2022/01/19

2009年を振り返る

つい昨年の出来事を顧みられるほど濃厚な人生は送っていない。僕が振り返るのは夢と希望に満ちあふれ、Microsoftを無駄に敵視していた13年前のあの頃だ。

2009年1月。 Twitterアカウントを開設した理由は、当時遊んでいたPCゲームのフレンドに誘われたからだった。その頃のやりとりを再現すると大方こんな具合になる。

「Twitterって知ってるか」
IRCの雑談チャンネルで出し抜けに言ったのは僕より2歳年上の先輩フレンドだ。小生意気な中学3年生をやっていた僕はIRCクライアントの入力欄ではなく、Google検索のツールバーにせこせことキーワードを打ち込んだ。ほどなくして『Twitter』なる奇っ怪な発音をする代物の概要を突き止めると、さも知ったふうな体でようやく返答を書いた。

「流行ってるらしいね。mixiみたいなやつだ」
「いや、全然違うよ。さてはググったなお前」

付け焼き刃、と形容するにも脆すぎる刃はたちまち打ち砕かれた。「ソーシャルネットワーキングサービスには違いないだろ」と生煮えの定義論を振りかざす僕に、彼は数十行分もの手間をかけて滔々と説明してくれた。曰く、TwitterはmixiともMyspaceともFacebookともまったく異なる新規性を持つらしい。交流サイト特有の堅苦しさがなく、とりとめのない投稿を気軽にできる仕様が特徴になっているそうだ。その仕様というのが……

「140文字しか書けない?」

僕は脊髄反射的にタイプした。続けて「誰が使うんだそんなの。日記すらまともに書けないだろ」と反論を繰り出した。先輩フレンドも負けじと「どんなにくだらない内容でも字数制限があるならしょうがないかなって気になるじゃんか」と応戦する。

僕は僕でテキストについて一家言あった。この頃、僕は既に自前のブログで狂ったように中二病テキストを書き散らしていたので、低品質な文章の増産を助けるようなサービスは受け入れがたかったのだ。むろん、当時の僕は自分のテキストを文学だと信じて疑っていなかった。あー、こういう時期のことを思い出すと心臓がキュッと締め付けられるね。

「長けりゃいいってもんじゃないよ、面白い文章ってのは」
丁々発止の末、先輩フレンドは意味深な発言で僕の言い分を抑えて最後にこう言い残した。
「まあ、とりあえずアカウント作っとけよ。なに書いたって誰も怒りはしないしさ」……IRCの仕組み上、ログアウトした相手に向かって反論を書き連ねても意味がない。受験勉強のために間もなく切断を余儀なくされた彼と戯れるのは当面お預けとなった。

議論の熱量はそのままに宙ぶらりんとなった僕の手先が、衝動的にTwitterの登録フォームへと向かったのはそんなにおかしい話ではないと思う。とにかく使って触れてみないことには優位に立ちようがない。かくも子供じみた負けん気が、その後13年続く異常個体アカウントを生んでしまったのだ。

実のところ、作法に慣れるまでTwitterは本当に不便だった。外部サービスなしには画像も添付できず、日記を書くにしてもやはり文字数が足りないため時間単位に分割せざるをえない。そうして生まれたのが「〜なう」だの「〜わず」だのと言った、今では加齢臭さえ感じさせる平成のネットスラングだ。もっとも、2009年頃にスマートフォンはほとんど普及していなかったので、ガラケーかポケットPC(死語)で頑張らない限り「なう」には相当なタイムラグがあったと考えられる。

ところでポケットPC(死語)といえば2009年1月に発売されたSONYの新製品「type P」が未だに記憶に新しい。小型軽量をアピールするために自社製品を無理やり尻ポケットにねじ込まんとするひたむきさが高く評価されていた。2ちゃんねるでは当然ボロクソに叩かれまくったが、わずか8インチの筐体に1600×768ドットの高解像度ディスプレイと2GBのRAMを詰め込んだのは今思うとなにげにすごい。

スマートフォンの方ではiPhone 3GSが2009年6月にリリースされている。もし2ヶ月早く来ていたら僕はガラケーなんぞ選ばず初手でiPhoneを買ってもらっていただろう。しかし誠に遺憾ながらタイミングが折り合わず、僕のスマホデビューは翌年のiPhone4発売まで持ち越されることとなった。おまけに「1年で買い換えるなら自腹で買いなさい」と告げられ、やむなくアルバイトにも手を染めた。

コンピュータ分野ではWindows7が同年9月に発売開始された。あまりに高い推奨動作環境が災いして総スカンを食らったWindows Vistaとは事情が異なり、運良くコンピュータの性能向上が追いついたおかげでWindows7は事実上のXP SE(セカンドエディション)として広く受け入れられた。どういうわけか僕の初めてのツイートもWindows7への言及である。たとえMicrosoftが嫌いでも、PCゲームを遊ぶ以上はWindowsの動向を注視せざるをえなかったのかもしれない。

政権交代も起こった。当時の僕の知識では理解がおぼつかなかったが、民主党政権が実施した授業料無償化には後々けっこう助けられた。製造業にかなりの打撃を与えたとされる円高放置も、僕にとっては自作マシンのパーツを輸入したり洋ゲーをドル建てで買うぶんにはむしろ好都合だったりして、政治は誰が担っても損をする人と得をする人が生まれるのだなと素朴に感じたものだ。

