2024/04/21

戦略級魔法少女合同寄稿作品「たとえ光が見えなくても」第一話先行公開

 今でも思い出に残っているのは、指先に残るわら半紙の感触。言われるままにピンと立てた人差し指を滑らせると、横にいるお父さんが耳元に語りかけてくれる。「そうら、そこがゲオルゲン通りだ。そこを右に曲がると――」私は言葉を遮って大声で答えた。 「レオポルト通りね!おしゃれなお店がいっぱいあるの」 「そうだ、いつかお前もそこで立派なドレスを買ってもらえるようになる」 耳の奥底からあまりにも聞き慣れすぎた高周波音が徐々に近づいているが、まだ私は喋っている。 「でも、私が着たってしょうがないわ。どうせ分からないもの」 「そんなことはないよ。立派なお洋服は着るだけで分かるんだ」 記憶の中の私はいっそう声を張り上げる。 「じゃあ、今、欲しい」 「今は……難しいかな。そういうお店はどこも閉まっている」 「どうして?」 「……みんな、他のことで忙しいんだ。さあ、指がお留守だぞ」 私の指先がぐんぐんと先に進み、ルートヴィヒ通りを過ぎる頃には高周波音は耳を覆い尽くさんばかりだった。 「ずっとだ、そう、ずっと、さあ、広場に着いたぞ。どこだか分かるかな?」 思わず、私は轟音に負けないように大声で叫んでいた。 「マリエン広場!私と同じ名前の――」 <ねえ、マリエン、どうしたの> 「あっ……ごめんなさい。ちょっと、夢を見ていたみたい」 <こんなひどい状況で居眠りなんて、よほど自信があると見ていいのかしら> リザちゃんのつっけんどんな声が束の間、私の頭蓋を満たす。 「別に、そういうわけじゃあ――」 <敵、もう、来るわ。また命があったら会いましょう> ぶつ、と両耳を覆うカチューシャみたいな形のインカムがノイズを発して、それきり音が途絶えた。途端に、意識の外に追いやられていた高周波音が舞い戻り、左右に散らばった。漆黒の視界の中に仮初の点描がぽつぽつと描かれはじめる。私は音でものを見る。見たところ、一〇〇機以上はいる。 相手はまだ私には気づいていない。気づくはずもない。 空中にぽつんと単機で佇む魔法能力行使者の姿は目視ではそう簡単に捉えられない。 いつもの調子で右腕から手の先に流れる波動のイメージを思い描く。すると、迸る魔法の奔流が肩口から腕を伝い、手のひらに集まる感覚が宿った。うわんうわんと唸りをあげて急接近する群体に腕を伸ばして孤を描くように光線を放出する。 掛け声はなるべく忘れてはならない。言うか言わないかで威力が気持ち違う。 「びーっ!」 きっと、壮大な景色なのだろう。さっきまでの高周波音がたちまち爆発音に取って代わって私の耳元を彩った。闇に包まれた景色の向こう側に、めくるめく幻想世界を想像した。 今ので半分くらいは撃ち落とせたと思う。私は空気を柔らかく蹴飛ばしてふわりと上昇した。気流が身体の上から下に通り過ぎてスースーする感覚が、実はけっこう気に入っている。 十分な距離を得た後、今度は鋭角に蹴り出して勢いよく前へと滑空する。脚に備えつけられた革製のホルスターからステッキを取り出しておく。ステッキは指先より口径が大きく、手のひらよりは小さい。だからほどよい指向性を持って魔法を撃ち出すことができる。 崩壊していく群体の音が散乱する一方、まだいくつもの機体が合間をすり抜けていこうとしていた。とりあえず、左に一機、右に二機。まず右に向かってステッキを振る。手からステッキを通って現れた魔法が鞭のようにしなって動き、遠ざかろうとする戦闘機を切り刻んだのが伝わった。忘れずもう一機も処理する。 続いて左側に取り掛かろうとしたところ、ばりばりばりと無作法な機銃の音とともにオーバースカートの生地が破れる音がした。金属の塊が身体を通り抜けて、魔法の力がずるずると抜けていく感覚がした。 にも拘らず、とてつもない怒りに私は突き動かされた。 許せない!下ろしたてのドレスだったのに! 空を蹴って位置取りを変えても、戦闘機のプロペラ音が衰える気配はなかった。追撃してきている。あてずっぽうの射撃ではない。確実に狙いをつけている。ついに敵方は私たちを視認したのだ。 だが、それほどまでに近づいてくれるのならかえってやりやすい。プロペラが回る高周波音と、機銃の残響と、機体が身体のすぐそばを横切って空気を押しのける感触が、一つの像を結んで漆黒の視界の中に輪郭を描き出した。 「そこにいるのね」 私は輪郭の上をめがけて飛び込んだ。ロングブーツの底が、確かな金属質を捉える。今、自分は戦闘機の上に立っている。 前方で人の声がした。英語なので意味は分からない。拳銃らしき銃声もする。たぶん私を撃っているのだろう。 幸いにも銃撃音の角度から操縦手の正確な位置が把握できたので、ステッキを握っていない方の手でお返しをする。人差し指を突き出して、親指を立てる。他の指は折りたたむ。魔法の拳銃の完成だ。 「ぱん、ぱん」 がくん、と金属の地面が大きく傾ぎ、前のめりに倒れ込んでいく。主を失って墜落する戦闘機から離脱して、周囲に気を配る。 すでに何十もの機体を落としてるのに、辺りの高周波音はうるさくなる一方だった。鉄の蚊の鳴く声が第二陣、第三陣の襲来を容赦なく告げる。 私は再び手のひらに魔法を収束させた。