最近、ARG(代替現実ゲーム)の配信動画を観ている。ARGとは現実に存在するなんらかのコンテンツに操作介入を行い、得られた情報をもとに攻略を進めていくゲームのことだ。コンテンツの種類はWebサイトをはじめとして、自宅に送付されてくる財布や日記帳、給与明細など多岐にわたる。
中でも僕のお気に入りは『愛宝学園かがみの特殊少年更生施設』だ。Webページ上で情報を探索して段階的に謎が解き明かされていく仕掛けが物語の没入感を一層高めている。正直なところ、こういった話を一本の小説で読んでもさほど感心しなかったと思われる。この手の筋書きは巷にありふれているからだ。
しかし、情報のみが存在していて語り手が不在というジャンルの特徴、物語の真相に辿り着くためにおのずと深読みを試みる仕様が実態以上の中毒性を引き出している。小説でも「読みだしたら止まらない」との惹句は頻出だが、ARGは主体的に対象物を操作する特性上、完璧に解き終えるまではなにをしていても現実と地続きの感覚がついて回る。
そして解き終えてなお、日常の営みでもふとした拍子に現実と虚構の混濁感に襲われて世界観の延長を錯覚させられる。工夫次第ではすさまじい陰謀論者を創出してしまいそうでちょっと危険かもしれない。というより、陰謀論者予備軍が陰謀論にのめり込んでいく過程とARGのコンテンツ性はほぼ同一なのだろう。それらしき情報同士をつなぎ合わせてより有力な情報を獲得し、やがて自分や選ばれし者だけが真相に辿り着く……。いやはや、ゲームもここまでくると恐ろしいものだ。
ところで、僕がARGに興味を持ったのにはきっかけがある。SNSで知り合った友人がある日、Discordで画像を見せてきて「これどう思う?」と訊いてきたのだ。それはファイラ上に並んだ大量のサムネイルを映した代物で、一瞥した感じではどれも同じに見えた。
「どれも同じに見えるね」率直にそう答えると彼は「そうだけど、そうじゃないはずなんだ」と曖昧に答えた。なんでも大学のキャンパスで見つけたUSBメモリの中に入っていたとの話だが、まずその前提からして要領を得ない。「それ勝手に持ってきちゃっていいやつなのか?」とか「出所の分からないUSBメモリを挿したらダメだろ」といったツッコミが脳内で錯綜する。
彼はそれらの疑問に対する回答をあらかじめ備えていた。「これはARGだよ。いま大学で流行っている」曰く、企画者の素性は不明。特定の大学構内にUSBメモリを置いていき、入手した者がARG――代替現実ゲームのプレイヤーとなる。USBメモリ内のコンテンツを読み解くことで先に進める。すでに次の段階の攻略のために遠出した者もいるらしい。
今でこそ企業が入念に企画して統制のとれた製品として販売しているARGを知っているが、当時はその説明を聞いて「ARGとやらはずいぶんアングラなゲームなんだな」と感じた。その「プレイヤー」が意図に反した行動をとって事故に繋がったら一体どう責任をとるのか。さもなければ自己責任に丸投げする考え方なのか。いずれにしてもあまり褒められた姿勢ではない。
「本当にこれは全部同じ画像って可能性もあるな」少し経った後に彼が弱々しく漏らした。学内でそうしたコンテンツが流行っていると逆張りして茶化そうとする学生も当然現れる。意味ありげで実はなんの意味もない情報を入れたUSBメモリをばら撒いて、引っかかったプレイヤーを嘲笑う者がそこかしこに出没していると言う。
結局、その日のうちには謎を解読できず、進展が伝えられたのは翌日だった。「画像として見たらダメだったんだ」彼は興奮気味に連投して語った。それぞれの画像は一見同じ、というより目視上は完全に同じ――だが、バイナリデータにはそれぞれ意図的な差異が隠されていた。それらを繋ぎ合わせると緯度と経緯、すなわち地図上の一点を指し示す座標情報が浮かび上がる。
「でも、それって」彼の解説を一通り聞いて、郊外の家屋を指し示すグーグルマップの赤いピンを見ながら僕は言った。不親切じゃないか。ノーヒントじゃ分からないどころか、コンピュータの知識がなければ解決できない。彼が答えに辿り着けたのはたまたまそういうのが得意な工学部の学生だからだ。
「学内で流行っているのはそんなのばかりだよ。商業とはレベルが違う」と彼は自慢げに言う。あえて大学を中心にUSBメモリを置いて回っているのも、ひょっとすると特定の専門知識を参加の前提条件にしたいからだろうか。中には人文系に向いた企画もあるのかもしれない。言うが早いか、彼は探索の準備に取り掛かった。昼からの講義は全部サボるそうだ。まったく、お気楽な身分だな。サラリーマンと比較するまでもなく学友とて就活の早期化で忙しいはずなのに、浮世離れしているにもほどがある。
