2022/03/06

自炊力を底上げする調味料選び

われわれ素人が作る家庭料理は大抵の場合、ごく単純なレシピによって成り立っている。プロのように下ごしらえに何日何時間もかけるのは難しい。われわれの料理も時に趣向を帯びることはあれど、基本的には生活に根ざした営為であり、せいぜい焼いたり煮たりするのが関の山なのだ。

となると、ここで一寸考えてほしい話がある。料理の内訳がぼちぼち限られているならば、加える材料を工夫して成果物の出来を底上げできるのではないか? ――ははあ、なるほど……ブロイラーではなく地鶏を買えとか、オージービーフではなく和牛を買えとか、おおかたそんな痴れ言を抜かすつもりなのだろう……あいにくだがそれがしの懐はそこまで暖かくない。むしろ師走の宵より寒い。せいぜい他を当たることだな――ええい、待たれよ、もう一寸待たれよ、 材料といっても食材の方ではない。調味料の話をしている。

――調味料だと? 醤油とか、塩の話をしているのか? ……いかにも。もしすべての調味料を自分好みに決められたなら、取るに足らない素人料理でさえ最高の馳走になろう。とりわけ単身者だったら、そこそこ上等な調味料を買ったところでそう目減りもせんだろう。少なくとも、オージービーフを和牛にするよりかはよほどコスパに長けた戦略的な企てだ……そうは思わんか? どれ、ちょっと一例を示してやるから、ものの試しと思って読んでいけ。

醤油

たとえ西洋的なライフスタイルを営んでいても、およそこの国で醤油と無縁に暮らしている者は滅多におらぬ。醤油はわれわれが口にするあらゆる食品に含まれている。畢竟、洋食に分類される料理にさえ、それが我が国日ノ本で生産されし食品ならやはり醤油が加えられている。諸君が日本人か、日本に長く住んでいる者なら醤油の魔力は身に沁みて判っているはずだ。

さて、しかしこの醤油、実はきわめて地域性に富んでいるわりにはその奥深さがあまり知られていない。スーパーの陳列棚に整然と並べられた大資本メーカーの看板商品は、大銀河に渦巻く醤油たちのほんの一形態に過ぎない。たとえば九州の醤油には、なんと砂糖が入っている。

これは関東人にとっては眉をひそめる邪道さ加減だが、彼らにしてみれば甘くない醤油の方が珍しいくらいだ。醤油の規格に限って見ても、濃口の他に白醤油、淡口、甘口、再仕込醤油、溜醤油があり、スーパーの陳列棚にはとても収まりきらない。気を張って意識しなければごく一部の醤油の味しか知らぬまま人生を終えてしまうことになる。

僕はといえば、いわゆる高級醤油の味わいにずっと疑問を持っていた。お高い醤油というやつはどれも繊細さこそが美徳と言わんばかりに、醤油の”カド”を完全に取り除いてしまう。僕は東北生まれゆえその上品さが気に入らなかった。東北人に言わせれば、しょっぱきものはとにかくしょっぱければそれでよかろうなのだ。

だがその一方で、お高い醤油特有のリッチな旨味、奥深さは捨てがたい。つまり、上等なスペックを備えつつも”カド”は除かれていない――そんな醤油を僕は探していた。折りよく世の中にはうまい商売を思いつく人たちがいるもので、醤油探しに適した場所はわりあいすぐに見つかった。

職人醤油は一本百mlで全国各地の醤油を販売してくれる専門的なECサイトである。通常、いろいろな醤油を試したくとも一本あたり三百五十mlだとか五百mlだとかで到底気軽には買えないが、一本百mlなら仮に気に入らなくてもなんとか使い切れなくはない。まさに醤油探しにうってつけというわけだ。

ほどなくして僕は目当ての醤油を引き当てた。灯台下暗しとはまさにこのこと――僕がいま住んでいる埼玉県の蔵元「笛木醤油」の金笛であった。一、二滴、手にとって舐めた途端に舌を突き刺す旺盛なカドの尖り具合と、それでいながら鮮烈に押し寄せる旨味に思わずのけぞったのも今では懐かしき昔話。地元の蔵元だからか近所のイオンでも買えるので入手性も高い。