あたかも騒音を打ち払うように死を招く円弧を作り出す。 「びーっ!」 ところが、この魔法の砲撃はてんで群体に効果を与えなかった。せいぜい五、六程度の不運な機体が魔法の切れ端にぶつかって落ちた程度で、未だ優勢を保つ風切り音が爆発音を切り裂いて次から次へと私を追い抜いていった。 ああ、私、傷ついているんだ。力が出せない。 それでも視界の中で現れては消える音の軌跡を追って、懸命にステッキを振りかざす。手応えのなさが焦りを加速させる。 このままではまた街が空爆される。 「お願い、お願い」 一体、誰に祈っているのか――必死に軌跡の後に追いすがってステッキを振り続ける。時々聞こえる少々の爆発音にも、数多のプロペラ音は揺らぐことなく彼方へと消えていく。 「お願いだから、落ちて」 そんな文字通りの神頼みの声を拾ったのは、リザちゃんだった。 <どいて> 私はばたばたとはためくスカートを抑えつけながら、ほぼ垂直に降下した。全身が絞られるような圧力に耐えた数秒後、空のどこかでぴたりと静止する。 直後、頭上で今日一番の大花火が花開いた。形は見えなくても音の大きさがすべてを物語っていた。 「うわあ、リザちゃん、すごい」 惜しみのない賛辞に、リザちゃんは鼻息一つで答えた。 <ふん、まだ油断するには――> ぶつ、と音が途絶えた。いきなり通信を切るのは彼女の癖だが、いくらなんでも会話の途中に切ったりはしない。 暗闇の内で急速に答えが湧き上がる。 敵に襲われているんだ。 今度は急上昇の圧力に耐えなければならなかった。慌てて舞い上がったせいで、両耳を覆うインカムが外れた。背負っている無線機の上でしきりに跳ね返って暴れた後、ケーブルがちぎれてどこかへと吹き飛んでいった。 「リザちゃん!」 虚空に向かって叫ぶ。どこに顔を向けても私の目は決して光を映さない。 しかし、 神にもたらされた魔法の力だけが、普通は見えないはずのものを見せてくれる。 漆黒に沈む奥底に、か細い線が見えた。その線はじぐざぐにうねって私の方へと向かって伸びている。空を飛びながら目で追うと、それは私の背中の無線機と繋がっていた。 この先に、リザちゃんがいるんだ。 揺れ動くじぐざぐの線を追いかけて、急旋回、急降下。辿り着いた先はほとんど街の真ん中だった。爆発音と、炎が燃え盛る音、人々の絶叫が絶え間なくこだまする中で、ようやく線の末端を捉えた。 爆撃で暖まった空気による上昇気流がスカートの裾を激しくたなびかせる。ぐるぐるとあてどなく回る線の有様は、明らかに彼女が何者かに追われている状況を推測させた。どういうわけか彼女は一向に魔法を撃とうとしない。 私は急いでステッキを振りかざそうとして――輪郭を捉えきっていない敵にはまず当たらない――やり方を変えることにした。 限られた力を足元の推進力に替えて一気に距離を詰める。蚊のようにうるさい高周波音が視界に像を描く。まだだ、まだ足りない。もっと正確に聞かなくちゃ。 触れられる距離まで接近すると、全体像が明らかになった。戦闘機は私にお尻を向けている。 ステッキに込められた力がその先端に刃を灯す。魔法の剣を戦闘機の胴体に深く突き刺すと機体はたちどころに推力を失った。 「リザちゃん!」 崩れ落ちていく戦闘機の輪郭を追うのも程々に、唯一の友達の名前を繰り返し叫んだ。焼ける街の熱が発する生暖かい風を受けながら声が枯れるまで叫んでいると、下の方で小さく声が返ってきた。 「ここよ、私は、ここ」 さっそく体勢を変えて降下する。どこかの屋根の上に落ちていたらしい。着地して声のする方へと駆け寄って顔に触れると、すぐにリザちゃんだと分かった。頬をなでると、指先が少しざらざらする。 「ああ、良かった、無事で」 「でも、またしくじったわ、私たち」 街が燃えていた。人々が叫んでいた。悲鳴と怨嗟の声の中に民族の誇りは見られず、ただ手負いの獣に似た嘶きがあるばかりだった。 「とにかく、基地に帰らないと」 「そうね、ところで、申し訳ないけど――」 声の調子から薄々分かっていた。だから魔法が撃てなかったんだ。頬から首、首から肩口を指先で伝っていくと、その先がなかった。 「ちなみに、脚もどっかいっちゃった」 「おんぶしていくよ」 私は背中の無線機をぞんざいに下ろすと、代わりに彼女を背負った。残っている方のオーク材の腕からはよく燻られたソーセージみたいな匂いがした。無線連絡は彼女のインカムを使ってせざるをえない。 「帝国航空艦隊、マリエン・クラッセ、リザ・エルマンノ両名。戦闘不能により、ただいま帰投します」 ほどなくして管制官から応答があった。 <二人ともよく頑張ってくれた。帰投を認める。アーリア民族に勝利をもたらす日を願って。ハイル・ヒトラー> <ハイル・ヒトラー> 〝一九四六年三月七日。親愛なるお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、友達の子もまた手足がもげました。だけど、へっちゃらです。だって怪我はどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。苦しみは分けっこできるのです〟 たとえ光が見えなくても。 Read more

