2023/05/14

論評「NOPE」:空飛ぶ円盤に今時マジになる

数ある都市伝説やSFの類型でも「空飛ぶ円盤」ほど古典的なものはそうない。いわゆるUFOってやつだ。歴史を遡れば世界大戦にすら登場しているぐらいだから、きっと古事記にも載っているのだろう。ところで僕はUFOと聞くと、なぜかいつもアメリカの田舎の牧場が思い浮かぶ。夜中になるとUFOがふわふわとやってきて、牧場の牛を吸い上げてしまうんだ。おそらくはこれも人生のどこかで挿入されたステレオタイプに違いない。

当然、映画史においてもUFOは長らく主力の題材であり続けた。SFはもちろん、ホラーにしてもよし、ファンタジーにしてもまあよし、なんならどのジャンルだって構わない。初っ端から派手に地球を爆撃してもいいし、思わせぶりに出たり隠れたりしてもいい。こんな好都合なものがアルファベット3文字で表せて、世界中のどの老若男女にもおおむね同一のイメージを想起させるなんて滅多になさそうな話だ。

実際なかったので、UFOは大いに擦られた。都市伝説で擦られて、映画で擦られて、特撮で、アニメで、ありとあらゆる媒体で擦られ倒した。そのうち地上波でも特集番組が組まれた。丸わかりの加工で作られたインチキUFO写真が所狭しと並べられ、超常現象研究家みたいな肩書きを掲げたサングラスのおっさんがなんか言って、コメンテータが神妙にコメントするあれだ。アラサー以上の世代はたいがい見覚えがあると思う。

しかしここまで擦られると、いくらUFOが便利な題材といってもばつが悪くなる。スクリーン上でUFOがいかに大層なCGで描かれていようと、役者が迫真の演技を決めていようと、どうしたってサングラスをかけた怪しいおっさんの顔が頭に浮かんでくるからだ。海外の事情は判らないが、まあどうせ似たようなものだろう。ゆえにUFOは飽きられ、空飛ぶ円盤も廃れた。そのはずだった。

空気が張り詰めている

「NOPE」はれっきとしたUFO映画である。だけども、その出だしは少々変わっている。天文台のスタッフが異常を察知することはない。大統領がデフコン2を発令したりもしなければ、国防省もFBIもCIAも出てこない。おい、じゃあ逆になにが出てくるんだよ? 猿が出てくる。 空飛ぶ円盤ではなくとりあえず猿が出てくる。

で、猿が暴れる。子供番組の収録中に――暴れて人間を八つ裂きにする。厳密には、そういう感じの音が聞こえる。そして血みどろと化した猿が映る。やけに緊張感を伴う出だしなのに、なぜかこの話は数十分後まで棚上げされる。だがこれで僕ははっきりと判った。 「ああ、これはマジなやつだ」 ポップコーンとかピザを頬張って観るような、ありきたりなB級SF映画じゃない。

話が進むとようやく主人公や諸々の舞台設定が掴めてくる。場所はアメリカの田舎で、主人公は馬の調教師をやっていて、あまり風采がよくない。かつて調教師を一手に引き受けていた父親は、空から降ってきたコインに脳天を貫かれて即死したのだ。こう書くと滑稽に見えなくもない異常事態が終始張り詰めた空気の中で淡々と行われる。

以来、主人公――名をOJという――は疑問を持ちはじめる。警察は航空事故による破片と結論づけたが、偶然にしても釈然としない。突然の悲劇に納得できないまま調教師を引き継ぎ、思うように仕事ができず顰蹙を買い、近くのテーマパークに商売道具の馬を売って糊口をしのぐ日々……そんなある時、彼は目の当たりにする。自宅から見渡せる山々の、雲の隙間を飛び交う異形の存在を。そう、UFOである。空飛ぶ円盤である。

誰も宇宙船とは言っていない

空飛ぶ円盤は幾度となく姿を現す。当初は半信半疑の妹や、撮影用の監視カメラを取りつけにきた家電量販店の店員も、早晩にUFOを信じざるをえない状況となる。とはいえ、彼らの目的はUFO退治ではない。繰り返すが大統領や国防省は一切出てこない。戦闘機が発進してUFOとドッグファイトを展開することもない。彼らの計画は空飛ぶ円盤の動かぬ証拠を手に入れ、バズ動画で大金をせしめるところにある。生活にはとにかく金がいる。

