2026/04/25
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土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を落ち着けた。天を衝くほどの高層ビルがそびえていた島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも、等しく時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていた――だけがこの辺りで唯一、まともに建っていると言える建物だ。
この前に来た時よりも暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほどの疲労感はなかった。乳白色の平らな地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して切り取る。力がないだけにずいぶん手間取るが、暇はたっぷりある。そうして得た塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。しょっぱい。
しかし、ミネラルと塩分の摂取にはこの上なく都合が良い。なぜならこれは塩そのものだからだ。
地平線の彼方まで広がるこの平面はかつて海の一部だった。大昔、未曾有の気象災害により海水が凍結し、固まり、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て重厚な塩の結晶の層ができあがった。進もうと思えばこのままずっと先まで進んでいける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と進んだ先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないが、この白く濁った表面は僕を特別な気分にさせてくれる。
気持ちが高まっているとよく手が動く。さっきまでは表情のない塊でしかなかった塩が、ナイフの切っ先で削られるごとに意味を持つ。四足の動物を連想させる時もあれば、人間っぽい形に変わることもある。まるで進化の過程を表しているみたいだ。最初の生命も塩と水から生まれたのだった。
高く昇った太陽が傾いで地平線の向こう側に隠れはじめた頃、僕の衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務査定を考えるとそろそろ帰社しなければならない時間だ。現に目的地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。
「またやっているのか、飽きないもんだな」
「早く帰ってもどうせ寝るだけだからね」
『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした肩をすくめて呆れた様子を表現する。体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうで、背嚢は特別に大きく固い金属でできている。手には大型の電動銃。僕たちは常に武器の携行を命じられているが、邪魔な瓦礫や岩などを砕くにはもっと小さいものでも事足りる。
「そんなに大きいのなんて使い道あるの」
HID6は顔を傾けて意味ありげに笑った。
「使おうと思えばな」
そう言いつつ、巨体の主が隣に座り込む。
「今日はどこまで行ってきたんだ」
塩の平面上にうっすらと浮かぶ対岸を指差す。
「あの辺りまで。片道二時間くらいかな」
「そうか。土いじり専門だったなお前は」
おそらく悪気はないにせよ、どことなく軽んじられた気配がしたので声を強めて反論する。
「地質調査だよ。土いじりなんかじゃない。センサじゃ分からないようなことだって分かるんだ。見て確かめないと花崗岩と閃緑岩の見分けだってつかない」
「悪かったよ。だめだとは言ってねえ。ところで、そいつはなんだ?」
幅広の顎をしゃくって塩の彫刻を示す。
「さあ、なんだろうね」
僕はそっけなく答えた。
「悪かったって」
とはいえ、彼は彼で時間が迫っていたらしい。こちらの冷淡な態度にもおおらかな態度でのそりと立ち上がって語りかける。
「まあ、色々やってみるのはいいことだ。若いうちはどんな可能性もある」
手を振って去っていく同僚の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。もう一度、夕陽の強い光に照らされた固形の海面を眺める。深呼吸。きれいさっぱり片付けられてがらんどうになった文明の残り香を吸い込む。
こんな暮らしにも可能性とやらがあるといいけど。
しばらく歩いて特定の地点に立つと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。現れた長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。少し待つと勝手に開く。
後は流れ作業だ。すれ違うにも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って「納品物」を提出する。集めてきた鉱石をカーゴに入れると、奥に回転して壁の向こう側にしまい込まれる。
すると、シェルター内の天井に張り巡らされたラインが赤くぱちぱちと光る。壁面に投影されたモノクロスクリーンに映る評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な納品物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に不満は感じていない。
最後に、次の仕事の申請を出す。ざっくりとした希望なので具体的な内容は次回に知らされる。といっても、一度も変えた試しはないし変わった覚えもない。
〝HID11、お疲れ様でした。切断処理に入ってください〟
イヤホンから聞こえる女性の声に従って残りのルーティーンを続行した。
作業服と背嚢とイヤホンを中身ごとロッカーに押し込み、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉塞されて強化ガラスの表面に文字が浮かぶ。〝僕たち向け〟の特別なメッセージだ。
〈HID11:切断開始〉
直後、深く心地よい眠気に襲われて目を閉じざるをえなくなる。意識が沈む寸前、後頭部にドライバが差し込まれる感覚がかすかにした。
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