2024/03/24

『戦略級魔法少女合同』に寄稿した

C103で戦略級魔法少女合同の広報ペーパーを配ることになりました 今回は自分のサークルスペースは無いので各寄稿者のサークルで配布します 普通のチラシにしても良かったのですがちょっと高級仕様でリソグラフ印刷のポストカードを真空パックにしました 来年5月に出る戦略級魔法少女合同をよろしくね pic.twitter.com/k1FpkjsocX — enden (@enden_nix) December 26, 2023 五ヶ月ほど前に触れていたものの、ようやく作品の提出がすべて済んだので改めて宣伝しておく。当初は短編一作の寄稿を予定していたが、様々な事情により最終的に二作の中編を書き上げた。おおむね当初の想定通りのコンセプトを維持できたと感じている。限られた可処分時間の中で仕事をまっとうした自分を素直に褒めたい。 前述の記事に書いている通り、僕は魔法少女ものの作品をろくに観た経験がない。直撃世代なのに「まどマギ」も観ていないし、いま放送中の作品もまったく観ていない。しかし、このジャンルがやたら流行っているのはひしひしと肌身に感じている。SNS上でも身の回りでも皆さんが魔法少女について語り合っているのをよく見かけるからだ。 厳密には「魔法少女」そのものというよりは、このジャンルに集約された諸要素が多くの人々に感銘を与えているのだろう。物書きとしては、やはり創作によってそれらにアクセスする方法を探っておきたい。そうすれば将来の自作においても諸要素の核心を反映させられるかもしれない。 Read more

