2018/06/04

洛陽を思えば

京都で上京と書くとそれは「かみぎょう」と読まれる。間違っても首都に行く意味とは見なされない。彼らにとって東京は上るものではない。むしろ東下り(あずまくだり)という言い回しさえある。千年の都を自称する気高さは伊達ではない。

そんな京都人も府外の相手ならともかく同郷で優位を保つのは難しい。下の地図の範囲内にある地域は「洛中」と呼ばれて一定の評価を得るが、ここから外れた人たちは「洛外」として実質的に外様の扱いを受けるからだ。

では洛中に住んでいれば安泰かと言えば決してそうでもない。京都御所の周囲を頂点として下っていくほど地位も徐々に下がっていき、下京区ともなれば露骨に「シモの方から来たのかね」などと蔑まれてしまう。同様に中京区も上京区には頭が上がらない。

住所だけではなく何代続けて住んでいるのかも非常に重要な要素だ。三代にわたって住まなければ京都人ではないとの主張もある。成金が上京区に移住したからといってすぐに歴史の栄誉に浴せるわけではない。

数年ごとに引っ越しを繰り返す僕のような出自の者にとっては理解が難しいこだわりだ。京都御所やその周辺は天皇の居住地だからこそ敬われているのだと思うが、もうずいぶん昔から今まで当人はずっと東京で暮らしている。主人を失った地域がどうして誇り高いと言えるのだろう。

京都人は一時的な外遊と言い張っているが、それがやや苦しい言い訳に映るのは彼ら自身もよく解っているはずだ。天皇の転居に伴って皇室御用達の職人や商売人も東京に移住してきた背景を踏まえると、長く上京区に住んでいれば一流扱いとの基準もだいぶ怪しく思えてくる。

そもそも洛中という名称自体が中国の洛陽にあやかってつけられたものなので、京都市内でどれだけ威張っていても中国四千年の歴史には敵わないと自ら宣言してしまっている。京都に行く事を「上洛」とは言うものの、実際に洛陽人が聞いたら苦笑いされるかもしれない。

結局、自身の本質と関係のない権威の張り合いは真に頂点の座を得られない限り、どうしても何らかの不満を抱えてしまうものだ。学校でも会社でも、そこでの階級意識にあまり固執しすぎると近視眼的な感性に陥りかねない。劣等感は些末な執着やこだわりからやってくる。

もしそれを抱える懸念があったらその時は洛陽を思い起こす。広い宇宙を想像して地球の問題を矮小化するように、洛陽を想像して自分の劣等感を紛らわせるのも時には良い気晴らしになる。

©2011 Rikuoh Tsujitani | Fediverse | Bluesky | Keyoxide | RSS | 小説