点と接線

フルマネージド・ラーメン

0 勤務を開始するとまずは店舗で朝ごはんを食べる。これは製品プロダクトの品質を評価するための業務であり、労働時間に含まれている。管理部門の業務は多岐にわたる。〇一七・〇五〇・一三一と名付けられたその製品はかつて『豚骨醤油ラーメン』と呼ばれていた。ロボットアームが調理を終えると目の前の扉が上に開き、ラーメンが箸とれんげと一緒に供デプロイされる。器の色は白かったり黒かったり、まったく別の色だったりすることもあるが、材質はきまって陶器製だ。度重なるA/Bテストの結果、少なくともこの点については変更の余地がないと確証が得られた。顧客満足度は味のみでは決まらない。 箸を手に取る前に盛り付けを確認する。丼ぶりの奥に三枚の海苔、中央左寄りにチャーシューが一枚、右寄りにほうれん草。麺はスープに沈みきらないように若干浮いて存在感を示している。この配置も膨大なフィードバックをもとに入念に設計されている。しかし私個人の感想としては、チャーシューとほうれん草の位置は逆の方が好ましい。いや、位置はどちらも中央でほうれん草を手前に置く方がいい。いや、むしろ……。 うーん、すぐに結論は出せそうにない。次の評価に移ろう。 器を持ち上げ、湯気とともに放出される匂いをかぐ。と同時に、スープの色味も間近で確かめる。豊かな獣臭と醤油の香りが鼻腔をくすぐる。 「いい匂い……」 思わず声が漏れる。 前回の同レシピの製品よりわずかに獣臭が抑えられている。顧客満足度の基準は常に一定ではない。より刺激的な設計が高い評価を受けたかと思いきや、ある時期から急に流行が移り変わる。スープの色はかなり濃く茶色がかっている。現在の顧客は視覚的には刺激を求めていても、味わいはややマイルドな方を好んでいるようだ。 一次評価を終えたところでようやく箸を持つ。スープが冷めると食味評価が不正確になるため、あまり時間をかけすぎてはいけない。今回は麺から食べる顧客をシミュレートする。スープがよく絡んだ中太の麺をゆっくりと持ち上げる。麺の色は小麦感が強い黄色。すかさず口元に運び、勢いよくすする。顧客の九一・一二%は麺をすすって食べる。 「おいしい!」 また声が漏れる。もはや漏れているという程度ではない。叫んでいる。インターフェイス端末であるインプラントデバイスが普及した現代では発声器官を用いる必要性はないのに、こうおいしくては声を出さずにはいられない。もう一口、頬張る。 舌の中でスープと麺が踊り、一見ばらばらの諸要素が濃厚な一体化された構造物として速やかに統合される。醤油と豚骨の深い味わいが口内にじわりと広がり、全身を揺さぶる快楽が押し寄せる。ぎゅるぎゅると血流が唸る。次の一口が食べたくなる。さらに食べたくなる。一連の工程を繰り返すと味覚が一時的に飽和状態に陥るが、一方でチャーシューや海苔やほうれん草に目を向ける余裕が生まれる。それらを適宜口に含むと、飽和した味覚が原状回復されて再びスープや麺と向き合うモチベーションが湧いてくる。 とはいえこの頃には原初の渇望感は満たされ、海苔を麺に包んで食べたり、各々のテクスチャを舌先で吟味したりなど、技巧に凝った食味活動が優勢となる。これは私の本来の趣味ではない。緻密な製品設計がもたらす誘導である。スープの最後の一滴を飲み干すまで顧客を飽きさせない工夫なのだ。 このような高度な製品が戦前のはるか昔にはすでに生まれていたと言う。かつて人々に広く愛されていたとされるこの製品プロダクトは、戦後復興の象徴たる『人間性』を獲得する上で重要な研究対象でもある。私は丼ぶりと箸とれんげを扉の奥に押し込んで片付けを済ませた。 二杯目、いっちゃおうかな……。悪魔の囁きが脳内でこだまする。 いや、やっぱりやめておこう。視界の端にうっすらと表示される時刻を見て考えを改めた。二杯目の満足度が一杯目を上回った経験はめったにないし、お腹がいっぱいだとお昼ごはんにも差し支える。 結んだ髪の毛を解こうと手を頭の後ろに回しかけて思い出す。どうせ三食ともラーメンしか食べないのだから結びっぱなしにすることにしたのだった。視線を自分の胸元から足先に注意深く這わせる。今のところダークネイビーのパンツスーツに染みはない。運が悪いと一日に二度もプリントし直す時がある。どんなに注意を払っても流体力学の気まぐれはいつもスープの飛沫をあらぬ方向に飛ばす。 次いで天気予報を参照する。今日の天気は、ミサイルのち晴れ。昨日は晴れのちミサイルだった。つまり、昨日は昼過ぎにミサイルが降ってきたが、今日はさっきまで降っていた。空中で迎撃された火薬がぽんぽんと花開いて青空を鮮やかに彩っていたことだろう。店内がかすかに振動して建物全体が徐々にせり上がっているのを感じる。インプラントデバイスが空襲警報の解除を教えてくれたので、とりあえず店の外に出る。 外ではちょうど周囲のビル群がにょきにょきと天に向かって伸びているところだった。空襲に備えて地下に格納されていた建物が元の姿に戻りはじめている。本来は建造物の建て替えを簡単にするための仕組みだったのだが、現行の社会体制に反対して月面に移り住んだ人々による攻撃を防ぐ手段としても役立っている。上空からはビル群が波を打って沈んだり現れたりしているように見えるのかもしれない。 とは言うものの、早朝や深夜ならともかく人通りの多い昼間にビルが沈んでいくのはなにかと面倒だ。ここ二、三年は九九・九九%の迎撃率を維持しているとの統計もあり、街の人たちはミサイルが落ちてくるリスクをまったく考慮していない。外で空襲に出くわしても、シェルターに避難する手間を惜しんで勤務先のビルが生えるのを待ち構えている人もいるほどだ。 その点でいうと私の勤務先の建物はちょっと変わっている。地上階が店舗になっていて地下階層に経営本部が入居している。だから空襲の際に折り畳まれるのは一階部分だけで済む。私は密かに逆﹅ビ﹅ル﹅と呼んでいる。数百メートル下にある地下鉄駅と直結しているのでとても通勤しやすい。 ふと見渡すと、数ブロック先のビルが正四角錐に作り直されているのが分かった。およそ数千年前から戦前まで存在していた歴史的建造物に似た見た目をしている。しかし異様に細長い。空を仰いでももちろん低階層部分しか見えない。インプラントデバイス曰く五〇〇階建て相当だそうだ。地上からこの建物の全体を視界に収めるには一キロメートルは離れないといけない。戦後復興を遂げてからはこうした不可思議な再開発も珍しくなくなってきた。私たちの社会の代表たる巨大知能が都市計画を担い、建物を設計し、大小の機械が建築をも取り仕切る。地下に畳んだ建物をせっせと取り外して、プリンタで出力した建材にぺたぺたと張り替えると次の週にはできあがり。 私たちの製品も同じだ。店舗の奥では重力制御された寸胴鍋が最大一〇〇気圧相当の圧力で豚骨の成分を効率的に抽出しており、チャンバーで精密に加熱される具材、調理用のレーザー装置で微細に焼き目を加えられたチャーシュー、その瞬間の気温と湿度に応じて最適な麺上げを行うロボットアームがそれぞれ顧客に最高の価値を提供している。完全管理された製品フルマネージド・ラーメンなのである。

