ただし、当たりを引くまで密室から出られないものとする。
ストーリー説明
君はうだつの上がらない大学生だ。典型的なFラン学生として怠惰な日々を送っている。気づけば既に4年生。なにか新しい技能の習得に精を出すでもなく、若者の青春を謳歌するでもない。そういう手合いには冷ややかな視線を浴びせ、おれはあんな必死こいた連中とは違うんだと硬派を気取ってみる一方、コンビニ店員や現場仕事の作業員は露骨に見下している。
それもこれもすべては親ガチャに失敗したせいだ、と君は愚痴を漏らす。ああ、おれの親がもっと優れていたらなあ! そうしたらおれは今頃、もっとイケメンで、もっと頭が良くて、きっと恋人も友達も向こうから寄ってきて、こんなつまらん人生なんて送ってないだろうになあ! だが、現実は現実であった。 君の親はごく平凡なサラリーマンで、Fラン大学の学費もあくせくしながら支払っている。
このままだと、おれの人生も先が見えているな、と思う君。とはいえ特にやりたいこともないし、そもそもできれば働きたくない。そんな君に、人生を好転しうる一攫千金のチャンスを与えようじゃないか。ルールは至極簡単――密室に配置されたボタンを押す――これだけだ。見事に当たりを引くと、1億円もらえる。 再び押せば、さらに続けることもできる。2回目も当選すれば合計2億円だ。
デメリット? 当然、あるにはある。密室に一度入ったら、当たりを引くまで絶対に出られない。 君は事前になにも持ち込めないし、部屋には誰も来ない。まあ、でも大した問題ではないさ。当たりさえ引けば出られる仕組みになっているのだから。それに、1億円だぞ? 資格試験の勉強に余念がない知り合いのA君や、君が密かに好意を寄せていた子を奪った内定獲得済みのB君も、1億円なんて到底得られない。
おっと、言い忘れていた。当たりを引ける確率は、$n$回押すごとに$(\frac{1}{2})^n$だ。 なんだかピンと来ないって? なあに気にすることはない。さあ、早く部屋に入ってボタンを押すんだ。すぐにでも君は億万長者になれる。
このゲームは本当に割に合っているか?
まず 「$n$回押すごとに$(\frac{1}{2})^n$の確率で当たる」 の意味を考えよう。単純に考えて、初回で当たる可能性はかなり高い。1回目の当選確率は$\frac{1}{2}$の1乗、すなわちそのまま$\frac{1}{2}$だ。50%の確率で1億円が手に入る。 君がぼちぼちツイていれば即座に億万長者ということになる。
では、万が一外れたら? まだ心配するほどじゃない。2回目の当選確率は$\frac{1}{2}$の2乗、$\frac{1}{4}$だ。まだまだ当たる見込みは十分にある。既に1億手に入れた君も、もう1億狙って再挑戦してみてもいいかもしれないぞ? ただし外れを引いたら次に当てるまでまた閉じ込められるからな。そこは注意するように。
2回目も外れたって? そうなると、3回目の当選確率は$\frac{1}{2}$の3乗、$\frac{1}{8}$だ。だいぶ厳しくなってきたな。え、また外れた? 4回目は$\frac{1}{2}$の4乗だから、$\frac{1}{16}$だぞ。5回目は5乗で$\frac{1}{32}$、その次は$\frac{1}{64}$……。
そろそろ顔から薄笑いが消えてきたんじゃないか? もう判るよな。このゲームは、まともに当てられそうなのはせいぜい3回目までだ。そこまでで部屋から出られなかったやつは、だいたい一生出られない。ボタンを連打してもいいかって? 別にいいよ。だが押せば押すほど累乗していくからな。毎秒1回ずつ連打しまくったら1分間で60回押せるけど、$\frac{1}{2}$の60乗っていくつになると思う?
