2021/12/20

感想「マトリックス・レザレクションズ」:ほとんどメタい

歴史的興行成績を獲得しながらも視聴者の大半がストーリーを理解していないことで知られる「マトリックス」シリーズの新作が、ついに公開された。ほとんどの視聴者にとって「マトリックス」とはクールな黒装束に身を包んだキャラクターがカンフーアクションを繰り広げるエンタメ作品だ。

事実、そのような表面的な見方でも十分に楽しいからこそ本シリーズは圧倒的な知名度を得たのだし、われわれ小うるさいオタクも先駆的なSF映画を楽しむ機会に恵まれた。初動で失敗してセルビデオで盛り返した「ブレードランナー」などの例外はあれど、もし当初の企画通り、かの有名なSF小説「ニューロマンサー」の忠実な映像化に徹していたら後世の作品に今ほどの影響は及ぼせなかっただろう。

マトリックスシリーズ前史のストーリーはざっくばらんに言って、下記の流れに集約される。機械に支配された人類や、現実と見紛うリアルな仮想世界といった設定自体は'90年代当時でさえ既にありふれたものだったが、本シリーズの新規性はそこへ嫌らしささえ感じる皮肉的な構造――機械と人間の歪な共依存関係――現実と虚構の相互作用を、圧倒的な映像でもって導入したところにある。

21世紀初頭に人工知能が生まれる。

発展した人工知能はあらゆる分野で人間の能力を凌駕し、人類の反感を買う。

最終的に人類と機械の間で戦争が勃発するも、人類側は劣勢に追い込まれる。

人類は太陽光エネルギーで動く機械軍を抑制すべく空を分厚い雲で覆う。

機械軍は代替エネルギーとして人類の生き残りを捕獲、管理して栽培しはじめる。(人間の電池化)

人間はある程度の刺激を与え続けなければすぐに死んでしまうため、機械は人間に夢を見せることにした。(マトリックスの誕生)

初期のマトリックスは理想郷のような世界だったが、苦しみや葛藤なくしては人間から十分なエネルギーを取り出せないことが判る。

改善が施されたマトリックスは20世紀末の現実世界をシミュレートするに至った。(マトリックスの安定)

以降、マトリックスは5回にわたり再構築を繰り返してきた。われわれの知る主人公ネオは6回目、すなわちバージョン6のマトリックスに投入された人間だ。それも救世主として。救世主とは、人類の希望ではなく機械がマトリックスの潜在的なバグを発見するために作り出した意図的な存在に過ぎない。むろん、ネオ以前のバージョンにもそれぞれ救世主は存在しており、そのすべてが与えられた役割を果たしてきた。このことはシリーズ第2作「リローデッド」で語られている。

救世主の「与えられた役割」とはなにか。それは、マトリックスのデバッグである。 マトリックスがより現実に近い存在になるためには、現実と同じくらい不確実でなければならない。つまり、マトリックスに投入した人間を完璧に管理しようとするのではなく、手に余る危険因子はさっさと外に追い出してしまうのだ。彼らにとっては命がけの逃走、選ばれし者ゆえの覚醒だが、すべては機械が仕組んだ演出に他ならなかった。

まとめると、機械と人類の戦争はある時点からループしている。計画的に解放された人々が抵抗運動を盛り上げ、マトリックスに不正侵入して囚われた他の人間を助け出そうとする。救世主はその運動をリードし、様々な経験を経てデバッグに必要なデータを蓄積していく。

やがて「預言者」の誘導により救世主は「設計者」と対面させられて真実を知り、データの供与と引き換えに次回のループを引き起こす。ここでマトリックスは「リロード」される。機械軍は既存の抵抗運動を滅ぼし、救世主は次回の解放者たる女16人男7人を新たに選出する。こうして人類の物語は最初に巻き戻される。

というのも、抵抗運動が大きくなりすぎるとマトリックスは不可逆的な破綻に陥り、マトリックス内を含む全人類が死に追いやられてしまうからだ。かといって抵抗運動を起こさなければマトリックスは安定しない。どの場合でもマトリックスが機能不全に陥ればいずれ機械も滅ぶ。まさしく人類と機械の歪な共依存関係を表している。戦争は決して終わらない。永久に。

これは、侵入者や不要となったプログラムを消去するために強大な権限を与えられた「エージェント」さえ与り知らぬ話だった。このループ構造はマトリックスの「設計者」と「預言者」の間でのみ取り交わされた密約であった。

ところがバージョン6のマトリックスにおいて「預言者」は以前とは異なるアプローチをとり、誰にも気取られず革命<レボリューション>を成就させた。救世主ネオは死んだが6回目のザイオン人は生き残り、ループは破壊された。