諸君らもこのようにして理想の醤油を見つけ出せば、いつもの卵かけご飯や惣菜品をもそっとグレードアップさせられるかもしれない。ぜひ試されよ。

塩がなければ人は生きていかれぬ。かつて昭和日本では自由に塩を作れなかった。一九七一年に成立した法律により塩の製造や輸入が禁止されたのだ。俗に言う専売法である。成立の背景には、沿岸の土地を塩田から工業用地に転用したかった政府の思惑があったとされる。法律施行後は専売公社のみが政府の定めた近代的手法に限って製塩を認められた。

イオン交換膜製塩(精製塩)と呼ばれるこの手法は、高い効率性と引き換えにミネラル成分を除去してしまうため、一九九七年に専売法が廃止されるまでほとんどの日本国民は滋味に欠けた塩の味しか知りえなかったということになる。そんな激動の昭和、平成初期が遠くに過ぎ去り、令和の時代を迎えた現在。われわれの塩選びを妨げる者はもういない。

塩には海のものと山のものがある。われわれは島国の民ゆえ塩といえば海塩を想像しがちだが、世界全体の生産量は岩塩の方が多い。肝心の味はというと、塩なのでどっちもしょっぱいことには変わりないが、しょっぱさにテクニカルな違いがある。ググると岩塩の方をストレートな塩辛さ、海塩の方をまろやかな塩辛さと表現する人がけっこういるようだが、僕には逆に感じる。

海に囲まれた国に生まれたからといって必ずしも海塩が舌に合うとは限らないらしく、僕はもう十年近く岩塩とともに暮らしている。もし岩塩に興味を抱いたならば、買う場所はヒマラヤ岩塩専門店をおすすめしたい。まとめて買うととても割安で済む。

塩にこだわっていると言えばなにやらえらく金をかけている印象だが、僕はいつも五kg単位(二千七百五十円・送料無料)で買っているのでグラムあたりだと「伯方の塩」の値段と大して変わらない。パスタを茹でる際にも遠慮なくジャバジャバ使っている。

しかし、やはり海塩に馴染んでいるので海塩を、という人は天然塩を選んでみてほしい。任意の食塩のパッケージを裏返して、栄養表示に「カリウム、マグネシウム、カルシウム」などと書かれていたら、それが天然塩だ。ただし工程欄に「イオン膜」と記されている商品は再製加工塩で、後から成分を添加したものになる。これらのミネラル成分が食塩の滋味をかたどっている。

他方、大量生産が可能な精製塩は前述のとおりミネラル成分が失われているため、やはり味わいには劣る。かつて専売制度下で培われてきたイオン交換膜製塩技術は、確かに国民に広く安く塩を供給する役目を果たしてきたに違いない。だが飽食の時代を迎えし平成・令和の世においては少々グルメ趣味を気取ってもそうバチは当たるまい。

味噌

味噌がなければ日本人は生きていかれぬ。特に専売制度が制定されなかったおかげで味噌も醤油にひけをとらず地域性に富んでいる。九州人が砂糖の入った醤油を好むように、味噌も自然と地元の味を好む傾向が強い。かくいう僕も醤油や塩は故郷と無縁のものを選んでおきながら、さすがに味噌だけはそうはいかなかった。東北生まれゆえ仙台味噌が一番のお気に入りだ。

幸い、仙台味噌醤油株式会社という直球ど真ん中の企業が製造販売している「本場仙台みそ」がどこのスーパーにも売られているおかげで、僕は仙台味噌に困った覚えがない。どの味噌を選ぶべきか迷った時は、生まれ故郷か長く住んだ地域を参考にするのも一つの手だ。

味噌と言うと味噌汁に用いる状況ばかり考えてしまうが、実際には炒めものの味付けにも、ソースやサラダ用のディップにも使える。予め液状化してある味噌や、出汁入り味噌はそうした用途にはやや使いづらいので、できれば通常の味噌を常備しておくことが望ましい。

なにも煮干しや鰹節から出汁をとれとまでは言わない。現代人は忙しい。出汁はほんだし®でも良しとしよう。出汁入り味噌をお湯に溶くのと、通常の味噌とほんだし®を溶くのに大した違いはない。わずかな労力で大きなリターンが得られる、いわば合理的な頑張りどころだ。

砂糖

たまには白くない砂糖を買ってみよう。砂糖といえばあの真っ白な上白糖を家に置いている人が多いと思われる。純粋な甘味に優れ、後味にまったくクセがないので製菓には最適と言える。だが、われわれが相手取る煮物料理にはもっと適役が存在する。精製度の低い、いわゆる茶色の砂糖だ。