本来、彼はとても奥手な人間である。初めて顔を合わせた時もパーカーのフードを深く被っていて探し当てるのにだいぶ苦労した。当然、エンカ記念の自撮りは断固拒否された。インターネット越しでは軽妙で饒舌なのに対面だとぼそぼそしている。目も合わせない。大学生なのに酒も飲まず、カフェラテ一杯で帰ってしまう。本当は僕のことが嫌いなのか? と疑ったが、こうして事あるごとに話しかけてくるところを見ると、単にそういう性格なのだろう。
しかしその彼は、いざ動くとなると異常にアクティブだ。大型連休や長期休暇に入ると突然クアラルンプールやウランバートルにワープしていたりする。頻繁にいろんな国に行く割にパリやニューヨークには行った経験がないと言う。そういう偏屈な旅行好きの特徴は僕もそこそこ知っている。なぜか知らないが彼らは変わった場所にばかり行きたがる。
今回も昼過ぎには目的の位置に着いていた。間もなく千葉県の郊外の家屋で撮った写真が送られてくる。ぱっと見では廃屋だ。僕の近所にも処分に困って放置されている民家がいくつかある。整地すれば立派な土地資産になるのに、そのお金が用意できないから一向にどうにもならない。服を買いに行く服がないとか、働くための職歴がないとか、失敗した営みにありがちな脱出不能の不具合だ。
「まさか中に入るつもりか」「汚くて嫌だけどしょうがないな」「いや、そうじゃなくて」住民のいない廃屋であっても勝手に入るのは法に触れないか? 懸念をよそに数分後には薄汚れた和室に吊るされたUSBメモリの写真が現れる。「当たりだ! 勘違いじゃなくてよかった」彼は自分が今まさに不法侵入を犯していることよりも、バイナリデータから見出した座標が正しいかどうかの方を気にかけていたらしい。
陽光の差さないどんよりした室内に吊るされたUSBメモリの姿はあたかも首吊り死体を思わせて不気味だが、どこかの暇人がこれをせっせと仕込んでいた様子を想像するとかえって滑稽でもある。一番滑稽なのはそんなしょうもない遊びに興じているこの友人なのかもしれないが……。ともかく、その後も攻略が進むたびに彼から都度情報が送られてくるようになった。
大抵の場合、USBメモリの内訳は推理サスペンスっぽいテイストのテキストで、読み方を工夫すると次の攻略情報が得られる。たまに意味深な画像が付く場合もある。謎解きについてはそれなりに感心した一方、ストーリーの方には大して興味を惹かれなかった。いかにも取って付けた雰囲気が否めない。曰く、失踪した兄を探している云々……国外の犯罪組織が関与している云々……自分が殺されても秘密裏に後を継ぐ者が現れるようパズルを仕込んだ云々……ああ、そうですか……。
とはいえ、彼が遠方の山奥に向かうと言った時にはさすがに懸念を表明した。グーグルマップで見るかぎり、近場には民家一つない。なにかあって叫んでも誰にも声は届かないだろう。当時は春休みの時期だったので旅行にはちょうどいいとしても、見るからに運動不足の彼が足を踏み外して怪我でもしたら大変だ。
「等高線からするとここは平地だね、山奥じゃないよ」「揚げ足を取るな、危ないのには変わりない」応酬が何度か繰り返された後、出し抜けに「じゃあ生配信するから観てればいいじゃん。やばかったら警察を呼んでよ」と彼が言った。断ったところでどうせ一人で行くんだろうな……そんなわけで、リモートワークの傍らに彼の配信画面を開いて監視する形と相成った。数日後、計画通りに視聴者一人の独占生配信が行われた。
「これ針葉樹っぽいな……」配信越しにぶつぶつと言いながら歩みを進める友人。わざわざこのために大枚を叩いてボディカメラも用意したと言う。平地でも未舗装の道をながらスマホで歩くなど言語道断なのでこればかりは英断と認めざるをえない。「りくおーさんって花粉症?」「いや違うけど」「この辺にあるのは全部スギだから花粉症なら即死だったね」おどろどろしい未知の謎を解きに来たというよりはなんだかハイキングみたいだった。
実際、頼んでもいないのに逐一植生の解説をしながら小一時間も歩いている様を眺めているうちに、まさしくこれはハイキングそのものなんじゃないか、とか、であれば引きこもりがちな彼にはむしろ良い休暇なんじゃないか、とか、一転してこのARGを企画した暇な誰かへの評価が高まりはじめていた。どんな動機にせよ家から徒歩五分のコンビニに行くのも倦んでUber Eatsに無駄金を使っている彼をこんな遠方にまで連れ出した功績は無視できない。
「あっ!」「ん?」しまいには配信画面を隠してラジオ感覚で聞きながら仕事をしていた矢先、急に素っ頓狂な声があがった。慌ててウインドウを開くと画面の先には、他の木々と離れて生える一本の太い木。その木の表面は明るい真っ赤な液体で染まっていた。枝には輪っかを形どった首吊りロープがだらりと垂れ下がっている。
「おい、冗談じゃないぞ」「待って、これはフェイクだよ」エディタを別のワークスペースにぶん投げて配信画面を最大化するほど興奮して声を荒げた僕を、彼はごくあっけらかんとした調子でたしなめた。そのまま巨木に堂々と近づいていくと――画面上ではロープがぐんぐん迫ってきてそれも妙に怖かった――指先で真っ赤に染まった木の表面をこすった。