ゴリラに無線イヤホンは向いていない

盛夏、賞与のおかげで僕の懐はだいぶ暖かかった。こういう時にはうっかり散財するのも悪くない。服や靴はいつでも買っているが、懐が温い時にしか検討しない代物もある。さしずめオーディオ製品などはそうだ。約10年前、据え置き用のシステムを一通り揃えてエンドゲームを迎えて以来、この領域は手つかずになっていた。 厳密には、数年前に1万円ちょっとを出して無線イヤホンを購入している。音はまずまずで悪くない。出社日の電車内でSpotifyのDiscover Weeklyを回して曲探しをするのが目的だった。そして現在、SpotifyはCD音質相当のロスレス再生に対応し、無線イヤホンのバッテリーは如実に持ちが悪くなった。いよいよ買い替え時がきたのだ。

弊サイトをリニューアルした

数日前にアクセスした人は気づいていると思われるが、このたび弊サイトをリニューアルした。もともとミニマル志向だった外観にさらに磨きをかけ、タイポグラフィを強調したより整合的なデザイン体系に誂えた。LLMに頼めばどんなに瀟洒で豪華絢爛なWebサイトも小一時間で出来上がる時代に、あえてこのような意匠を整えたのには明確な理由がある。 それはそもそも、世の中には見てくればかりでコンテンツに乏しいWebサイトが多すぎるということだ。なにも別に上等なコンテンツがなければいけないわけではない。その主宰者ないしは組織の内実を表しめるものがあれば、読み手は十分に楽しめる。にもかかわらず、流行りのフレームワークを使っただけの片手で数えるほどしか記事がないプログラマのブログや、制作会社に丸投げしただけの上っ面だけ大層に動くコーポレートサイトが多すぎる。

自作ActivityPub実装に絵文字リアクションを部分的に足した

ActivityPub実装を自作 して一年が経った。当時はなるべくミニマルな仕様にしたかったのと、このような 気持ちもあって躊躇していたが、部分的に足すぶんには共存できると思い直して実装に至った。 僕が抱いている問題意識の根本は、そもそも絵文字リアクションが暗黙的に担っている役割が大きすぎるというものだった。あれほど多彩な種類があるとコミュニケーションの多くをミームで代替できる気がしてしまう。しかしそれは錯覚であって、実際に代替しているのはコミュニケーションではなく、まさしく〈リアクション〉に過ぎないのだ。