とにかく腹が減っていた。若い頃はなにも考えずに味の濃い一品料理を大盛りにしていた。丼物を特盛にする、ラーメンを大盛りにする、二郎に行く。ところが、三十路を過ぎてからはそういうことができなくなった。食べ進めている途中で味の濃さに圧倒される。量に勝てても味に負ける。家系ラーメンは好物だが、並盛以上にしようとは思わない。
しかし空腹である。とことん腹がすいている時、好きな料理を一人前ぶんだけ食べても欲求は満たされない。実際的に胃袋に食物を詰め込む必要がある。一定のリズムで箸を、スプーンを、往復させ続ける責務がある。そんな時、僕は町中華に行く。なにも特別な店ではない。自宅の近く、駅の高架下、店先にフードサンプルが飾ってあるような、ごくありふれた店だ。
僕は食べ物を噛むことが好きだ。人より10倍は噛んでいる自信がある。なにか類似したものの中から一つ選ぶ時、大抵は噛み応えがありそうな方を選ぶ。しかしこうした選択は、しばしばコスト的な不遇を被る。柔らかく精白された製品の方が市場の支持を得ている以上、大量生産の恩恵を受けるのはそちらの方であり、固形物より液体や粉にしている製品の方が輸送コストが安く低廉化しやすい。つまり、僕は人より噛み意地が張っているせいで噛む代償を支払っていると言える。
昔、ラーメン二郎がとても好きだった。徒歩圏内に二郎インスパイアが2つあり、さらに学校から自転車で行きやすい距離には目黒店もある好立地に恵まれていたおかげで、麺もヤサイもニンニクも不足する日はなかった。どうしてトッピングが全部カタカナ表記なんだろうという疑問とは裏腹に、昼も夜も二郎に通い続けた。間違いなく当時、身体を構成する成分のうちの何割かは二郎だったと思う。
大量の油脂と炭水化物とたんぱく質を飲み込むように胃袋に叩き込むと気分が高揚してとてつもない満足感に包まれる。完食にかかる時間は短ければ短いほど望ましい。15分よりも10分、10分よりも5分で食べきれば脳みそから染み出す快感がより一層高まっていく。大学に進学した後も最寄りの二郎系を探したのは言うまでもない。
それにしても腹が減る。僕は毎日ご飯のことを考えて生きている。朝ご飯を食べながら昼ご飯に食べるものを考え、昼ご飯の時は晩ご飯のことを考える。時計の長針が一周するたび、胃袋が蠕動してしきりに集中をかき乱す。一体、なんでこんなに腹が減るのだろう。
待ちに待った食事時。地下牢から脱獄した直後かと見紛う切迫感を抱えつつも、なるべく時間をかけて食べようとする。よく噛むのはもちろん健康のためでもあるが、そうしないとすぐに腹が減ってしまうからだ。なによりせっかくの食事をあっという間に済ませてしまうのは惜しい。