答えは$\large\frac{1}{1152921504606846976}$だ。 ……ちなみにその部屋はミサイルの直撃にも耐えられる核シェルター仕様だから、ドアや壁をひたすら殴っても絶対に出られないよ。君が餓死するまでせいぜい2日か3日ってところかな。どんなに連打したって確率は下がり続ける一方だから、無駄な真似はやめた方がいい。
さてはて、学生生活に躓いたくらいでこれほどのリスクを背負うのは果たして割に合っていたのかな。よくある勘違いは、2回目以降の当選確率を$\frac{1}{2}$の$n$乗の総和と考えてしまうことだ。 2回目の当選確率そのものは$\frac{1}{4}$で間違いないが、初回を外した後に2回目で当たる確率は$\frac{1}{4}$ではない。$\frac{1}{2}$と$\frac{1}{4}$の積事象なので、$\frac{1}{8}$だ。同様に、3回目で当たる確率は$\frac{1}{64}$となる。
よって3回目以内に脱出できる確率は、それぞれを足して$\frac{41}{64}$。ざっくばらんに言って、6割4分の確率で最低1億円を得られる代わりに3割以上の確率でほぼ死ぬ。 なんせ4回目以降に当選できる可能性は5%程度しかない。
もう一度訊く。このゲームは本当に割に合っているか?
シミュレータを作った
せっかくなので簡単なシミュレータを作ってみた。こいつは決して死なないから気軽にバカスカ押してくれたまえ。大抵は当選できるが、意外に外れ続けることもなくはないと判る。
See the Pen Untitled by Rikuoh Tsujitani (@riq0h) on CodePen.
なお、1000人のプレイヤーが1億円を獲得して生還するか、もしくは餓死するまで押し続けた場合の結果は以下の通り。生存中に押下できる見込み回数は1万回としたが、見ての通りまったく意味はなかった。
初回当選回数 | 生還者 |
---|---|
1〜3回 | 654 |
4〜9回 | 45 |
10〜59回 | 3 |
60回〜 | 0 |
もし君が超人なら
仮に君が無限大の概念を扱える超人だったとしよう。強すぎて暇を持て余した君は気まぐれにボタンを無限回押してみた。すると、一体どうなるのか? まずは単純な例で考えてみよう。
■当選確率が常に$\frac{1}{2}$の場合
当選確率が$\frac{1}{2}$のボタンを無限回押した時、その和事象は初項$\frac{1}{2}$、公比$\frac{1}{2}$の等比数列と捉えられる。この数列の級数は必ず1に収束することが知られている。
$\large\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\frac{1}{8}+\frac{1}{16}… = \sum_{n=1}^{\infty}(\frac{1}{2})^n=\frac{\frac{1}{2}}{1-\frac{1}{2}}=1$
というとなにやら小難しそうだが、なんのことはない。半分の確率で当たるボタンを押しまくったら、めちゃくちゃ運が悪くてもいつかは当選しそうだろう? その感覚は数学的にも正しいってこと。
試行回数が100回や1000回だと厳密には1にはならないから「必ず」とは言い切れないが、無限なる概念を引っ張ってきて構わないのなら必ず当たると言ってしまえる。 これはそういう話なんだ。じゃあ、今回のケースだとどうなるかな?
■当選確率が$n$回押すごとに$(\frac{1}{2})^n$の場合
結論から言うと1にはならない。$n$回押すごとに$(\frac{1}{2})^n$の当選確率では試行回数を重ねるたびに足される数が急速に小さくなっていくため、1より低い値に向かって確率は収束する。この数列の一般項は$2^{-\frac{1}{2}n(1+n)}$で、級数は下記の通りになる。
$\large\frac{1}{2}+\frac{1}{8}+\frac{1}{64}+\frac{1}{1024}… = \sum_{n=1}^{\infty}2^{-\frac{1}{2}n(1+n)}=\frac{\vartheta_2{(0, \frac{1}{\sqrt{2}})}}{2^\frac{7}{8}}-1≈0.64163$
なんと無限回押しても確率は全然変わらない。 雑にイメージするなら膨大な試行回数によってブワーッと確率が収束するところに、累乗の悪魔が上からググーッと手で圧力をかけて抑えつけているような格好だ。
たとえ無限大の概念を扱える超人でも累乗には抗えない―― いかにも数学のダイナミクスを感じさせてくれる話じゃないか。まあ、そんなスーパーパワーの持ち主ならボタンを無限回押すとかしょうもない真似をしてないで、もっと他の楽しみを探せばいいと思う。高次世界の神と対決するとか。知らんけど。