そういえば、eスポーツの大会にも出たんだった。記事の冒頭で触れたPCゲームとはQuake Liveというスポーツ系FPSのことで、僕はこいつがまあまあうまかった。近年のめちゃくちゃ立派な協賛企業盛りだくさんの大会とは到底比べものにならない小規模なコミュニティ大会だが、それでも決勝戦ともなると幾ばくかの緊張感があった。検索してみたらニコニコ動画にまだ動画が残っていた。

他にはなにがあったかな……あー、スタートレックのリブート映画があった。 CGに嘘臭さを感じない映画を観たのはこれが初めてだったな。スタートレックっていうのは'60年代のSFドラマが原点で、それはもうありとあらゆる作品に影響を与えまくっているんだけども、タイトルの認知度はともかく実際には観たことがない人が多いんじゃないかと思う。さすがにオリジナルを今更辿るのはキツいだろうから、もし気になったらぜひ2009年のリブート映画を入口にしてくれたまえ。ワープシーンがむっちゃカッコいいんだ。


……そろそろTwitterの話に戻るか。

2022年現在に答え合わせをすると、かの先輩フレンドの主張は半分当たって、半分外れたと言える。Twitterは確かに流行った。とりわけ日本語圏においては最大規模のSNSにまで成長を遂げた。たった140文字しか書けない制約が、かえって参加のハードルを低くしたとの見立ては正しかった。今後もしばらくは廃れないだろう。かつて対抗馬として有力視されていたMastodonは、インスタンス運営の困難さゆえTwitterを置き換えるほどには至らなかった。

他方、今もなお「なんでも気軽に書けて、誰にも怒られないSNS」かと言われたら……大いに疑問だ。むしろ、正反対になった。 今時分のTwitterはうかつに発言をすれば、どこからともなく無駄に組織だった連中が出張ってきてバチボコに殴られる場所と化してしまっている。妻に高級チョコレートをプレゼントした惚気話を書いたらフェミニズム論争に巻き込まれた、なんてSF作家でも思いつかない奇天烈な展開だ。

炎上が日常的になった理由は色々考えられる。情報端末の全人類的な普及が本来要求されるべきリテラシーの壁を破壊したのだとか、はたまたあらゆる格差に伴う分断が階級闘争を加速させているのだとか。もっとシニカルに見る向きでは、もともと人間のコミュニケーションなどそんな程度のものだった、ただ広く可視化されただけだ、なんていうのまである。

僕が思うに、一番悪いのはリツイート機能とかいう代物だな。2009年時点では知る人ぞ知る非公式機能に過ぎなかったが、晴れて2010年に公式で実装されて以降は誰も彼もがワンタッチで情報を拡散するようになった。だが、この時に拡散されるのは情報ばかりではない。憎悪も怒りも同時に拡散される。リツイートの数はしばしばそれらを正当化しうる根拠ないしは権威として利用された。なにしろ、その権威の一員に加わるのに言語化が一切いらないのだ…… ただ指を押し込むだけで直ちに参入できてしまう。21世紀の邪悪な発明は、ついに笠を着込む手間さえ省略せしめた。

ここ数年の間にTwitterを始めた人たちが2009年のタイムラインを見たらきっとびっくりするだろう。ユーザの多くはITエンジニアか新しもの好きの若者で、まさに「ツイート」――鳥のさえずりと呼ぶに相応しい、のどかで知的な雰囲気に満ち足りていた。一方、2022年現在ときたらよほどフォローを厳選しなければ必ず悲鳴か断末魔を目に入れる羽目になる。「ツイート」ではなく「スクリーム」と言い表す方が妥当なユーザの一人や二人はすぐに思い浮かぶはずだ。

なあTwitterさんよ、今からでも遅くないから思いきってリツイート機能を廃止してみないか。そりゃあ僕だって自分の書いた記事がRTされたらすっごく嬉しい。 あえて気に留めていないふうを装っているが、実際に通知が飛んできたらその日一日はずっとウキウキワッショイでいられるほどだ。純粋なニュースでなければインフルエンサーでもない人間の記事なんて、検索エンジンに引っかかりでもしない限りはまず読んでもらえないからな。しかし、リツイート機能は負の側面があまりにも大きすぎる。今の人類には早すぎたと言わざるをえない。

ここら辺の機微に敏い連中は、各々信頼できる仲間を集めてクローズドなコミュニティに引きこもっているらしい。かくいう僕も異常独身男性を収容したDiscordサーバを2つ持っており、市井の人々が眉をひそめるような話はもっぱらそこでやっている。

ひょっとするとみんなもいずれはそうなっていくのかもしれない。昔のリプライ履歴を辿るとほとんどのユーザが消滅していたり、過去ツイートを全消ししていたり、鍵垢になっていたりしている。かの先輩フレンドのアカウントもとっくの昔に残骸に成り果ててしまい、IRC文化も廃れた今となっては彼の行く末を知るすべはない。きっと彼らはその賢明な洞察力を以て、Twitterで得られる交流に見切りをつけたのだ。彼らにとって現在のTwitterとは、せいぜい公開インターネット用の人格を展示するポートフォリオサイトでしかない。

2009年。「ウェブはバカと暇人のもの」と中川淳一郎氏にディスられながらも、そこにはまだひとさじの希望と幻想が残っていた。そんな年だった。

©2011 Rikuoh Tsujitani | Fediverse | Bluesky | Keyoxide | RSS | 小説