2021/02/25

漫画や小説のマルチエンディングは良くない

前置き

キャラクター商売というのは因果なものだ。客をコンテンツに食いつかせる重要な要素であると同時に、食いつきが良すぎて引き剥がせなくなってしまうリスクも孕んでいる。

主人公に正ヒロイン候補が複数人いる形式の恋愛モノを想定してもらいたい。こういった作品は、各ヒロインが様々な駆け引きを繰り広げるものの最終的には必ず一人だけが主人公に選ばれて大団円を迎える。(対象年齢が高い作品やWeb小説などでは重婚やハーレムに発展する場合もあるが、本旨に沿わないため例外とする)少なくとも作品世界においてこれは主人公の選択とみなされるが、メタ的な視点に立てば作者の意思に他ならない。では、唯一の正ヒロインは本当に作者の胸先三寸だけで決定しているのか、といえば、必ずしもそうとは言えない。

例えばこれが一冊の本で完結する作品だった場合、発行された時点で結末は確定しているため、読者が介入できる余地はないと思われる。しかしライトノベルや漫画など長期連載が前提の作品では、作者は否が応でも読者の声を聞きながら話を作っていくことになる。もし公式で人気投票でもやろうものなら、これはもう、各キャラクター間の格差が如実にはっきりしてしまう。仮に作者が正ヒロインを前もって確定させていたとしても、純粋に売り上げを考えるのであればこの声に抗うのはかなり難しくなるだろう。

逆に、むしろ正ヒロインを確定させないまま話を続け、各キャラクターの人気順で展開を変えるというアプローチも考えられる。このような作品はかなり昔からあったし、SNSが発達した昨今では当たり前に想定されていると言っていい。当然、それに賭けた読者は自身の気に入ったキャラクターの出番を増やそうとして、あれこれ熱心に活動するようになる。そうなればバイラルマーケティングも兼ねられるので、版元にとってはまさに一石二鳥だ。

ここまでは大いにけっこうな話に思える。ところが、十分に人気なヒロインであっても主人公に選ばれなかったり、当初からサブヒロインとして造形されたキャラクターであったために人気度で正ヒロインを上回っていても選ばれる余地がなかったりなど、物語が市場原理に沿わない事例も未だ見られる。(これは皮肉である)本来、こんな時は諦める以外にないのだが、熱量を持て余したファンからさらに資本を回収すべく、ここ十数年の間に別業種から画期的な技術が輸入された。それがまさしくマルチエンディング方式なのだ。

別業種……いわゆるエロゲー、ビジュアルノベルの世界では、正ヒロインとはプレイヤーが自発的に選ぶものとして当然に認識されている。事実上の正ヒロインが決まっている作品でも、関心がないなら目当ての子だけ攻略すればいい。サブヒロインの人気が十分であれば単独作品が制作されることもある。こうした仕組みを漫画や小説にも部分的に取り入れようという試みが、先述のマルチエンディング方式にあたる。ところが、これは決してまともに機能しない。

二叉槍問題

僕はマルチエンディング方式を採った漫画や小説のストーリーラインを「二叉槍」と名付けることにした。各ヒロインのルートを直線で表すと、必ず最後の最後だけで分岐する形になるからだ。これが良くない。 三人目の個別ルートを設けた作品の場合は「トライデント(三叉槍)」になってなんだかちょっとカッコいい感じになるのも腹立たしい。

ビジュアルノベルではいくつかの選択肢を選ぶまでは「共通ルート」を進んでいく。そのうち要となる選択肢を皮切りにルートが分岐していきやがて一つに確定する。そして物語全体の分量としては、基本的に分岐してからが最も長くなる。当たり前だ。そうでなければ、主人公が惹かれる過程や各ヒロインの魅力を伝えきれない。 従って、ビジュアルノベルのストーリーラインはさしずめ枝の長い樹に近い形になる。

漫画や小説のマルチエンディングは樹にはなれない。樹になろうとしたら、物語の前半からXルート編、Yルート編、などと銘打ってそれぞれ別の本を出版することになる。異常な手間だ。他のルートと一部のシーンを共有したとしても、ビジュアルノベルのようにオートスキップはできない。すべて新規で書き上げようものなら作者が過労で倒れる。そもそも不人気なルートは売り上げが振るわずに途中で打ち切りになるだろうから、これらを一つの作品として成立させること自体がひどく困難だ。

以上の理由から漫画や小説のマルチエンディングは二叉槍かトライデントになるしかない。本来の正ヒロインが確定する少し前の時点に時計の針を戻し、そこから別のヒロインとくっつく展開を継ぎ足していく……。だが、少なくとも主人公は様々な積み重ねの末に一人の正ヒロインを選んだのではなかったか? そんな最後の最後、ちょっとした展開をいじったくらいで正ヒロインまで変わってしまうとしたら、これまで各キャラクターがやってきたことは一体何だったのだろうか? その作品の主人公は、そんなちゃちな動機で付き合う相手を選んでいたのか?

総括

そういうわけで僕は、漫画や小説にはマルチエンディング方式を採用すべきではないと思っている。この手法は、表面的には特定のファンの願望を叶えるものであり、作者の側にも収益が見込めるので一見誰も不利益を被っていないように見える。しかしその実、手塩をかけて育んできた物語の完成度、キャラクターたちの意思、主人公の選択……そういった大切な要素を、まるっきり毀損してしまっているのだ。その辺りに目端が利く版元は、しっかりビジュアルノベル化の企画を通して本筋とは別に展開させている。それでいい。

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