「うん、やっぱりこれはペンキだ。匂いが完全に有機溶剤だし、そもそも血がこんなに赤いはずがない」対面で会う時はいつも妙にそわそわしていて所在なさげなのに、今の彼はとことん冷静で理路整然としている。干支一周ぶん近くも歳が離れているのに頼もしささえ感じる。案外、危機的な状況ではこういう人物の方がうまく立ち回れるのかもしれない。
しかし、それでも不気味さは拭いがたかった。画面のすぐそこでちらつくロープの輪っかが、今にも彼の首元を捉えて締め上げてしまいそうでとにかく恐ろしかった。「もう帰った方がいいんじゃないか」自分でも分かるぐらい声が震えていた。「まだ来たばかりでしょ」大胆にも彼はロープの輪っかの部分を観察しているようだった。
「うーん、こっちの方の血はリアルっぽい……?」「やめてくれよ」「いや、まさかね」「早く帰ろう」「もう少しこの場所の演出的意図を考えたい」あくまで僕の不安を制して、しばし考え込んだ末に生まれた彼の考察は次の通りだ。
曰く、何者かが誰かの首を吊って殺そうとした――「首吊りなら自殺じゃないのか」――僕の問いかけに画面の向こうで彼が答える。「輪っかの血は手で無理やり外そうとした時に、首の皮や爪が剥がれて付くやつだと思う。まあ、自殺でも途中で後悔したらそうなるんだけど……」「一応聞いておくけど、そういう演出って意味だよな」「え? そりゃそうでしょ」
あまりにも真に迫った解説をするものだから思わず聞き返してしまった。「じゃあ、その木の方は?」「……どうだろう。なんであれ首を吊らせて殺したのならあえて外傷を負わせる理由はない、っていうかこんなに血は飛んだりしない」こうして順序立てて説かれると恐怖感が和らぐ。もし危険な現場に出くわしたら彼のような人間のそばにいようと思った。
これだけに飽き足らず、ほどなくして彼は「ああ、分かった。でも今の状態じゃだめだ」とカメラ越しに叫んで街まで足早に帰還、除光液とベンジンを携えて往復数時間かけて元の場所に戻ると、それらで除去したペンキ塗料の奥から別の赤色の塗料で刻まれた攻略情報を手に入れたのだった。
朝方に始めたのにすべてが完了する頃には日が暮れかかっていた。夕闇を背景にはためく首吊りロープは、タネが明かされてもなお不穏に感じられた。翌日、職場のMTGで作業進捗を答えるのに難儀したのは言うまでもない。
それからしばらく彼から連絡はなかった。新学期で忙しくなったと解釈してその間、僕は一般的なARGがどんな具合なのか調べていた。やはりこういった商業ARGはよくできている。仮に外出が必要なイベントでも事前に対象の施設と運営企業が連携をとっていて、想定外の事態が起きにくいように導線が敷かれている。演出を助ける動画やWebコンテンツなどの小道具も大した充実ぶりだ。
だが、それでもあのARG――商業ではない、いわば野良ARG――で束の間に味わった鮮烈さには到底敵わない。たとえ手作り感が目立っていてもあの不気味さ、明らかに所有地ではない樹林や廃屋に勝手に細工をするアングラさには、どこまで踏み込んでくるか分からない恐怖があった。自分で手間暇をかけずにあれを特等席で観られたのは、振り返ってみると意外に良い経験だったと言える。
きっとプレイヤーの彼にとっては特にそうだったのだろう。連絡がないのでこちらからDiscordで近況を尋ねてみると、いきなり自撮り動画が送られてきて驚いた。薄暗いバーと思しき場所を背景に、彼ともう一人の男が笑顔で映っている。やたら陽気な声でARGの企画者を名乗るその男は、暇人にしては僕よりひと周り年上の中年男性に見えた。
なんでも友人はついにゲームクリアを果たし、ボーナスコンテンツ――企画者のSignalアカウントに辿り着いたと言う。さっそくクリア記念の宴席が設けられて物語の感想や推理の答え合わせ、その他フィードバックを聞いているのだとか。二人で肩を組んでいる様子からすると短い間にずいぶん意気投合したようだ。ちょっとジェラシー。
彼は慣れない自撮りに緊張しているのか、しきりに目をパチパチしたり手を開けたり閉じたりしながら「次のARGの企画に加わることになったんだ。完成したらテストプレイに参加してほしい」と動画越しに頼んできた。どこの馬の骨とも知れない輩の野良ARGはごめんだが、他ならぬ彼が作るARGならやってみてもいいかもしれない。「挙動不審すぎて木」と返信した後に「できたら教えてくれ」と続けて返した。
以上が野良ARGの魅力を知った一部始終となる。ゲームの入口はあらゆる大学の構内で発見できる。新学期が始まって間もない今なら新規プレイヤーを見込んで企画の数もかなり増えているに違いない。人通りの少ない通路、使われていないトイレ、教室の隅などで、現実と虚構の狭間に繋がる鍵が皆さんを待ち受けている。