ここで、ようやく猿の話に戻る。前述の「近くのテーマパーク」を経営するアジア系の男性――リッキーという――はなんと、例の猿事件の当事者なのだ。多くの人間が死傷する渦中、唯一、無傷で生き残った人間だった。当時、机の下に身を潜めていた彼は結局見つかってしまうものの、どういうわけか猿は彼に友情を示したのだ。しかし血に染まった拳が親睦のグータッチを形どった直後、目の前で猿は射殺される。

この出来事はリッキーに致命的な結末をもたらした。先んじて空飛ぶ円盤の素性を掴んでいた彼は、OJから買い取った馬を生贄に捧げてUFOを呼び出すショーを催したのである。あるいは自分になら得体の知れない存在とも契りを交わせると思ったのだろうか……望み通り、空飛ぶ円盤は現れた。リッキーとショーの観客を全員食い殺してしまったのだ。そう、UFOとか空飛ぶ円盤とは言ったが、誰も宇宙船とは言っていない。生き物だったのだ。

豊富な餌を捕食して縄張り意識を得たUFOはいきおい、その狩猟本能をOJたちにも向ける。ついには父から受け継いだ家、馬、土地までもが空飛ぶ円盤の縄張りとなった。彼らのバズ動画を撮る計画は一転、命と住処を賭した生存闘争へと変貌する。

空飛ぶ円盤に今時マジになる

エンドロールが流れる頃にはすっかり放心していた。空飛ぶ円盤の話にマジになったのは生まれてはじめてかもしれない。子どもの時分でさえ嘘くさいと感じていた題材に、真正面から度肝を抜かれた衝撃ははかりしれない。単にUFOが生き物だったからではない――そうした設定が明らかになったところで、散りばめられた伏線が途端に顔を覗かせる恐怖が本作には備わっている。

たとえば猿事件。中盤のうちに割とあっさり死ぬ脇役の昔話をわざわざ冒頭に持ってきて、これでもかと尺を割いたのはUFOとOJたちの構図を人間と猿に当てはめる意図があったためである。なぜ猿は急に暴れだしたのか? これといって虐待を疑う場面はない。ないが、彼はただひたすら見られていたと考えられる。 収録用のカメラを通して、数多の役者の目を通して、ずっと見られていた。たとえ危害を加えられなくとも見られ続けるのは恐怖に他ならない。

翻ってOJが強烈な戦慄を覚えたのはUFOの存在を確信した後、毎朝眺める遠景に決して動かない雲があることに気づいた時である。空飛ぶ円盤はたまたま上空をうろついてたのではない。OJたちが知らない間に、おそらくはずっと昔から見ていたのだ。超越的な存在に見つめられているという認識そのものがOJを恐怖に陥れている。

このように考えると、不気味な機材や人々に取り囲まれて衆人環視に晒され続けた猿が恐怖から自衛を図ったのも、とりたてて理解不能ではないどころかかえって自然な行為に思えてくる。本作ではOJたちの奮闘の甲斐あって見事にUFOを撃退するが、この猿事件のフィルタを通すとにわかに彼らのヒロイック性が色褪せてアイロニックな奥深さが表出する。

「空飛ぶ円盤を撮る」――こんな半世紀以上も擦られ倒した題材を基に、新たな多層性を構築したジョーダン・ピール監督の手腕にはまったく舌を巻かずにいられない。そういえば、初監督作品の「ゲット・アウト」も催眠術に操られるという十世紀以上擦られた題材に黒人差別の問題意識を織り込んだ名作だった。ピール監督があえてありふれた題材の復刻を狙っているのはまず間違いない。

すでに本作は多くの識者によって細かく検討され、あらゆるモチーフやメタファが詳らかにされている。作中のこうした隠喩を丹念に探るのも楽しい一方、迫力満点のSFホラー映画としても当たり前に通用する文句なしの傑作と評せるだろう。大事なことなので言っておくが、今ならアマプラで観られる。

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