5月18日の昼下がり。性懲りもなく革小物探しで表参道辺りを徘徊していたところ、今日は自分が寄稿した合同誌が頒布される日だったことに気がついた。そう、かねてより宣伝を繰り返していた戦略級魔法少女合同である。頒布会場はここからなら大して遠くはない。さっそく都営地下鉄に飛び乗り、東京大学本郷キャンパスへと向かった。
この日、東京大学では五月祭なるデカ学園祭が催されていた。同人誌即売会のコミックアカデミーはそれに属する企画の一つだ。総合大学ならではの広大な敷地を惜しみなく活かした屋台の群れ、重低音をふんだんに効かせた特設ステージの大音響などを尻目に最奥の工学部棟まで歩を進める。
果たして会場はそこにあった。自ら書き起こした文字情報が物理的形態を伴って積み上げられている様子を見るのは、およそ10年ぶりくらいになる。僕も学生時代は同人誌活動をしていた。売り子をしていた子(歳が10歳近くも離れていれば性別に関係なく"子"と呼びたくなる)に話しかけて本の売れ行きを訊くと、ぼちぼちだとの回答が得られた。
と同時に、次の手を読む。ここから任意の会話を弾ませるには引き出しがあまりにも少なすぎるし、他の催事を見て回るモチベは特にないし、かといって齢30(あと2ヶ月足らずで31歳になる)の異常中年男性が会場に立ち尽くしていても文字通り異常なだけだし、なんらかの正当性をもって本の売れ行きを観察できないものかと思案した。
そこで、売り子の子に「なにかお手伝いできることはありませんか」と尋ねた。もちろん期待する回答は売り子の交代に他ならない。しかし「売り子を交代せよ」とは言えない。そうすべき説得材料が思いつかないからだ。少しでもノットウェルカムな気配を察知したらおとなしく帰らなければならない。ここはあくまで学生たちの場だ。
そんなだいぶ不気味な文脈が伝わったのか、あるいは運良く本当に需要が合致したのか「ではご飯を食べに行くので売り子をお願いします」と返事が来た。かくして僕は東大卒でも学生でも購入者でもないのに会場に居座る権利を賜った。マジでありがとう。中年男性はすべてに理由が必要なんだ。
座席に座ると次々に人が寄ってきた。ほとんどはブログの読者かSNSのFFだ。実のところアイコンとハンドルネームは知っていても面識はなかったので、東大の学園祭というデカ・イベントは互いの顔面情報を共有するにはうってつけだった。一通りの自己紹介が済むと、以降はひたすら人力販売機と化して本を売り続けた。本、売りまくりである。
ところで、同人誌への寄稿はかつて幾度となくやっていても売り子をするのは今回が初めてだ。当時は専門分野に徹するのがクールだと思っていた。しかし、いざやってみると大いに楽しい。なにしろ、自分の作品が載っている本が目の前で売れていくのだ。新人賞に落ちるたび「君の作品は商品にはならないよ」と突きつけられていても、ここではちゃんと商品になっている。
接客の合間に隣席でTRPG本を売っている子と雑談を交わす。本記事では接した人々の詳細を意図的に隠蔽しているが、この彼はNHKの取材を受けて全国のお茶の間に顔面を開示せしめたほどの大人物なので差し障りはないと思われる。彼曰く、東京大学の学費値上げに抗議すべく反対運動を立ち上げたのだという。すでに大学当局と丁々発止の闘争を繰り広げているとのことだ。
文芸と学生運動の距離は近い。僕も毛色は異なるものの当時は左翼活動をかじっていた。結局、マルクス経済学の理屈にあまり馴染めずやめてしまったが総合的には悪くない体験をしたと思っている。新しい世代にはぜひともただの思い出ではなく実際の勝利を獲得してほしい。こういう話が前置きなく行き交うのも大学という空間ならではかもしれない。
夕方、人波が捌けた頃合いに合同誌を手にとって見る。僕にはマジで理解不能の高度な装飾が施されたこの装丁こそが今回の販促を導いたのだろう。でなければ事前に中身の分からない代物に1500円は出せない。紙面にぎっしりと段組で雅に印字された文章を読むやいなや、床のフローリングが歪んで手持ちの本を丸ごと電子化した僕でさえ思想が揺らぎかける。
最終的に本はだいたい全部売れた。翌日の5月19日には増量分も含めて完売と相成り、同日に催されていた文学フリマの方でも完売の報せを受けている。今から手に入れたい人は5月26日開催のコミティアか、後日行われるメロンブックスの委託販売にご期待頂きたい。そこではただでさえ豪華な装丁をさらに異常に仕上げた特装版も頒布される予定だ。
本合同誌の完成には多くの困難や紆余曲折があったものの、こうして圧倒的な売れ行きを目の当たりにすると物書きなのに言葉が出ないほど感無量である。関係者各位および、購入してくれた人々にもっとも暖かい言葉で感謝を申し上げたい。
帰り際、本郷三丁目駅付近にある立ち食いうどん屋「トウキョウライトブルー」でうどんを食べた。実は東大に向かう直前にも食べている。軽い気持ちで入った割にはとんでもなく美味しかったので、続けて食べなければ気持ちが収まりきらなかったのだ。後で知った話では東大生はもちろん誰もが知る超名店なのだという。僕の職場の近くにもほしかったな。