2023/09/18

夏の公死園

 全国高等学校硬式戦争選手権大會の準決勝、帝國実業と韋駄天学園の試合は佳境を迎えていた。共に十名いる選手のうち六名が仮想体力を失い退場を余儀なくされ、残る四名が市街地を模した公死園戦場の各所で互いに隙をうかがっている。帝國実業高等学校三年の主将、葛飾勇はこの時、昭和八九式硬式小銃に装着された弾倉が最後の一つだった。地道な基礎練習を怠らない生真面目な性分が功を奏して彼は装弾数を正確に把握していたが、同時にそれは自身の劣勢を否が応にでも自覚させられる重い錨となってのしかかる。最悪の場合、たった九発の残弾で残る四人の敵を倒さなければならないのである。 対する韋駄天学園の戦いぶりは賢明であった。むやみに弾を浪費して一か八かに賭けるより潔く撃たれて予備弾倉を戦場に残していく。準決勝でもやり方は変わらない。つまり、四人の敵の弾薬は依然豊富であって正面での撃ち合いではまず勝てる見込みがない。圧縮ゴムでできた硬式弾をしこたま浴びて痣だらけになっても、本人が直立している限りにおいて戦場に立ち続けられた昔とは違う。現行の仮想体力制度では胴体に四発ももらえば確実に退場だ。 勇は壁伝いに歩いて近場の建物の中に忍び足で入った。戦場を眩く照らす直射日光から逃れて部屋の陰に座り込み、ひとまず身体を落ち着かせる。片耳に押し込まれた通信機で仲間と交信したいところだが、周囲の状況が判らない以上はうかつに声を発するわけにはいかない。 ダダダダ、と硬式小銃特有の低い銃声が聞こえた。遠くでは、わああっ、と観客の歓声が波のようにこだまする。敵か味方か、どちらかがやられたらしい。観客席から見える大型の液晶画面でも、試合を中継しているテレビでも、各選手の仮想体力は常に表示されていて残り何発持ちこたえられるのか、何発撃てるのかが把握できる仕組みになっている。さらには複数の望遠カメラが刻一刻と変化する戦場の様子を捉えて、選手たちのここ一番の勇姿を映し出す。帝國中の臣民が関心を寄せる公死園の準決勝ともなれば、その視聴率は相当な規模だ。 勇は緊張のあまり息が詰まりかけた。監督の助言を思い出す。目を見開いて、腹の底で深呼吸を繰り返す。戦闘服の胸元に刺繍された帝國実業の校名が見える。彼はだんだんと気持ちが静まっていくのを感じた。一転、腰を落とした状態で建物の上階へと上がった。 ここへ入った理由は戦場を俯瞰するためだった。通常、背の高い建物は取り合いになるが序中盤の戦いで各方面に敵味方が散った現状では、むしろ忍び込みやすい戦況に変化している。残弾数で優勢を誇る敵は鉢合わせの混戦に至る危険を懸念して、平地で手堅く制圧戦を仕掛ける腹積もりなのだろう。 一方、ろくに連絡もとれず残弾も心許ない帝國実業は一発逆転を目指すしかない。狙うは応射の難しい高所から頭部への一撃だ。例外なく一発で仮想体力を奪い去ることができる。上階にたどり着き身を伏せた姿勢から慎重に窓を覗き込む。戦場の概観がじわじわと目の前に広がった。やや遠くに戦場を左右に貫く二車線道路が見える。その手前には商店街を模した背の低い建物が並んでおり、こちら側に近づくにつれて建造物は住宅地の連なりを帯びて密度が高まる。道路の向こう側には朽ちて荒廃した街並みが再現されている。当然、射線が通りやすいそこに味方はいないだろう。だが……。 硬式小銃の倍率照準で覗いた先に、崩れた建物の壁で小休止をとっている複数の人影があった。生き残りの四人がまとまって周囲を警戒している。予想通り、弾薬を温存した韋駄天学園は面制圧で押し切る方針に固めたようだった。勇はドーランを塗った額から目元に垂れる汗を拭って、そっと小銃を窓枠に立てかけた。 理想は一人一発で四人、現実的な見立てでも二人は仕留めたい。照準に映る四人のうちでもっとも動きの少ない一人に狙いを定めた。赤い十字が敵の足元から腰、腰から胸、そして頭へと這うように移動して、勇の呼吸が落ち着くにつれ左右のぶれが収束する。引き金の指をかける。 実弾よりも柔らかく大きい硬式弾は距離減衰が甚だしい。ある地点からくの字を描いたように急降下する。この遠距離射撃を当てるつもりで撃つ判断は、西の強豪たる帝國実業主将の自負心がそうさせていた。 勇は息を深く吸った後に、引き金を絞った。 直後、拡大された視界の中で一人が側頭部に硬式弾を食らって昏倒した。耳の通信機が敵の退場を報せる。残る三人が振り返る――銃声と照準の逆光からこちらの位置を把握するまでに約五秒――二人目の頭部に合わせて放った銃弾はそれて肩口に命中した。相手は顔をしかめて背を壁に打ちつけたが、まだ退場ではない。 ひゅん、と風を切る音が聞こえた。建物の外壁に衝撃が走る。相手はすでに応射を始めている。これ以上は撃ち合っても意味がない。成果に不満を覚えつつも窓枠から引き下がろうとしたその時、倍率照準の内枠に信じられない光景が映った。 崩れた建物の壁、彼らが拠り所としていた遮蔽物の裏から一人の味方が飛び出してきたのだ。ひと目で判る巨体――あれはユン・ウヌだ。手にはほとんどの選手が装備品に選ばない模擬軍刀の丸まった刃が光っている。ゆうに一町半は離れたここまでも彼の雄叫びが聞こえた。一撃で敵を退場させられる方法はもう一つある。模擬軍刀による急所命中判定だ。 「あの馬鹿!」 勇は肉体に刻んだ基本動作を放棄して窓枠にかじりついた。覗き直した照準の先では、盛んに軍刀を振り回すユンと敵が入り乱れている。これでは援護のしようがない。しかし、勇の耳に届いた叫びがわずかに遅れて意味のある言語として認知された。 「……てーっ! 撃てーっ!」 遠く彼方の味方は自分もろとも敵を撃てと伝えていたのだ。 一人を斬り伏せ、続けざまに斬りかかったユンはまもなく、後退して距離をとった相手の硬式弾を全身に浴びて倒れ込んだ。入れ違いに、勇の速射がまばらに二人の胴体に命中した。弾切れを知らせる撃鉄音が響く。 試合終了の笛が鳴る。 こうして、全国高等学校硬式戦争選手権大會の準決勝は帝國実業の辛勝に終わった。 Read more

