2022/07/14

竹下通りのダブルバイオーム

原宿の竹下通りには神社がある。竹下通りからどこかに向かって歩いて徒歩十数分、とかではない。まさに街の中心に神社が存在する。

JR原宿駅の竹下口から降りると、すぐ目の前がかの有名な竹下通りである。Kawaiiと雑に総称される文化がそこかしこに輝き、通りの両面にはクレープ屋、キャンディ屋、割と新顔の韓国フードを扱う店などが立ち並ぶ。いつ行っても通りは人間という人間であふれかえり、牛歩のごとき歩みでしか先に進めない。人々の発する嬌声が街の活気を象っている。

人波を御しつついくつかのクレープ屋を通り過ぎたあたりで、さらに別の老舗クレープ屋が視界に映る。これが目印だ。そのクレープ屋の店先をわずかに左にそれると、いきなり歪な石段が姿を現す。今まで歩いてきた都市景観との調和を拒絶するその奇妙な出で立ちがかえってわれわれを誘惑する。

そうして足を踏み入れた途端、いつの間にか鬱蒼と茂った森林に囲まれていることに気づく。同時に、さっきまで耳を刺激していた街の喧騒が、急速に彼方へと遠ざかっていく。歩行距離にして通りから10メートル離れているかさえ怪しいこの空間は、どういうわけか明らかに隔絶されているのだ。

ゲームでマップを移動すると特定の境目を基準に地表環境が大きく変わる時がある。緑に彩られたフィールドが急に雪原に変わったり、はたまた砂漠が広がっていたりする。そういう場合はたいてい音楽も変化する。そのようにエリア単位で区切られた環境を「バイオーム」と呼ぶ。実際は生態学の用語だが、このゲーム的な用法で言えば竹下通りと神社はそれぞれ別のバイオームと言える。

奥に進んでさらに石段を登るといよいよ街の喧騒は完全に聞こえなくなる。代わりに靴底が神社特有の砂利で覆われた地面をこする音をじゃりじゃりと鳴らす。物言わず鎮座する荘厳な祠の佇まいは僕に現在位置の素性を疑わせる。

しかし、はたと視界を上に向けると生い茂る森林を突き抜けて遠景にそびえる、白銀の高層ビル群が目に留まる。紛れもなくここは東京の原宿に違いない。それでいながら、確かに空間的に切り離された実感が皮膚をなでる。原宿は複数のバイオームを兼ね備えたエリアなのである。

僕はこの神社の歴史をよく知らない。東郷神社との名は帝国軍人の東郷平八郎を祀っている由縁だが、その当人についてすら上辺の知識しかない。にも拘らず、このバイオームの遷移――拒絶から成る調和の形――を味わうために、僕は時折ここへ足を運ぶ。特になにをするわけでもない。ただ歩いて通り過ぎるだけだが、こうした感覚を与えてくれる空間はそう多くはない。

靴底で砂利をもてあそぶのに飽きた頃、僕はようやく東郷神社の庭園を歩く。庭園を抜けて出口に一歩近づくにつれ、遠ざかっていた街の喧騒が徐々に耳穴を押し広げていくのを感じる。数メートルごとに段々とボリュームが上がり、相反して自然のもたらす草花の揺れる音が鳴りを潜めるその様は、まさしくBGMがクロスフェード再生される状況を思い起こさせる。再び、バイオームの遷移を知覚する。

出口にたどり着くとそこは竹下通りの外れ。少し歩いて通りの末端に戻ると、また別のクレープ屋がある。あたかもクレープ屋が異世界と現世を繋ぐ役割を担っているかのようだ。大半が植物油脂で偽装された観光地価格のそれを購入すると、さっそく歩きながら食べはじめる。

味蕾を大げさに震わせるわざとらしい甘さ。いかにも娑婆に帰ってきた感じがする。

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