近頃「戦略級魔法少女」という概念が巷で広まっているらしい。いかにも文脈の山の上に成り立っていそうなこの概念を理解するには、下部構造を支える魔法少女の系譜を抑える必要がある。まず、原型に子供向けアニメの魔法少女がいて、困っている人々を助けたり騒動に巻き込まれたりする。「魔法を使う少女」にまで定義を広げると羊皮紙と筆ペンの時代まで遡らなければならないので、さしあたり浅瀬から始める。
して、この魔法少女、冒頭は人助けや生活の用を足す役割に甘んじていたが、やがて悪との抜き差しならぬ対決を迫られる。または、自分自身が悪と誤解される事態に巻き込まれて、いずれにしても魔法の物騒な一面に気づかされる。しかしこれは「魔女」や「まじない」の原典というか、現実の歴史からすると真逆のアプローチに近い。
文明の開闢、人の世の理(ことわり)を超えた力を行使するのは神への冒涜であり、王権や時の権力に対する反逆と見られてきた。したがって「魔法」とはもっぱら邪悪な文脈を帯びる能力に他ならず、信仰に背く者や政敵には先回りして「魔女」のレッテルが貼られる。
邪悪な魔法を用いるゆえに魔女なのではなくて、邪悪ゆえに魔女であり、魔女なのだから魔法を用いる、すなわち害をもたらす存在である、との解釈だ。そして、これを排除せんと試みる――なお、魔女とは言うが必ずしも女性が名指しされていたわけではない――言うなれば、邪悪の代名詞だった。
対して我々がよく知る「魔法少女」の牧歌的雛形はそこから脱却が図られている。その作品世界では魔法は純粋に技術的なものであり、ことの善悪は用いる者の性質によって決まる。時に作中の魔法少女が意図せず攻撃性を発揮したために予定調和的な迫害を受けるが、最終的には悪を打倒するか和解を経て大団円を迎える。この段階における武力としての魔法は緊急避難的な文脈が強い。
一方、女児アニメの魔法少女が台頭してくると、変身ヒーローものや特撮ものに近い性格を帯びはじめる。おそらくはここで「魔法少女は戦うもの」との共通認識が醸成されてきたのだろう。なんなら魔法のみならず肉弾戦もそつなくこなしてみせる。僕は初代プリキュアの例の格闘シーンを目の当たりにした世代だが、あれはまことに革新的だったと思う。日曜の朝8時に可愛い衣装を着た女の子同士が傷だらけになりながら全力で殴り合っているのだ。
もっとも、さすがに過激すぎるとのクレームもそこそこ寄せられて以降はあまり露骨に痛そうなステゴロはやらなくなったらしい。女児アニメの本当の顧客は子どもではなく親なのでしょうがないと言えばしょうがない。しかし多少の軌道修正が施されても「魔法少女=戦闘要員」の図式はこの時、確実に成立を果たした。
同時に、魔法少女は戦闘要員ではあるものの、対照的な少女性をいっそう強調させる要素として「変身」の設定が備わっている。同じく変身はするが元の姿も大抵は特殊部隊員の「変身ヒーロー」、常に魔法が使えるファンタジー世界の「魔法使い」や「魔女」、あるいは少年漫画やアメコミに代表される「能力者」との違いがここに現れている。変身していない魔法少女はまったく無力な子どもであって、そこには等身大の少女の価値観で生きる平和な日常と、いざという時に戦闘力を発揮できない葛藤の両面性がまざまざと浮かびあがる。
逆にまた、魔法少女のそばにいる者たちはごくありふれた少女の側面と、ひとたび変身して杖を振るなり殴るなりすれば岩をも砕き悪を屠る超人の側面のどちらを真の姿に認めるべきか大いに悩むところとなる。前者に慣れ親しんだ者が後者の側面に恐れをなして拒絶したり、後者に頼もしさを抱いていた者が前者を見て失望する……そういった人々の態度がおのずと魔法少女自身に投射され、いい感じに物語が曇りはじめる。