さらに詳しい解説はこのあたりの記事に譲るとして、作中の台詞から得られるマトリックスの基本的な知識は以上となる。

新作のあらすじ

実のところ、救世主ネオは死んでいなかった。船の墜落に伴い死亡したはずのトリニティもまた、死んでいなかった。彼らは再びマトリックスに囚われていたのだ。「革命」が成就し、マトリックスの虚構に気づいた者は自由に解放されるまでに至った現在、豊富なエネルギー供給源を失った機械軍は内戦の憂き目にあっていた。

そこで新しい「設計者」が目をつけたのが救世主ネオとトリニティのもたらす相互作用である――極めて強力な絆で結ばれた2人は、通常の人間とは比べものにならないエネルギーを供給した。しかし両者をあまりにも密接に近づけさせると勢い余ってマトリックスを破壊してしまいかねない。よってバージョン7のマトリックスではより綿密に演出が作り込まれた。

この世界でのトリニティは夫と子を持ち、とても安定した暮らしを送っている。バージョン7の環境において、2人は喫茶店でたまに顔を合わせる程度の間柄でしかなかった。かつてのネオ、トーマス・アンダーソンは大人気ゲーム「マトリックス」シリーズを作り上げた世界的クリエイターだが、精神に重度の疾患を抱えておりセラピーの受講や投薬治療を余儀なくされている。同僚の助けを借りてなんとかトリニティとの会話にこぎつけるも、相手の家庭が気がかりでなかなか踏み込めない。他に趣味もなく、彼は病を押してでも仕事に打ち込むしかなかった。

ある時、ゲーム開発の一環で「モーダル」と呼ばれるサンドボックス的なテスト環境を作成したところ、現実では既に死去しているモーフィアスと同等の機能を備えたキャラクターが意図せず生まれた。「モーダル」内では初代マトリックスの冒頭シーンが再現されており、偶然その場所に不正侵入した登場人物らとの邂逅を経て、内部で「エージェント・スミス」の役割を演じていたキャラクターが「モーフィアス」としての自我に目覚めたのだ。

トーマスは時折脳裏をよぎる「救世主だった頃の記憶」を妄想と思い込んでいたが、その実まったく自覚のないままモーフィアスを再構築していた――革命から60年以上が経過した現実の世界は機械軍と冷戦状態を保ちつつ平和に繁栄していたが、今なおネオを取り戻すべく奮闘している一派もおり、彼らはこの偶然を利用することにした。

やがてトーマスは自分がテストで作成したキャラクターと瓜二つの人間に出くわして困惑する。果たして、トーマスは新バージョンのマトリックスから脱出できるのか。そして、同様に囚われたトリニティを助け出すことができるのか。

ほとんどメタい

本作がわれわれに示したストーリーに新規性らしき要素はほとんど認められない。なるほど確かに映像は新しくなっている。20年もの年月の間に進歩を遂げたCGはいかにもリッチで迫力があったし、思わず「そうはならんやろ」とツッコみたくなるような空中浮遊も堅実な形に修正されている。もし諸君が「マトリックスとは派手な映像を楽しむだけの作品」と捉えているのなら、限りなく100点に近い満足感を得られるかと思う。なにしろ「マトリックス」のブランドで引っ張ってこられる予算は莫大だ。本作と同水準の画作りを達成できる映画は滅多にない。

しかし皮肉にもこの惜しみない映像技術への称賛が、読む者にとってはかえってシナリオの不出来さ加減を予期させることになるだろう。残念ながらそれは事実だ。肝心のストーリー部分の陳腐さときたら、あえて映像美との対比を狙ったのかと邪推してしまうほどだ。われわれは他の映画で、ゲームで、漫画で、この手の展開を見てきている。ある作品の中で作品自身のことが言及される――いわゆるメタ要素というやつ――は今や巷であふれかえっている。多少積み方を変えた程度では一山いくらにもならない。

本作で登場人物らがドヤ顔で 「なんならマトリックス5もありえる」 だとか 「ワーナー・ブラザースが圧力をかけてきている」 といったメタい台詞を吐いた時、僕は割と深刻にがっかりした。これらの台詞は映画がはじまってから30分と経たないうちに12chスピーカーから盛大に吐き出されたので、あと2時間もこんなノリに付き合わないといけないのか、と全身を悪寒が襲った。万が一にでも、ここから過去作が描いたダークでシリアスな雰囲気に回帰する見込みはないと確信したからだ。しまいにはメロビンジアンが 「スピンオフで待ってるぞ」 とか言い出す始末だ。ほとんどメタい。 メタ要素で作品が塗り固められている。

