土曜日
5月27日。コミティアの前日、例によって表参道付近をうろついていたところ――今回は冷やかしではなくちゃんと革鞄を買った――なお出来上がりは7月中旬の予定――合同誌の特装版作りを行うための頭数が足りないと聞きつけ、急きょ東京大学駒場キャンパスへと足を運んだ。指示に従って現場に向かった僕は、気がつくとマジで謎の空間に立っていた。
「槌音広場」とやや物騒な名前が付けられたこの場所、なんとグーグルマップで表示される。見た感じ学生たちが木工の作業場として利用する敷設のようだ。特定の道具に所有権が宣言されていたり、スプレー缶を使っていい位置に指定があったりなど、なにやら規則めいたものも存在する。しかし誰の手によって運営されているかは不明だ。
だが、なんであれ我々は特装版を作らなければならない。サークル主催者の案では本がぴったり収まる枠をコンクリートで作り、さらにそこにロゴを設けると言う。コンクリート枠を形成するための枠が別途あり、さらにそれを固定する木枠も用意されている。目の前で彼らが四苦八苦しながら作業を進める傍ら、ただひとりとてつもない焦燥感に駆られていた。
なにしろ僕はこの手の作業が大の苦手である。地道に粛々と組み立てていけばおのずと完成する……というような代物ならともかく、一連の工程は明らかに特殊な技能を要求している。図工が苦手すぎて早々にハードウェア方面の技術職を諦めた僕にとっては恐怖の領域に他ならない。その点、ソフトウェアって最高だよな。Undoすればやり直せるし。
もっとも、結論から言うと僕はまったく仕事をせずに済んだ。途中参加した寄稿者の一人――なんと現役藝大生――が、作業場を一目見るやいなや次々と問題点を指摘、今日中の量産はまず不可能だと看破せしめたのだ。実際、日が傾くまでに複数個のコンクリート片を作ったものの、辛うじて合格水準に達しているのは一つだけだった。
結局、予定していた特装版の頒布は中止となった。正式なお披露目は夏コミに持ち越される。実は本記事のタイトルを『本作りまくり』にするつもりだっただけに悔しい顛末だ。今回の合同誌とは特に無関係の部室でもちもちしながら荷物を整理している間に日はとっぷりと暮れ、帰る頃には我々のテンションを代表するのように暗闇が空に広がっていた。
おまけ。昼に通りかかった時に撮った東大名物立て看。学費値上げ反対運動の真っ最中だからか看板も闘争仕様に変わっていた。いいね。
日曜日
気を取り直してコミティア当日。特装版は用意できなかったとはいえ、文学フリマで難なく完売を果たした我々だ。ここでもまだ本を買い求めてくれる人々はいるに違いない。この日、僕は約10年ぶりに東京ビッグサイトを訪れた。
一般入場時刻の小一時間前に国際展示場駅に着くと、早くも駅前は人混みで賑わっていた。行き交う会話の切れ端からしかと同族の気配を感じ取る。あまりにも乏しすぎる有明周辺の飲食店の中から無難にドトールを選び、機械的にミラノサンドBを腹に詰めておく。朝食は家で食べてきたが、中でお昼ご飯を食べられるとは限らないからだ。
人々の足取りに従って歩を進めると自動的に東京ビッグサイトが見えてきた。なお「東京ビッグサイト」とは現在では運営企業の社名であり、建物の正式名称は「東京国際展示場」とされている。こういう繁閑の激しい敷設は普段なにをやって暮らしているのだろう。運輸業では閑散期の商いをしばしば「空気を運ぶ」と表現するが、だとするとここは空気を展示していることになるのだろうか。
などと思索にふけりながら5万年はかかるかと思われた長大な道のりを踏破した末、コミティアのサークル参加者入場口にたどり着いた。サークル主催者と合流してチケットをもらう。僕が売り子をやると決まったのは昨日の話だ。これで今日も最前列で本の売れ行きを眺められる。味を占めすぎて味占め太郎になったとはまさにこのことである。
直後、視界いっぱいに広がる人間、人間、人間、長机、長机、ブースフラッグの威容に圧倒せしめられる。コロナ禍の傷跡をものともせず、僕の記憶の中に眠る約10年前の夏コミと負けず劣らずの盛況ぶりだ。いや、さすがにそれは言い過ぎかもしれない。どうだろう。
ほどなくして設営が完了する。開幕を告げる会場アナウンスに続く万雷の拍手とともに、一般参加者たちが会場に波を打って現れる。売り子を買って出た責任感ゆえ僕もサークル主催者に倣ってぼちぼち呼び込みを行う。初めはSNS上の告知を見て駆けつけたであろう人々が手早く購入してくれたものの、それだけではそう長くは持たない。昼過ぎには往来する一見客を狙う戦法に切り替えた。目が合ったらとりあえず声をかけてみる。
しかし、これがなかなかどうして簡単ではない。今までの客は事前に合同誌のテーマを把握していたが、一見さん相手には完全な説明が求められる。魔法少女とはなにか、戦略級兵器とはなんなのか、それらの要素が融合するとなにが嬉しいのか。魔法少女にもミリタリーにもてんで明るくない僕だが、合同誌全体の3分の1を書いてしまったからには説明責任が生じる。
対する一見さんの反応は様々だった。特殊装丁に興味を持って即決してくれる人、本を開いて初めてコミックでないと分かり足早に去っていく人――そう、コミティアはあくまでコミック中心の同人誌即売会である――致し方なし――説明を聞いた上で買ってくれる人、そうでない人……etc、気づけば想定通りに昼飯時を逃し、対価として説明能力の向上を得た。
閉幕のアナウンスが流れた時、我々の手元には8冊の本が残るのみとなった。惜しくも完売とはならなかったが上々の売れ行きだ。委託販売分の在庫が足りなかったのでむしろちょうどよかったとすら言える。撤収後、帰りのバスでサークル主催者と成果を分かち合った。彼にはすでに次作の装丁案があると言う。
実は、僕ももう次に書く作品の構想が出来上がっている。次は南北戦争ものを考えている。スチームパンク的な兵装で優勢を誇る南軍に対して、反転攻勢の一手として超常の力を持つ先住民の少女を黒人兵士が輸送する話だ。なんとなく誘われたからなんとなく加わっただけのサークルが今や、僕の人生に並ならぬ影響を与えはじめている。