2023/08/06

Migrate

 私の家の壁には海岸が飾られている。軌道上で衛星カメラが撮り溜めした動画をループ再生しているのだ。構図は決まって上半分が海、下半分が砂浜で、地球のどこの海岸を映し出していてもそれは変わらない。ルームメイトのリィはこの構図しか好まない。ディスプレイというよりは絵画を意識したつもりなのか、投影部分の周りは大げさな中世趣味の額縁で囲まれている。 「これこそが大自然のツートーンなんだ」 などといかにもなことを彼女は言う。うっかり耳を傾けてしまった、と後悔した時にはもう遅かった。彼女のおしゃべりは尋常ではない。一〇〇年変えていない紫と銀のストライプでできたロングストレートの髪型を揺らしながら、堰を切ったように語りはじめた。 「とは言うけど、潮の満ち引きがあるからこうきっちり上半分と下半分には分かれないんだよね。もし単に定点撮影をしているのなら。じゃあなんでこの絵は比率を保っているのかというと、もちろん私が衛星カメラを同調させているからなんだけど、都度変わる軌道角に対して常に最適な設定値を導くのは簡単な仕事じゃないんだ。でもそうすると私の物理的実体は海からずうっと離れた宇宙にあるはずなのに、図らずも未だ地上の現象に誘引されていることになる。しかし、潮汐を引き起こしている張本人は私たちのはるか後ろにいる月なんだな。その月もまた私たちと同じく地球の周りをぐるぐる回っている。こういう関係性からなにが得られるか考えてみたい。というのも――」 要するに、海岸の動画が芸術家のインスピレーションに役立つと言う。冒頭部分以外は聞き流していたので覚えていない。権限の乏しさと裏腹に豊富な計算資源を与えられるB4クラスでなければ、こんなリソース食いのインテリアはとても置く気になれないだろう。もともと、地上を映す衛星カメラは私たちの祖先たる地上人の行く末を観察するために運用されていたのだ。 およそ一〇〇〇年前に人類は進化の岐路に立たされた。衛星軌道上を周回するサーバに情報化した自分を登録して肉体を捨てるか、そのまま地表に留まるか。万人に選択肢があったとは言えない。不可避の隕石群の襲来という非常事態を前に、人類の大移住は混乱を極めた。ある者は地上を隕石から守ろうと最期まで手段を講じた。別のある者は思想上の行き違いから研究所や打ち上げ施設を破壊しようとした。 だが、毎年ちょっとずつ降り注ぐ燃えかすの隕石は、それだけで森林を焼き払い、都市に傷跡を残し、どうあがいてもいずれ文明の崩壊が余儀なくされる現実を突きつけた。来る生存圏の縮小と資源不足に備えて、人類はより低燃費に、よりコンパクトにならなければいけなかった。 こうして、名だたる企業によってイレブンナインの永久寿命を保証された一億人余りの新人類が誕生した。参画企業の名を冠するサーバが十にも百にものぼって宇宙へと打ち上がった。その多くは商業的な野心を秘めてもいたが、それが皮肉にも人類の分散的保存に一役を買った。 隕石に滅多打ちにされて順調に滅んでいく地上を尻目に、衛星軌道を回る百余りのサーバの情報空間では肉体を持っていた頃と良くも悪くも同じ生活が待ち受けていた。有限の電力からなる有限の計算資源に限界を設定されている以上、私たちに知覚的満足を与える情報生成物の分配は常に議論された。あらゆる情報には価値が付けられ、対価を払うために生産をして、知覚的不足を補おうとする。 要するに、眠ったり起きたり、食べたり飲んだり、働いたり休んだり、序列を競ったり、そういうエミュレートなしでは新たな生命を育めない新人類に種を保存するモチベーションをもたらせなかったらしい。 ここは恒久の避難所であって、ユートピアではない。なんとも空虚な未来だが、一〇〇〇年前に隕石に焼かれて死んでいたよりは良かったはずだ。たぶん。 この日もさしてこだわりなく選んだ低情報量トーストをテーブルの上に置いた。夜通しで机に向かっていたリィは、焼けたパンの匂いをかぎつけるとのそのそと食べだした。