一連の例は「魔法少女=戦闘要員」以後の作品では典型のものではあるが、これらを一つの要素ではなくメインテーマに押し上げて「魔法少女もの」全体の印象をがらりと塗り替えてしまった作品こそが「魔法少女まどか☆マギカ」だ。魔法少女といえばなんかすごく苦しむんだろう、みたいな由々しき先入観を植え付けたのはきっと本作の功罪なのだろう。
以降、倒すべき悪はどんどん容赦がなくなり、呼応するように魔法少女の戦闘力もインフレを重ねていく。仲間の死と復讐の嵐。流血と四肢欠損。膨れ上がった力が時に善良な人々の命を奪い、それが本来は無垢な精神を持つ魔法少女をさらに傷つけるかと思えば、むしろ悪に染まってかつての味方が敵になり、殺すにしても殺されるにしても双方痛めつけられ、なんなら完全に手遅れになってから正気に戻るとかなんとか、彼女らを苦しませる展開がひとしきり旺盛に盛り込まれてきた。
ついにはプリキュア的な友情を超えた性愛までもが描写されるに至り、当然そのような関係は早晩に引き裂かれる定めであって、一体このジャンルを支えている連中はどれだけ少女を曇らせるのが好きなんだよと感心することしきりである。ちなみに、僕は初代プリキュアを細切れに観た以外ではマジで一作も魔法少女ものを観ていない。むろん、まどマギも観ていない。なので本稿はほぼ知ったかぶりで書いている。いい線いっていたら褒めてほしい。
こういった文脈マウンテンの突端に、おそらく「戦略級魔法少女」なる概念は生えている。「魔法少女=戦闘要員」の図式を主従逆転させて「戦闘要員=魔法少女」に発展させたのだ。魔法少女が戦闘要員を担わされるのが過程ではなく前提に敷かれている。しかも「戦略級」とある通り、自然発生的にではなく国家や組織の一員か、さもなくば「個体」として「運用」されていそうな印象を受ける。
この概念に基づく世界では各国、各組織が「戦略級魔法少女」を「保有」していると考えられる。なぜなら、歴史的に積み上がった文脈に倣うのなら昨今の魔法少女は圧倒的に強い。もはや一個師団よりも戦闘機よりも戦艦よりも強い。魔法少女の軍事的なプライオリティは相当に高いと考えられる。
そんな事実上の大量破壊兵器を適切に運用するには、命令に基づく武力の行使が唯一の役割だと説き伏せ、必要に応じて指示に従うよう洗脳しなければならない。そのためには膨大なリソースを割くことも厭わないだろう。なにしろ「戦略級」と呼び表すだけあって、まともに使えるか使えないかで戦況が大幅に変わってしまうからだ。
魔法少女を管理する人間も、善悪の彼岸を軽々と飛び越えられる常人離れした傑物が相応しい。そういった「管理者」にまんまと懐柔されて信頼、さらには恋慕に近い感情さえ抱く戦略級魔法少女は、彼ら彼女らの期待に応えるべく敵国の豚どもを杖一つで肉片に変え、同種の魔法少女をも笑顔で八つ裂きにせしめるのである。
ところが、ある出来事によって「管理者」や「国家」もしくは「組織」に寄せていた信頼がすべて虚構に過ぎないと悟った暁には、押し寄せる絶望と悲哀から有り余る武力を核弾頭のごとく爆発させ、一転、追われる身と相成って焼け野原と化した守るべきだった母国を半死半生で這いずり回り、最期には自らが手をかけてきた魔法少女たちと寸分たがわぬ惨たらしい死を迎える……。いいな、これ。戦略級魔法少女が複数個体いるならもっと複雑な展開にもできる。政治劇だってやれそうだ。
主に異常学生たちが集うDiscordサーバに流れてきた「戦略級魔法少女」の文字列を見た瞬間に、僕の脳裏に描かれた初期のビジョンは上記のような按配だ。ずいぶん面白い概念を考えたものだと他人事の顔で続々と流れる生まれたての設定集を食んでいたら、お礼を申し上げたタイミングで「合同誌に寄稿せよ」と声がかかった。そういう感じで書くのは学生以来だな。
だが、あえて自分ではあまり思いつかないジャンルの話を書くのも大切に違いない。聞けば半年くらい時間があるそうなので、こういう基礎的な部分から素人なりにじわじわと文脈を生やしていくつもりだ。