2025/04/14

論評「漁村の片隅で」:特権性の自覚

誰しも己の特権性を自覚するのは辛いものだ。自分の成功はまるきり自分ひとりの手柄だと信じ込みたいし、逆に自分の失敗は不運や周囲の環境、ひいては社会や国家に帰責したくなる。たぶん、いくらかは双方ともに事実なのだろう。卓越した成功は相応に自己研鑽ゆえであり、愚かな失敗は相応に不運や環境が招いている。現代社会の成り立ちは複雑怪奇でどんな成功や失敗も一人では抱えきれない。 しかし、あまりにも奇跡的な実例を目の当たりするとそういう中庸っぽい考え方がただの御為ごかしにしか感じられなくなってしまう。「みんな辛いのは同じなんだ」と先進国の中心で熱唱すれば肩を組んで一致団結できるかと思いきや、世界の片隅に属する人々の辛さは明らかに同等ではない。我々が空気を吸うかのごとく得ている物事が、彼ら彼女らにとっては宝石に値するほど得難い贅沢品なのだ。本作の物語はそれをまざまざと体現している。 Read more

2025/01/30

論評「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」:僕はガンダムもエヴァも嫌いだ

あらかじめ言っておくが僕はガンダムもエヴァも嫌いだ。まず、ミリタリーなんだかオカルトなんだか結局よく分からないところが気に入らない。言うまでもなく、ファーストガンダムの革新性は「白衣を着たひげもじゃの科学者だか秘密結社だかが頑張って作った」みたいな解像度に留まっていた”ロボットアニメ”をミリタリー作品の水準に押し上げたことだった。 つまり、”ロボット”――モビルスーツは作中の軍需企業が製造し、資金は政府が拠出している。事前の計画やデータに基づいて設計が行われ、必要に応じて中断や改良、量産化もありえる。殊に量産化の概念は本作の”ロボット”が操縦者の相棒でも友達でもなく、純然たる兵器、道具に過ぎない事実を効果的に打ち出している。 Read more

2024/09/11

ターミネーターシリーズの思い出を語る

現在、Netflixで「ターミネーター0」が公開されている。なんとあのターミネーターシリーズの最新作がアニメでやっているのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。アニメファンが世界中に増えたのも理由の一つには違いないが、より大きいのは本作の不可侵性がもはや失われたことだろう。 ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名な映画であると同時に、幾度となく公式で解釈の変更が繰り返された作品でもある。たとえばターミネーター3は2の続編だが、実は主人公の年齢すら食い違っている。さらに言うと、4は3の続編、ドラマ版は2の続編、ジェニシスは1のやり直し、ニュー・フェイトは2の続編のやり直しだ。 Read more

2024/06/27

論評「哭悲」:二段構えの地獄

先週の土日はまことにファックネス(ファックの抽象名詞)であった。オフィスで蔓延していた喉風邪の煽りを受けて療養を余儀なくされていたのだ。子どもの頃は居間に布団を敷いてもらって普段は観られない平日のテレビ番組や映画などを楽しんだものだが、なぜか今はそううまくいかない。話がてんで頭に入ってこないのである。 あるいは、もしかすると在りし日の少年陸王は話の内容を捨象して映像の動きだけを追っていたのかもしれない。昔も今もカメラワークにうるさい性格だった。それはともかくとして、日曜日の昼あたりには体調不良なりに映画を観てもよい体制が整っていた。こういう時に観る映画はとことん過激なものでなければならないと僕の中では決まっている。 Read more

2024/06/18

論評「ヒトラーのための虐殺会議」:流血なき血なまぐささ

あらすじ 本作はナチス政権下で行われた「ヴァンゼー会議」をもとにした作品である。ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔にちなんで名づけられたこの会議では、親衛隊の将校ならびに事務次官などナチスドイツの中枢を支える高官たちが一堂に会している。 戦争のさなか多忙を極める彼らが今回招集された理由は、かねてよりヒトラー総統が掲げる「ユダヤ人問題」の「最終的解決」を討議するためだった。風光明媚な景観を湛える邸宅の中、ランチタイムを挟んだ90分の議論でユダヤ民族の絶滅計画が作り上げられたのだ。 Read more

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