2024/08/05

本作り

8月3日(土)。夏コミに向けての同人誌作りが始まった。当ブログでもかねてより宣伝している戦略級魔法少女合同の特装版を作り、元の2倍の価格で売りつけようというのだ。この計画は本来すでに実現しているはずだったが、様々な困難により今回まで持ち越しになっていた。サークルの学生諸君らが夏休みに入った今、急ピッチで制作が進められている。

当日、サークル主催者の東大生君(仮名)と参加者の藝大生君(仮名2)と私文中退(僕)が全員1時間以上遅れて東大駒場キャンパスに集結すると、どこからか謎の電動工具や様々な作りかけの部品、その他道具などが続々とまろび出てきて準備が整った。東大生君が室内で他の作業をしている間、藝大生君と僕は前回も紹介した槌音広場で板を切る仕事に従事する。

といっても、2ヶ月前から大きく変わった作業工程について僕はろくすっぽ理解していなかった。なにしろ特装版の最新仕様を把握しているのは先の2人だけなのだ。僕の仕事は小説が本の中に収まった時点で完全に終わっているし、外装の良し悪しを決める自信はない。ただ、異常な装丁が現に莫大な売上をもたらした事実と、異常な若者がなにか熱心にやろうとしているロマンに期待を寄せて黙々と小間使いに徹した。

写真を撮り忘れたが、電動工具ではなくノコギリで角材を切る作業や紙片を切り取って折り曲げる作業などもあった。こういう図画工作っぽいことをするたびに自分のとてつもない要領の悪さ、不器用さを痛感させられる。同じ工作でもラジオなどを組み立てるのとは異なり、どこか拭い難い不確実性が終始ついて回る。あまり精度を求められていないのがもっけの幸いだった。

しばらくするとモルタルにサークルロゴを刻むための型作りが始まった。この間、東大生君は一旦家に帰り追加の資材と道具を持ってくるはずだったが、当初想定していた約30分の所要時間を過ぎてもなかなか戻る気配がない。やむをえず藝大生君が型作りを進め、僕は明日以降の引き継ぎに備えて写真撮影を行った。

そういえば僕と彼らが顔を合わせるのは今回で2度目(東大生君は3度目)となる。我々のプロジェクトはほぼすべてインターネット上で完結してしまったため、それこそ物理的な成果物を制作するのでなければ直接会う機会はめったにない。とはいえさすがに対面でも「はじめまして」の域は越えたと見え、仕事や学生生活の話を互いにぽつぽつと喋ったりした。今時の藝大は普通にプログラミングがカリキュラムに組み込まれているそうだ。そのうち美術学部情報学科とかできてもおかしくないな。

それにしても東大生君が東大イラスト研究会に所属しているからという理由だけで勝手に部室を利用させてもらっているが、当の研究会の人たちは学生でもOBでもない31歳男性が平然と紛れ込んでいることを承知しているのだろうか。五月祭で通常装丁版を売った際に何人かと挨拶を交わしたので問題はないと信じたい。加えて、僕はよく大学生と間違われる顔つきをしている。たぶんセーフだ。ちなみに大学生の頃は中学生と間違われていた。

ところで東大生君はどうなったのだろう。時計を見るともはや30分どころではない時間が過ぎていた。藝大生君がDiscordで通話をかけると、すっかり気落ちした様子の彼がインターネット越しに悲痛な声を漏らしはじめた。家にあるはずの資材が見当たらないのだと言う。紛失の可能性もありえるとの話だった。してはならない失敗の予感に打ちのめされ、今の今まで家でうずくまっていたらしい。

東大生君は紛うことなき天才だ。学歴の方がただのおまけに見えるくらいに――そもそも、初参加では2、3冊さえも売れないとされる過酷な同人誌業界で、異常装丁を武器にいきなり数百冊も売り上げた傑物である。「本は中身次第だろ」などと知ったふうな口を叩いていた僕も説得されて思わず出資したほどだ。しかしながら、その突出した能力と引き換えに気分の浮き沈みが極めて激しい。

彼がこうなるのは一度や二度目ではないので我々はすでに状況を受け入れていた。藝大生君と「彼をひとりで家に帰らせるのはやめよう」と奇妙な重要事項を確認した上で、次善策を講じた。まず、東大生君が持ってくるハサミを諦め、手持ちのカッターナイフで資材を裁断する。次に、本来は総出でやる予定のモルタルの流し込み作業を2人で行う。彼と付き合いが長い藝大生君の判断は早かった。両手に道具を持ち、再び槌音広場へと繰り出す。

どうか「家に帰らず店で買えばいいのに……」とか言わないでほしい。東大駒場キャンパスにおいて、工作に必要な道具を手に入れられる店は東大生協しかない。そしてその生協は平日しか開いていない。選りすぐりの頭脳が結集すると評されているこの大学も、ひとたび休日となると陸の孤島に等しい様相を呈するのである。おまけにコンビニも最寄り駅の反対側でなにげに遠い。

午後6時を過ぎ、モルタル作業が終わった後も東大生君は一向に戻ってこない。なんとまだ家にいるという。服用した向精神薬の効き目が現れるのに時間を要するとのことだ。午後7時を回るといよいよ僕たちの方にも焦燥感が募りはじめた。なぜならサークル棟の利用は午後7時半までと定められており、部室の鍵を返却できるのはサークルに所属している東大生君だけだからだ。その上、ルールを破れば叱られるのは我々ではなく東大イラスト研究会だ。はた迷惑どころの騒ぎではない。

刻一刻と迫るタイムリミットの中、せめて速やかな退室を実現すべく2人で部屋を清掃する。未だ固まりきらない汁気の残るモルタル片も、槌音広場から持ってきて部室の棚に収納した。ゴミの回収、拭き掃除――サークル棟じゅうに退去を命じる放送が再三響き渡る。おそらく居座っているのは僕たちだけなのだろう。実質指名状態の警告にうろたえつつも、荷物を外に出して彼を待ち続けた。

果たして東大生君は午後7時30分ちょうどに息を切らして現れた。己の中の深淵から見事這い上がってきたようだ。再会の喜びもそこそこに鍵を閉めて退室の手続きを急ぐ。気づけば外はもう暗い。真夏の気の長い太陽もついにしびれを切らして地球の反対側に引っ込んでしまった。なお、資材の件は他の参加者が受け渡しを誤っただけで彼の落ち度ではなかった。2人が次の作業工程を話し合っているのを隣で聞きながら、僕は闇夜に溶け込む東大名物の立て看板を眺めていた。

明日以降、限定生産される特装版が8月12日、コミックマーケット104の2日目 「東f33b」 にて頒布される。しがないフルタイム労働者の自分は今回と売り子のみの手伝いだが、後は学生諸君らの若い力が計画を実現してくれるだろう。乞うご期待あれ!

おまけ

東大生君が家に戻る前に見せてくれた次作の試作品。こういう感じで本の外装に塩の結晶を生やしたいらしい。相変わらず変なものばかり思いついてくれる。なんでも環境SFをやるそうだ。まだ物語を考えてもいないのにこんなに心躍ることって今までなかったよ。

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