茶色の砂糖と一口に言っても、糖蜜を分けずに結晶化したきび砂糖、カラメルを添加して作られる三温糖、原材料からして異なるてんさい糖などがある。およそどこでも手に入るのはきび砂糖か三温糖なので、まずはそのどちらかを試してみると好みがはっきりする。

手にとって舐めてみると判るが、これらの茶色い砂糖は上白糖よりも明らかにコクがある。代わりに甘味は控えめだが、煮物料理に要求される甘味の度合いは製菓ほど高くはない。甘味かコクかの二者択一なら、後者の方がふさわしい。

他方、精製度の高い白い食品はなにかと自然派な人たちの目の敵にされやすく、多分に漏れず上白糖もあれこれと叩かれがちだが、茶色い砂糖が煮物料理に向いているのはあくまで相性の話であって優劣や善悪の問題ではない。

また、各種の茶色い砂糖には上白糖にはないミネラル成分が含まれていることから健康上の理由ですすめる声もあるものの、標準的な砂糖の摂取量でそれらの栄養素が有意に働くとは考えにくく、砂糖選びの根拠としては乏しい。単純に味の好みで選んで構わない。精製塩と天然塩にも同様の議論があるが結論は同じである。

僕は山口製糖の一番糖を使っている。能書きを読む限りではきび砂糖の一種と考えられるが、競合他社の商品と比べて上白糖に近い甘味を持っており、それでいながら含蜜糖由来のコクも豊かに感じられ、すこぶる使い勝手に秀でている。

この砂糖は最寄り駅を挟んで反対側のクイーンズ伊勢丹にしか売っていないので以前は入手に若干の苦労を要したが、なぜかヨドバシ.comで簡単に手に入ることが最近判った。諸君らにもぜひおすすめしたい。

みりん

煮物料理を極めたい者はみりん風調味料ではなく本みりんを買うべし。もっと言えば、伝統的製法で作られた本みりんが望ましい。なんと、あまりにもうますぎるゆえそのまま飲むことができる。 長期熟成のおかげで風味も落ちにくい。

㈱角谷文治郎商店の三州三河みりんは言わずと知れた究極のみりんである。一口舐めてみれば脳より先に舌が理解する。こんなとてつもないみりんで煮物を作ってうまくならないわけがない、と。料理の「さしすせそ」に含まれていないからといって侮るなかれ。みりんはれっきとしたTier 壱の調味料であり、決して和食には欠かせない存在である。

煮物だけでなく味噌や醤油ベースの炒めものの味付けにも使われている。一番小さい三百mlのサイズなら勢いで買ってもそのうち使い切れるだろう。こればかりは四の五の言わずにとにかく買ってみてほしい。一度味わったらこのみりんなしでの和食作りは考えられなくなるはずだ。

番外編

■酢
酢は主に穀物酢と米酢の二種類に分けられる。熱を加えずにそのまま使う用途なら米酢の方が断然うまい。だが、それゆえに値段差も下手をすると倍近い。あえて米酢に挑戦したいならミツカンの純米酢が広くスーパーに売られているので試してみるといい。同じメーカーでもっと廉価な米酢もあるが、上位グレードの方が違いが判りやすいだろう。

■オリーブオイル
独身男性はなぜかイタリアンにこだわる輩が多い。かくいう僕もその一人だ。並いる他の独身男性どもに差をつけるべく、今こそ特別なオリーブオイルを手に入れよう。Gaeaのエキストラバージンオリーブオイルは、三千円以上の高級オリーブオイルに匹敵しうる圧倒的コスパで知られている。少なくとも僕は千円台でここまでピュアな風味に満ちたオリーブオイルを見たことがない。

■紹興酒
中華料理をやるなら料理酒に加えて紹興酒も揃えよう。紹興酒は通常の料理酒とは比較にならないほど強烈に香り高い。中華の力強い味付けに負けないためには料理酒も強くあらねばならぬ。たとえば唐揚げの調味液に用いると、他の材料が雑でも一気に本格中華の装いになる。六百mlの瓶が六百円足らずで買えるので、一本棚の下に忍ばせておいて損はない。

画像引用元

味噌の種類と地域性
醤油の種類による使い分け

©2011 辻谷陸王 | Fediverse | Keyoxide | RSS | 小説