2022/02/01

機能的で検閲のないクラウドストレージ、ゼロ説

最近、僕が住んでいる団地の別の棟で火災があった。なんでも古い電源タップから爆ぜた火花が可燃物に引火したことが原因だという。不運にもその時は火元の当事者が不在だったために、近隣住民が気づいた頃にはとんでもない大火事に発展していたらしい。後日、様子を見に行くと火災現場の部屋の辺りが遠目でもはっきり判るほど真っ黒に煤けており、その燃焼の苛烈さをおのずと物語っていた。火の手が他の部屋に伸びなかったのは不幸中の幸いと言える。まったく恥ずかしながら、僕は自治会で緊急会議が行われるまで火事のことをまったく知らなかったのである。

厳密には、消防車が近くまで来ていたのはおぼろげに覚えている。なにしろ午後10時過ぎの話だ……ごく健康的な生活リズムで暮らしている僕などは、たいてい寝床に収まっている頃合いになる。他の大半の団地住民もたいがい同じだったようで、しばらくは近所中が火事の話でもちきりだった。聞いた話では、ごく少数の勘に優れた有志が消防の避難誘導に協力していたというのだから、共に団地に住まう者としては頭が上がらない。

ここで僕の頭をよぎったのは、かような災害がもし自身に降りかかった場合に備えてなにをすべきかである。自分自身が火元にならぬよう注意を払うのは当然なのだが、世の中にはどうにも避けがたい不運が多々存在する。次に火事が起きた時も他の部屋への延焼を防げるとは限らない。僕ひとりがどんなに気をつけていても、上下左右の人たちがやらかせば僕の家もまとめて燃え尽きてしまうかもしれないのだ。

幸い、僕は家ごと一切合切が消し炭と化しても即座に路頭に迷う身分ではない。めちゃくちゃ困ることには変わりないが――コンピュータにしろ衣類にしろ、買い換えられないものはまずない。だが、そんな僕にも取り返しのつかないものが一つだけ、ある。僕の机上に鎮座せしNASに格納された、秘伝のデジタルデータ群である。 これはかつて僕がCDやブルーレイディスクや漫画本からせっせと自炊したデータなので、Kindleで買った小説と違って復元は利かない。試しに漫画本の冊数をカウントしてみたらなんと4936冊分もあった。音楽データの数も足すとその倍近い値になる。

僕が漫画本の自炊を始めたのは今から10年以上昔の2010年頃だ。当時、AppleのイベントでiPadなる新型デバイスの様相を目の当たりにし、やがてiPhone4とともにそれを手に入れた僕はすぐに確信した。「もはや紙の本など読んでいられない」――っていうかこれ、スタートレックのPADDじゃん! ……以来、僕は裁断機とスキャナを新調して家中の漫画という漫画をどんどん炊いていった。手持ちの本をすべて自炊しきった後も、矢継ぎ早に買い足しては即・裁・断の繰り返しだった。

惜しむらくは、初期にスキャンした画像データはどれも解像度が300dpiどまりなところだ。読むのに辛さを感じるほどではないものの、令和最新のデバイス環境からすると若干の解像感不足は否めない。ここ数年は600dpiでやっているが、やはり10年後には900dpiにしておけばよかったと後悔するのだろうか。その点、音楽CDの方はもともとflac形式でコンバートしていたので大いに満足できている。

しかし、懸念は火災である。避難時に手で持って逃げられる余地がある分、紙で保持するよりはよほど上出来に違いないが、先の火災事故の当事者のように必ずしも現場に立ち会える保証はない。アホ面を下げてのこのこと帰宅してみれば全部燃えてなくなっていました、なんて事態も十分に考えられる。つまり、デジタルデータとて決して安心はできないのだ。 むろん、NAS本体やハードディスクの故障であっけなくデータを失うリスクも無視するわけにはいかない。

そこでようやく本題に入る。手元に置くのが不安なら、電子の海に流してしまえばいい。 現状、僕のNASには約1.5TBのデータが詰まっている。したがってそれ以上の容量を持つクラウドストレージにまとめてアップロードすれば、たとえ僕の家がマンションごと焼失したとしても全データが保持されうる。なんとすばらしい思いつきだろう! 10年前ではとてもありえなかった発想だが、2022年の今なら十分に見込みがある計画に思われた……が、どうやら世の中そんなにうまい話はないらしい。よくよく調べれば調べるほど、クラウドストレージサービスの不都合な事実が明るみになったのだ。

