ふと、眼鏡を変えたくなった。僕にはあまり良くない手癖がある。最低でも5分に1回は眼鏡の位置を直そうとして手が動いてしまう。中指でブリッジを押し上げるだけだから大した手間ではないが、それでも5分に1回ともなればチリツモでかなりの運動量になる。もし累計をまとめてエネルギーに変換できたらドリップコーヒーのためのお湯くらいは沸かせるかもしれない。
そんな手癖が身についたのも8年前に買ったJINSのフレームがやたらと長持ちしすぎているせいである。店で金属部分を曲げ直してもらってもズレるので、パーツ本来の寿命はとっくに摩滅しているに違いない。しかしJINSには真円に近いフレームがほとんどないゆえ換装の機会が一向に訪れず、結果として基幹ハードウェアが過剰な対応を余儀なくされている。なにしろまったくズレていなくても無意識下で発動するほどだ。
その折、いつものように家計簿をつけていると基幹ハードウェアの中で最大の計算力を備えた装置が言葉を漏らした。当然、この時も中指は自動で眼鏡を押し上げている。なあ、新しいのを買えばいいんじゃないか、眼鏡。脳裏に自分自身の声が響く。JINSにしっくりくるものがなければZoffでもいいし、他の店でもいい。
でも、眼鏡って高いよ。反論するやいなや自分の声が返る。文字通り肌身離さず顔に終始張りつけておくものが高いのは当たり前じゃないのか。確かに……そうだ。なぜか僕には未だ金銭感覚が学生時代から抜けきっていない領域がある。革小物に2万円出せて眼鏡に2万円出せない道理はない。思わず、顔に向かいつつあった中指が止まった。
さっそく週末を利用して眼鏡屋を見て回る。予想通りどの店にも円形のフレームはあれど、大きすぎたり形が歪だったりしていまいち決め手に欠ける。僕は眼鏡の丸さに一家言ある。ちょうどいい感じに丸くなければならない。角ばった眼鏡は僕の顔に合わないし、かといって大げさに丸いとそれはそれでコスプレみたいに見える。
その時、通りかかった眼鏡市場のコーナーでようやくこれという代物を見つけた。かつて一時期、CMなどを盛んに打って宣伝していたゼログラの新作だ。形は真円と呼ぶには若干歪んでいるが、極細のフレームのおかげか意外に違和感はない。なにより閉じるという基本的な機能を失ってでも部品点数を減らす徹底したコンセプト、そこから導き出される一枚岩の堅牢性にすっかり打ちのめされた。約10年の歳月を経てこのシリーズはついに成熟の水準に達したと言える。
フレームが決まると次は視力測定へと進んだ。なにせ8年ぶりだ。目が悪くなっている可能性は大いにありえる。しかし実際には、なんと逆に視力が良くなっていた。乱視が弱まり角膜が正常な形に戻っているのだと言う。つまり、今まではむしろ無意味に強い乱視補正がかかったレンズでものを見ていたのだ。
測定結果を反映した仮レンズを通して見た世界は、かえって遠近感が掴めないほどありとあらゆる輪郭がはっきりと映っていた。一体、これまで僕はなにを見て分かった気になっていたのだろうか。もし読者の皆さんに何年もレンズを変えていない人がいたら直ちに眼鏡屋に駆け込むことをおすすめしたい。
そして今、新しい眼鏡を使ってこの日記を書いている。4K32インチディスプレイに投影された文字の精細さを改めて味わいつつも、以前には知覚しえなかった情報量につい圧倒されそうになる。これまで視界の一点以外は常にぼやけていたが、今やすべてがくっきりと表示されているため脳の処理がまだ追いつかない。
眼鏡市場の店員さんは当初、矯正視力0.7に仮レンズを仕上げた。デスクワーク主体でずっとディスプレイを見続ける人にはこれくらいがちょうどいいらしい。しかし僕が映画館で字幕映画をよく観ると言うと0.8に引き上げてくれた。もしデスクワークをしない人なら1.0以上に合わせる選択肢もあるとの話だった。生き方に応じて僕の視覚世界はいかようにでも変化しうるのだろう。
つくづく眼鏡とは原初のオーグメントであり、僕は20世紀生まれのサイボーグなのだと実感する。眼鏡一つ変われば視覚世界が変わり、おのずと目を通して見える万物の認識や解釈までも変わっていく。ゼログラのフレームは特に軽いことで知られているが、わずか数十グラムの違いでもそれが鼻梁や耳にかかると身体感覚全体に与える影響は計り知れない。
かくして眼鏡という名の視覚オーグメントのアップグレードにより僕の性能は飛躍的に高まった。目を凝らさずに視界の情報を捉えられるだけでなく、明瞭な景色の美しさは数多の言葉を凌ぐ観念をもたらしてくれる。だが、それでもたまに中指がブリッジを押し上げようとする時がある。言うまでもなく、完璧にフィッティングが施された新品の眼鏡がズレることはありえない。
不具合に対処すべく生まれた挙動自身が、皮肉にも今では新たな不具合に成り代わっている。とはいえ20世紀生まれのサイボーグにOTAで修正パッチは降ってこない。またぞろ、キーボードから離れた手が顔に向かい出したので筋肉を強張らせて止めた。