壁面の絵は今日も変わらず地上のどこかの海岸を映している。「よくもまあ飽きないものだね」と挨拶代わりに投げかけると彼女は軽くにらんだ。 「君の趣味も大概だろう」 「オーケー。お互いに言いっこなしってことね」 ざざあ、と絵が波の合成音声を再生した。 地上と衛星軌道の他に、もう一つの道を選んだ人々もいる。サーバの大部分を推進エンジンに組み替えて前人未到の外宇宙に飛び出していったのだ。当時、地上人が到達した宇宙はせいぜいアルファケンタウリ近傍までで、投じるコストの割に得られる利益の少なさゆえ宇宙開発は下火に追いやられていた。一〇〇〇年経ってなお、彼らから衛星軌道に連絡が届く気配はない。当然、私のアンテナに来るわけがない。 私はジェスチャでコントロールパネルを表示して、今朝の外部アンテナの状態を調べて所定の処理を施した。「ロマンティストだね。とうの昔に太陽系すら抜けられず全滅したかもしれないのに。一回でもなにか受信した試しがあったかい」今度は私がにらむ番だった。「私も自分でコストを支払って外部アンテナを契約している。こんな世の中じゃ割に合わない夢くらい持っていたいよ」 「二人揃って変人というわけだ」 悪びれもせずリィは身を乗り出して二枚目の低情報量トーストを手に取った。 「まあ、おかげさまで人間的享楽の程度はこんなもんだけど」 その気になれば私たちは感覚の基準値をスライダーの調整一つで数千倍にも負の値にも設定できる。しかし、数千倍もの解像感でテイストやディティールの隅々にまで知覚が得られるということは、数千倍の早さで即効飽きることを意味する。かつての豊かな時代では高度な基準値に合わせた生成物が流通していたらしいが、今ではほどほどに妥協して楽しむのが人生の秘訣とされている。 「別に食べなくったって死にはしない。最悪、オプションから空腹機能を切ればいい」 「あれ鬱になるからイヤ」 他愛もない雑談を交わしつつコントロールパネルを切り替え、自分のアバターに着せる服を選んで出勤の準備を整える。紺のロングコートに黒のパンツスーツでばっちり決めた。パネル上に拡大した姿見を見て、短くビビットなオレンジの髪色が今日のコーデにはやや明るすぎると気づいたが、まあいいかと妥協した。こないだ明度を〇.〇五度下げたばかりだ。彼女に「じゃあ、いってきます」と告げてテレポートを試みたところで、最近なにかと目につく制限通知に出鼻をくじかれた。 『現在、情報量の削減のためテレポートの使用を制限しています』 私はため息を吐いて不満を漏らした。 「またテレポートできないって」 だが、自宅が仕事場であるリィの返答はにべもない。 「たまに歩いた方がメンタルにいいんじゃない、仕事柄」私はあからさまな嫌味に嫌味で返した。「万年引きこもりに言われたくないね」とはいえ、復旧に賭けて遅刻しては元も子もないので結局歩いていくことにした。 玄関のドアを開けたあたりでかけられた「待たれよ」との声に振り返ると、不意打ちにリィが顔を寄せてきた。あまりにも機敏な動作だったせいで彼女の鋭いまつ毛が皮膚に突き刺さった。 「ほら、ちゅーしてやったぞ。せいぜい頑張れ」 「嬉しいけどまつ毛のピクセルはもっと削った方がいいね」 さっさと踵を返して部屋に戻ろうとするルームメイトの背中に向かって言ってやる。当の彼女は中指を立てた右手を掲げて応じた。 私が今のサーバに移住したのは一〇〇年くらい前になる。大小の企業が太鼓判を押した永久保証の人生にもついに終わりが訪れたのかと観念した矢先、次に目が覚めたのは登録前の走査が行われる真っ白なテンポラリー空間だった。幸いにも手先が器用でささやかな経歴を持つ私はDクラスのサスペンド処分を免れたが、懸念を呼んだのは住居でここには余剰の計算資源がなかった。そこで上位クラスとのルームシェアリングが提案され、すぐに応じたのがリィだった。 売れない芸術家だと自嘲する彼女のプロフィール情報には性別の記載がなかったものの、直近三〇〇年は女性体アバターに馴染んでいると言うので「彼女」と呼んでいる。図らずも私と同じだ。