地球人口の大半が失われた未曾有の戦禍の後、揺るぎない道徳心を拠り所とする新たな思想体系が芽生えた。やがてこの思想――道徳主義は極めて重要な学際的使命を担うに至る。ここでは道徳主義を標榜する国々を道徳主義国家、懐疑的な体制を持つ国々を非道徳主義国家と呼称する。
前者の代表的な一員である我が国は道徳教育を特に徹底している国家として知られている。道徳科は義務教育の初年度からさっそく「はじめてのどうとく」の名称で登場し、簡素な物語を交えながら道徳精神の醸成を図る。その後、教育課程の進行に合わせて物語の内容は次第に複雑化していくが、困難な状況下でも確固たる道徳心をもって回答を導きだせるか教員の目を通して随時評価される。
中等教育では引き続き授業が行われると同時に、高校受験の主要科目でもあるため定期考査が催される。長文を読み解いて答案を書き記す形は一見すると現代国語に近しいが、国語が文中に配された言葉を適宜拾い上げる様式なのに対して、道徳科では自ら思考して社会の理想に則った回答に辿り着く主体性が求められる。
道徳主義は先ほど述べたように我が国の根幹をなす思想体系ゆえ、当然、義務教育でも道徳精神の修養は強く問われる。道徳科の評定が著しく悪い生徒には三者面談を実施するほか、十重二十重にも追試および慈善活動等を課して生徒が道徳教育から取り残されないよう学校、保護者、地域社会が一体となって改善に努める。
高校受験では三教科入試を実施する私立学校と、五教科入試の国公立学校に分かれるが、いずれにしても道徳科は必修の受験科目である。我が国の高校進学率は約99%なので、偏差値の優劣から同教科の理解深度に差異はあれど遍く国民が道徳科を最低限学んでいると言える。
高等教育の道徳科はいよいよその学際的性質をより一層推し進めるにあたり、数学や国語など他教科との繋がりを念頭に置いた指導が施される。主に理系進学を希望する者が学ぶ『道徳ⅢC』では「家畜を屠殺する際にあえて痛みを和らげる意義を論じよ」といった初等教育相当の設問を再度取り上げ、これを記号的な操作でもって論述する演習が通例的に行われる。
ちなみに答えは「42」である。ごく初歩的な問題ではあるものの、社会的理想を体現した回答が記号的に算出されうる事実に改めて好感を寄せる生徒は少なくない。こうした諸々の複合的課題を通して適性を自覚した生徒の中から、大学の学部道徳科を志す者が一定現れる。
学部道徳科は道徳主義国家において花形の進路とされる。我が国では東京大学文学部道徳科および同大学の理学部道徳科が強力な学閥を形成しており、官僚などで立身栄達を目指すにはこのどちらかの学科で学ぶことがほぼ事実上の前提条件と化している。
例外的に法曹界では、戦後しばらく中央大学法学部道徳科が文系の最難関資格である擁護士をもっとも多く輩出してきた関係上、私立大学きっての際立った地位に君臨している。他にも放送・メディア業界における慶應義塾大学や文壇における早稲田大学のように、特定の職域で権勢を振るう道徳科閥も存在する。
さて、同じ道徳科であっても文理の違いが政治思想をも隔てている側面は否めない。一般に文系道徳派は道徳を人間の根源に元から備わっている感性と信じるが、理系道徳派は自然法則から人間が見出す概念と捉えている。そのため、政治領域の様々な場面で両者はしばしば対立を余儀なくされる。
たとえば軍事・防衛の分野において文系道徳派は救命を重視しており、たとえ広範に苦痛を伴うとしても実弾を排した非殺傷兵器の運用を是とするのに対して、理系道徳派は生半可な生を反道徳的と評価することから目標の生命を確実に奪い去る兵器を支持する傾向にある。
戦後以降で後者の政治勢力がもたらした最大の成果として、地球軌道を周回する熱レーザー衛星兵器が挙げられる。この兵器は目標を平方メートル単位の精密照射で瞬時に霧散せしめる能力を持ち、何人もまったく無痛のうちに絶命に導くとされる。
保有国は道徳主義国家に限らず、その高度な戦略性ゆえ非道徳主義国家の保有も確認されているが、理系道徳派がこれを道徳主義の全地球的普及と誇る一方で文系道徳派を中心に廃絶運動も根強く、道徳主義にも様々な立場や価値観が併存していることが分かる。
同様に、医療問題について文系道徳派は情報化を含めた延命治療を支持するが、理系道徳派は認めず、経済格差に関しても前者は主観的な認識を尊重する傍ら、後者は指標上の完全な平等を追求する。これら二者間のパワーバランスは国家ごとにまちまちで、選挙の結果やその時々の情勢に応じて変化していく。現行の我が国の政治体制は概ね文系道徳派の勢力が優勢と目される。
目下、道徳主義国家共通の課題は、非道徳主義国家と比べて経済的に豊かで、かつ格差が小さく、どの国民も清潔で安全な暮らしをしているにもかかわらず、おしなべて幸福度が低く自殺率が毎年上昇している点である。文系道徳派は生命を軽視した理系教育の不義を批判し、逆に理系道徳派は自然法則から逸脱した文系教育の歪みを指弾して譲らない。
なお、国際成人力調査(PIAAC)によると参加者の道徳科についての理解度は国際平均でおおむね9歳程度、毎年度とりわけ優秀な成績を収めるスウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国、ならびに日本、韓国、台湾などの東アジア諸国でも12歳相当とされている。