターも備えている。普段は他と同じく一枚板の背景の奥に追いやられているが、珍しく300円のお小遣いを握らせてもらった日にはあたかもダイエーが七色に光り輝き、燦然とした存在感を視界いっぱいに放っていたのを覚えている。

「実は事故があってね、いや、大した事故じゃないよ。ぶんぶんが――車が、交差点で衝突――ぶつかっただけだ」

お巡りさんは小学生の国語力を測りかねている様子だった。幼児に対して使うような言葉を喋ったかと思えば改め、逆にやや難しい単語を使った後に訂正を繰り返したりした。少々居心地の悪さを感じた僕は、自分にとってちょうどよい語句が用いられた時に返事をすることで誘導を試みた。すると、次第にお巡りさんの言葉遣いは読書家の小学生に適した内容へと修正された。

お巡りさんが語るには、ちょっとした交通事故が起こったらしい。双方ともに怪我はなく特に大事ではない。しかし車体はそれなりに損傷したため大金を払って修理しなければならない。そこで互いの過失割合が問題となる。先ほど紹介した通りここは田舎町、検証の助けになる気の利いた防犯カメラはなく、ドライブレコーダーは普及以前の時代である。

「――それで、もう片方の人が言ったんだ。いつも本を読みながら道を歩いている子がいる、その子が全部見たはずだってね」

続けてお巡りさんは柔らかく笑った。「君、”本読みの子”って呼ばれているんだってね。近所の人に聞いて回ったらすぐに分かったよ」当時、僕は相当に意表を突かれた気持ちになった。今まで一枚板の背景と思い込んでいたものが、にわかに実体と人格を伴って挨拶を交わしてきたかのような感覚に襲われた。

結論から言うと、僕はろくに答えられなかった。これは奇想天外なミステリーの冒頭ではない。僕はただひたすらもじもじするばかりで――ここには名探偵もいなければ明晰な頭脳を持った天才少年もいない。ランドセルにたくさん本を入れたくて、やむをえず教科書を忘れたふりをするどちらかといえば鈍感な気質の小学生がいるだけだ。隣の子が「そんなに忘れるなら朝、一緒に学校行こっか」と誘ってくれた真意にも終始気づかなかった。

もっとも、事故については抗弁の余地がある。だって、本を読んでいるのだからまさしく背景と化した道路の上の話なんて知るよしもない。車同士がぶつかったからにはそこそこ大きな音もしただろうけど、僕は僕で物語の効果音を頭いっぱいに響かせるのに忙しかった。などと、情感たっぷりに言い訳の一つでも繰り出せたら、あるいは聡明さらしきなにかをほのめかせたかもしれない。

だが、僕ときたら細い喉元から「よく分からないです」と絞り出したきり早々に力尽きてしまった。僕の能力の限界を悟ってか、もともと小学生の証言などさほどあてにしていなかったのか、お巡りさんは僕の目線の高さで微笑んで「そうか、じゃあ仕方がないな。邪魔して悪かったね」と言い残して帰っていった。

ドアの向こうで自転車を漕ぐ音が徐々に遠のいていくと、さっきまで部屋の奥で息を潜めていた父親がぬっと顔を出した。「帰ったか」「うん」「余計なこと言ってねえだろな」「うん」簡素な返答に納得したのか父はまた引っ込んだ。寝室の衣装入れでUVライトを照らして大麻を栽培している父にとってお巡りさんは大の天敵なのだ。

ところが夏休みの半ば、ラジオ体操の義務から解放された頃に再びお巡りさんがやってきた。今度は自転車ではなくパトカーが家の前に停まったので父の慌てぶりは臨界点に達した。顔面に殴打を食らう前に「なにも言ってないよ」と弁明したものの、それすらも耳に入っていない始末だった。例によって玄関のドアを開けると、お巡りさんは両手に大きい包みを抱えながら入ってきた。

「お父さんはご在宅かな」
「えっと、うーん、仕事中です」
「そうか、じゃあ後でお父さんにも伝えておいてくれるか。これは公務じゃないからね、簡単に」

お巡りさんが包みを解くと、たくさんの文庫本が列をなして現れた。5、10、15……一目ではとても数えきれない。背表紙には色々な表題が記されていたが、著者はどれも同じ名前で「星新一」と記されている。今も昔もよく知られた日本SFの大家だ。

「この間はいきなり押しかけて悪かったね。ずっとお礼をしなきゃならんなと思ってたんだ。君、本が好きなんだろう。これは実家にあったやつなんだが、子どもでも読めると聞いてね。まあ、俺は本を読まないから……もし良かったら代わりに読んでくれないか」

またとない提案にはっと息を呑んだ。要するに目の前のたくさんの本が今この瞬間、うんと頷くだけで全部僕のものになるのだ。おずおずと控えめに、しかし意図ははっきり伝わるように僕は何度も首を上下に振った。礼を欠いているにもほどがある振る舞いだが、それでもお巡りさんは優しく僕の頭を撫でた。「そうか、そうか。持ってきてよかった。それにしても歩きながら本を読むなんてまるで二宮金次郎みたいだな」

かつて二宮金次郎の銅像が全国各地の小学校に建てられていた。薪を背負って働きながらでも読書に勤しむ勤勉さを手本とする意味合いが込められていたそうだが、昨今では読書と歩行を兼ねる危険性が槍玉に挙げられたのかあまり良い話を聞かない。きっと時代があと10年ずれていたら僕も糾弾されていたに違いない。結局、僕は最後までもじもじしていたが、お巡りさんはなにもかも善意解釈したまま満足げに立ち去った。

まもなく大量の本を手に入れた喜びが実感として胸中に押し寄せた。海はなくとも空想の大波が僕の心臓を捕まえてぐるぐるとかき回した。さっそく玄関前に並んだ本の束を手にとり、自室との間を何往復もしながらダンボール製の本棚を満たしていると、寝室から汗まみれの父が姿を現した。「なんだそれは」「お巡りさんがくれた」「なんでだ」「お礼だって」「はあ?」

父は仁王立ちで怪訝そうに睨んでいたが、家の前のパトカーが遠ざかる音を聞くやいなや「ふん」と鼻を鳴らした。それでいて明らかに気が緩んだ態度で口元を折り曲げた。「税金で食ってる連中は気楽なもんだな」そう言う父は祖父の財産を食いつぶして暮らしていた。

その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎても止めどなく読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、代わりに僕の世界はますます奥行きを増して厚みを帯びた。

やがて、心の中に強固なマイ国家が築かれた。何人にも決して侵されない脳裏にはにぎやかな部屋が作られ、そこには時に暗く明るいひとにぎりの未来が広がっていた。ところで、この日記には重大な嘘が含まれている。一つだけとはかぎらないし、最初から最後までまるきり嘘という顛末も大いにありえる。

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