そうして、共に過ごして一〇〇年余りが経った。移住して日が浅い類友を探していただけの割には長続きしている。 ここの文化は以前にいたところとはずいぶん違う。私は久しぶりに街並みを見回した。まず街という街が四角四面のブロック状に統一されていて飾り気がまったくない。どこへ行っても変わり映えがしないので、うっかりすると自分のアバターが浮き出して見える。情報量を浪費して華美に着飾るファッションは明らかに歓迎されていない。 それも当然そのはず。私は移住当時に告知された利用規約を思い出した。「主力電源を喪失して久しい我々のサーバでは目下、情報量の削減が至上命題となっている」と言いつけられて、スペアアバターをすべて放棄させられたのだ。ワニのアバターがお気に入りだったのに。事情が事情ゆえ生きているだけマシと受け入れたが、年月が経つにつれて極端な緊縮政策に嫌気が差してきている。 本来なら地球上の天気が再現されているであろう空間上部も、#7d7d7dの灰色に一面塗りつぶされていて微動だにしない。そんな押し潰されそうな虚無の圧迫感に抗するがごとく街並みの至るところが色とりどりのパステルカラーで彩色されているが、このほどライトマッピングも無効化されたために見た目の安っぽさはどうにも拭いがたい。 「おや、君はセシリア……いや、今はセスと言うんだったな。徒歩で通勤かね」 噂をすれば、ブロック状の構造物が立ち並ぶオフィス街の通りで今もっとも会いたくない人物と出くわした。ある意味でもっとも中性的な、表情の読めないのっぺりとしたアバターの外見を模倣するように、私の顔もぎしりと硬直した。 「テレポートが使えなかったのでね」 それだけ言って立ち去ろうとしたが、彼は道を譲らない。 「まあそう急ぐな。君には一言、礼を言っておきたい。僕が考案した短縮名規則に応じてくれたのだから。前はあんなに嫌がっていたのに」 「利用規約となってしまっては仕方がないよ。サスペンド処分はごめんだ」 皮肉混じりに言い返しても彼は気にも留めない。システムが余計な気を利かせてポップアップしたプロフィール情報によると、彼のクラスはB1。上位モデレータだ。アドミニストレータ権限を握るAクラスを除けば最高の地位を意味する。日常で接しうる相手では事実上のトップと言って差し支えない。だからこそ下手な思いつきでしかない取り決めが公式の利用規約としてまかり通っている。 「前から僕は言っていたじゃないか。登録者が自らのアイデンティティをなげうつ姿勢から情報量の削減が実現されていくのだと。見たまえ、この整然とした街並みを」 カクカクの両手を広げて示すのは負けず劣らずカクカクのビル群。街のデザインを簡素化して情報量を大きく削減したのは彼の功績の一つとされている。対して、全登録者の名前をアルファベット表記で四文字以下に縮める新規約は言うまでもなくすこぶる評判が悪い。 というのも、内部的に別の英数字で照合されている名前を数文字ばかり減らしてもまったく削減にはならないからだ。理想的なアルゴリズムで圧縮したモナリザの肖像画すら賄えない。だが、反論は通じない。大切なのは姿勢と開き直るに違いない。かくいう彼の新しい名前もアルファベットでPとiの二文字しかない。パイと読ませたいのだろう。 「おかげさまで、今日もここへ来るまでに引っかかり一つなくて快適だったよ。なんせどこもかしこものっぺりとしているからね」 「そうだろう、そうだろう。これからどんどん良くなる。戦争指揮に計算資源を割り振っているAクラスの方々に代わって、モデレータが率先して登録者を導かなければ」 表情は読めずとも声の調子からパイの満足げな表情が伝わってきた。いっそ出力音声のビットレートも削り落としてしまえばいい。などと言ったら本気でやりかねないので適当にやり過ごして雑談から逃れた。背中に彼のデータ参照を企図する抜け目のない視線を察知して、私はピンク色をした四角いビルに飛び込んだ。やはり、ぎりぎりまで粘ってでもテレポートで行くべきだった。 Read more