僕はこういう雰囲気の映画をよく知っている。マーベル映画だ。 あの手の映画はどれも古いアメリカンコミックをベースにしているせいで、どうしても自己言及なくしてはやりきれない場面が出てくる。ある種のお約束を理解しなければ、国旗がモチーフのピチピチスーツを着た正義のヒーローなんて今時受け入れられないのだ。前提の共有のないままシリアスになられても視聴者は白けるばかりか、むしろ疎外感さえ覚えてしまう。だからこそマーベル映画ではしばしばセルフでツッコミを入れて 「君らの素朴な疑問はもっともだ――確かにこのスーツはダサい」 などと共感を示してやらなければいけない。そういう積み重ねを経て、ようやく視聴者もその気になってくれる。

どうやらマトリックスは誤ってそんな世界観に入り込んでしまったらしい。古参のファンに向けては過去作のシーンを適当に挟んでサービスし、新規の視聴者に対しては自虐ともとれるセルフ・ツッコミで作品世界への合意を取り付けようとする。おそらく今時分はこうした話作りこそが親切で手の行き届いたものとみなされるのだろう。だが、僕にとっては臆病さの裏返しにしか見えなかった。過去作が見せてくれたエンターテイメントと新規性の両立ではなく、ただひたすら商業的な動機のみが見え隠れしている。

厳しい言い方をすれば本作はあまりにも視聴者に阿りすぎている。SFっぽいフレーズやギミックはふんだんに散りばめられているものの実質利用されることはなく、映像面でのインパクトが薄いシーンはダイジェストでばっさりカット。マーベル的なノリを借用しても本物ほどノリきれていない。後にはなにも残らない。過去作がもたらしたような価値観の変革は起こらない。阿る者に価値観を変えうる余地などありはしない。

まぜるな危険。 逆にマーベル作品をマトリックスじみたカルトテイストな雰囲気で映画化したらそれはそれで具合の悪そうな映画になっていたに違いない。これはマーベル的要素それ自体の優劣ではなく、両者の相性の問題なのだ。

辻褄はだいたい合っている

シリーズ完結作「レボリューションズ」が公開されて以来、インターネット中のありとあらゆるBBSで様々な考察が交わされてきた。そのうちのいくつかは仮想世界マトリックスの将来像を語るものだった。ラストシーンでの「設計者」と「預言者」の会話が真実なら、解放されるのは必ずしも人間ばかりではない。なぜならプログラムの中にもマトリックスの支配から逃れた存在――「エグザイル」がいるからだ。彼らには外すべきプラグが存在しないが、工夫次第では現実の世界を体験できなくもない。この予想は実際に的中した。新作では磁気共鳴を活用した技術でもって人間とプログラムが共に生活している。

また、前述した機械同士の内戦もよく話に上がっていた。望む者がすべて解放されるのなら電力の不足は避けられない。マトリックスの機械は知性が非常に発達しているので、ひとたび生存の危機に陥れば指揮系統に反して下剋上を狙う個体が現れてもおかしくはない。他方、機械軍の上層部は内戦を沈静化させるためになにか手を打つ必要に迫られるはずだ。「レボリューションズ」の最後で一度死亡したネオの遺体が、機械にあたかも貴重品を扱うがごとく運ばれている様子から「救世主ネオの再利用」を予想した者はかなり多かった。言うまでもなく、これも的中している。

逆に不自然なのは新作における「預言者」の扱いだ。作中では「削除された」と言及されるに留まり、およそ革命の成功者とは思えない悲惨な結末を迎えている。過去作で描かれた壮大な革命は「預言者」の自己犠牲ではなく、むしろ自身の安定的生存を目論んでのことである。6回目のザイオン人が生き残れたのはあくまで結果論に過ぎない。その「預言者」があっさり削除されてしまっているのはどうにも腑に落ちない。なんせBBSの同志たちと積み重ねてきた考察はどれも「預言者」を黒幕に置いているため、ここがひっくり返されたら困るというのが小うるさいオタクとしての正直な気持ちだ。

総括

20年ぶりの新作「マトリックス・レザレクションズ」は過去作のダークでシリアスなカルト的雰囲気から一転して、マーベル映画風の快活さを取り入れた爽やかなファミリームービーに仕上がっている。そこには新たに読み解くべき謎もメッセージも存在しない。週末に友人や家族連れで訪れてポップコーンを口いっぱいに頬張りながら、令和最新のCGとアクションを楽しむには適した映画だと思われる。総合評価は100点満点中で65点。30点はすばらしい映像美に、もう30点は思い出補正に、最後の5点は牧歌的ストーリーに贈りたい。

©2011 Rikuoh Tsujitani | Twitter | RSS | 小説