そもそもの話をすれば、僕が所有している漫画本や音楽のデジタルデータは誰かの著作権物だ。僕が僕のためにそれらをコピーするのはいわゆる私的複製と呼ばれる概念の範疇に収まるが、果たしてクラウドストレージにアップロードするのは私的複製と言えるのだろうか? ――実のところ、こいつの結論はまだはっきりしていない。ストレージ側の機能で友達と共有でもしたら一発でアウトなのは間違いないが、そうでないケースはそれこそ裁判にでもかけられてみないと判らない。

ところが、裁判を経ずにそいつを決められちまう連中が他にいる。クラウドストレージの運営企業だ。 やつらは自前の規約に「そういうデータは消すよ」と書いておけば予告なく消せるし「そういうのを上げるやつは消すよ」と書いておけば、そいつらも予告なく消される。アカウントをBANされてしまう。これについて抗弁することは難しい。法的にグレーゾーンなデータを扱いたくないとの言い分は至極もっともだからだ。

まだ心配事はある。大変言いづらいのだが……僕も血気盛んな青年男性なもので……漫画本以外にも、もっぱら生殖器を隆起せしめるのに適した趣向の画像、動画類を、僕は割とバカにならない量で持っている。こういうのは、日本国内では事実上合法として扱われている。いるが、しかしクラウドストレージの運営企業にとってもそうかは判らない。さらにややこしいのはわれわれにとって完全に合法なえちちコンテンツが、特定の運営企業によっては 「児童ポルノ」 扱いされる場合があることだ。ゆえにえちちコンテンツ全般に対する言及がなくても、彼らのものさしで児童ポルノと見なされればやはりBANは免れられない。

以上の懸念を解決しうるソリューションが、プライバシーの尊重を謳うクラウドストレージサービスの利用だ。 高度な暗号化機能を実装し、厳しいプライバシー保護法が施行された国々に本社を置く彼らであれば、きっと僕が漫画本の私的複製2.0を実行しようが、インターネット越しにえちちコンロを点火しようが、黙って素知らぬ顔を決め込んでくれるはずだ。だって、今はそういう時代の流れが来てるはずだろ?

……まあ、結論を言えば、これも全然うまい話じゃなかったんだけどな。色々なサービスを試した感想を下に書いたから暇なら読んでいってくれ。あちらを立てればこちらが立たずってのはこういうことを言うんだろうな。立つだの立たないだのはチンポだけで十分だってのによ。

Google Drive, Amazon Photos, iCloud, OneDrive, Dropbox

こいつらがひとまとめにされている理由は明白だ。巨大テック企業の連中は検閲に余念がない。原則、これらのサービスにデータを預ける以上は、常にその中身が見られていると考えた方がよい。僕のような用途ではいつBANを食らうか知れたものではない。あえて例を挙げるまでもなく適当なフレーズで検索すれば山ほどそういった被害報告を読むことができる。

他方、世界中にサーバを置いているおかげで日本国内でも圧倒的な転送速度を実現していたり、優秀なコラボレーションツール群を提供していたりもするので、ビジネス用途において有力なことは確かに認めざるをえない。僕がこの中でどれか一つ選ぶならDropboxかな。GoogleやAmazonのアカウントがBANされたら困るからな。

pCloud

色々探してこれは本当に良さそうだなと期待していた。プライバシー保護にうるさいスイスに本拠地があり、Webサイト上の文言からもそれに気を遣っている様子がうかがえる。ソフトウェアのUIにはちょっとクセがあるが代わりに多機能で、すべてのプラットフォームに公式クライアントが用意されている。転送速度も意外に悪くない。気になるお値段も2TBで約10ドルと想定の範囲内に収まる。一生涯使えるライフタイムプランなら350ドルポッキリだ。すばらしい。だが、この記事を読んでたちまち気が変わった。かいつまむと、pCloudは人の手で検閲はしていないが機械的な照合はしている。

要するにpCloudは内部に「危険データリスト」を保有しているらしい。われわれがえちちミサイルをサーバに向かって飛ばすと、pCloudは自動で手持ちのデータリストと照合する。おそらく、滅多なことでは一致しないと思われる……しかし不運にも一致してしまった暁には、そのアカウントは99%BANされる。