2023/06/14

ショットガン装備

 通学路の道すがら、通りかかる交番にはショットガンが架けられている。大人が三人も入ったらぎゅうぎゅう詰めになりそうな手狭な空間の中で、それはいっそう神々しい異彩を放って僕を釘付けにした。まるで御神体みたいだと思った。 「熊が出るからな」と言葉少なめに言うのは僕の兄だ。長老みたいなお爺さんと入れ替わりに兄が警察官になったのが十年前で、僕がショットガンに惹かれたのも同じ頃だった。 「じゃあ兄いは熊が出たらこれを使うの?」と前のめりに質問すると彼はやや間をおいて、やはり手短に「まあな」と認めた。壁に備えつけられた透明な箱に鎮座するショットガンは、アクション映画に出てくるものとそっくりに見えた。これで撃たれたらひとたまりもなさそうなのは当時でもなんとなく想像がついた。 学校でも、家でも、近所でも、大人は口々に「山さ入ったら死ぬぞ」と僕を脅した。この村ではどんな子供も熊の存在に脅かされて育つ。『行くなと言われて行った子、みーんな死んだ』という題名の絵本も発行されていて、どの家にも人数分置かれている。悪事を働いた際の殺し文句はもちろん「熊に食わせる」だ。 毎日、登校するたび僕は「御神体」に祈りを捧げた。熊が人里に現れた時には、これが僕たちを守ってくれる。兄が朝の巡回で交番を空けるこの時間、誰もいない直方体の家屋の奥に佇むショットガンはいよいよ超然としてきて、あたかも交番が聖なる祠と化したかのように感じられた。 ところが、そんな厳かな儀式も巡回を早く切り上げて戻ってきた兄に見つかると、昔の調子でめちゃくちゃ馬鹿にされた。 「きしょすぎるよお前」 「だって、熊をやっつけてくれるわけだし」 僕はもごもごと口答えをした。 「ていうか、兄い、こんなごついの本当に撃ったことあるの?」 「当たり前だろ。じゃないと本番で使えねえ」 兄は室内に置かれた書類棚をいじりながら背を向けて答えた。僕の脳裏には、たちまち大きな射撃練習場かどこかでショットガンを構えている兄の姿が描き出された。「すっげえ」と息を漏らした。 「村の”守人”だからな、俺は」 「もりびと?」 「守る人って意味だ」 兄はそう言って振り返り、細い紐で首に下げた金色の小さな板を指でつまんで見せた。 「これがそのお守りだ」 語彙不足だった僕はまたもや「すげえ」と答えた。 「お前、銃好きなん?」 兄の顔はいつになく真剣そうだった。 「うん、まあ」 質問の意図が掴めずに応じると、彼は途端にいたずらっぽい笑みを浮かべてこう言った。 「いいか、内緒だぞマジで。バレたらクビだからな、俺」 一旦、僕を室内に押し込んでから外をきょろきょろと見回した兄は、まもなく戻ってきて透明な箱の鍵穴に鍵を差し込んだ。中を開けてショットガンを取り出すと、僕の方へゆっくり差し出した。 「ほら、持ってみろ」 思いがけない出来事にどぎまぎして銃身を両手で掴んだが、兄の手が離れるやいなやずっしりとした重みと、ごつごつした感触が一挙に伝わってきて危うく取り落としかけた。「馬鹿、気をつけろ」彼は後ろに回り込んで僕の両腕を掴んだ。 「構え方はこうだ」 自分の半身をはるかに上回る大ぶりの銃身は、兄の補助なしではとても一人で支えきれなかった。兄のたくましい胸筋と両手にほとんど身を任せて、僕はなんとかショットガンを装備した。 「お前も警官になれよ。俺が楽できる」 背後でおどける兄の言葉にほのかな高揚を覚えた。 「僕になれるかなあ」 あの時の僕は無邪気に笑ってそう答えたものだった。 Read more

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