なぜか? pCloudがプライバシー保護に厳格なのは嘘ではない。規約にも理念にもそれは明確に書いてある。一方、彼らとてスイスやサーバの設置場所(アメリカとルクセンブルク)の法令に抵触しうるデータを渡されたくはない。その両方を実現するやり方が全自動の裁定なのだ。引っかかったデータを安直に削除して済ませてばかりいたら「危険データリスト」の内訳をちょっとずつ教えているようなものだし、人間のサポートがデータを確認して判定を行うなんて真似はそれこそ規約違反なのでできない。ゆえに救済措置はほとんど認められない。

pCloudは理念の頑強さゆえにアカウントをBANするほかないのである。 削除だけで済まされた一部の人たちはむしろ運が良かったのだろう。繰り返すが、日本で完全に合法なデータがスイスやアメリカやルクセンブルクで合法とは限らない。さらに言えば、pCloudの運営企業独自の判断基準も別途存在する。われわれが悲劇の瞬間に知りうる情報は、自分が預けたデータのどれかが上記の国々ないしは運営企業にとってアウトな代物だった……という一点のみなのだ。

むろん、法律や倫理観は時代とともに変わりゆくものなので、データを預けた時点ではセーフでも将来のことは判らない。日本国内ならまだしも他の国々のルールや海外企業の独自基準にまで気を払い続けるのは難しい。よって、僕の用途には適さないと判断した。せっかくのライフタイムプランもBANのリスクを織り込まなければならないようでは台無しだ。

……っていうか、上のブログ記事の筆者……山形浩生って、あの山形浩生さんだよな。うわあ、僕、この人が書いた訳書とかWeb上の翻訳記事、むっちゃ読んでるわ。特にハッカーになろうなんて何十回読み返したか覚えていないくらいだよ。 もともとかなり変わった人だなとは思っていたけど、やっぱりこういう大先生にもお気に入りのえちちコンテンツがあるんだな。なんだかちょっと安心したよ。

sync.com, MEGA, Icedrive

これらはpCloudよりもプライバシーやセキュリティの面で一歩進んでいる。なぜならデフォルトでゼロ知識証明に対応しているからだ。ゼロ知識証明に対応したクラウドストレージはユーザ側でデータが予め暗号化されるため、運営企業がその中身を知ることは原理的にありえない。中身を知らなければ検閲も照合もしようがない。まさに鉄壁の安全性である。 pCloudにも同様の機能はあるものの有料オプションに留まっている。暗号化自体は無料のツールを用いれば自力でも可能だが、やはり面倒臭さは否めない。こういった事情からアングラな界隈では 「ヤバいデータを預けるならsync.comかMEGAかIcedrive」 などと半ば定説化しているという。

とはいえ、だ。転送処理に暗号化が含まれる分、これらのクラウドストレージはすこぶる速度が遅い。ただでさえ日本から遠い地域にサーバが置かれている点も踏まえると、テラバイト級のデータをバックアップする用途には明らかに向かない。その上、いずれも開発力に乏しいベンチャー企業なので、機能やコラボレーションツールの拡充にもいまいち期待できそうにない。sync.comに至ってはLinux向けのクライアントすらない。まさにヤバいデータを隔離するために部分最適化されたサービスと言える。もっとも、これらのストレージサービスは長期間アクセスしないと勝手にデータを削除してしまうのだが。 現実問題、資金に余裕のない企業はストレージ資源も乏しい。言っただろ? そんなにうまい話はないって。

回り回って、著作権上のリスクも陰茎の怒張リスクもないデータを保存するだけなら、先のいけすかない巨大テック連中に任せてしまう方がよほど安全ではある。仮に誤解が生じてもなまじ顧客のデータを覗き見しまくっている甲斐あって、望めば人間のサポートを介した手動判定を行ってくれるからだ。少なくとも、これらのサービスと違って機能不足ではない。この中から強いて一つ選ぶならMEGAかな。クライアントの出来が一番マシだった。

まとめ

☑巨大テック企業のストレージサービスは多機能で高速だが、検閲力が鬼なので"特殊"なコンテンツを保存する用途には向かない。
☑プライバシーの尊重を掲げるストレージサービスも機械的なデータチェックはしている。理念優先ゆえ一度引っかかると救済の見込みはかえって絶望的。
☑ゼロ知識証明に対応しているストレージサービスは現状どれも機能性が低すぎる。セキュリティと引き換えに多少の不便を許容する必要がある。

……結局、僕の需要を満たしそうなクラウドストレージは一つもなかった。 潔くドライブベイを2つ以上備えたNASに買い換えて、片方のハードディスクにバックアップを取る仕組みを構築する方が故障対策としては堅実かもしれない。火事については、どうやら諦めるしかないようだ。リスク対策というやつは一定のラインを越えると急にとんでもなく割に合わなくなるからな。とりあえず僕は家中の電源タップを掃除しまくった。諸君らもやっておけ。

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