2024/09/11

ターミネーターシリーズの思い出を語る

現在、Netflixで「ターミネーター0」が公開されている。なんとあのターミネーターシリーズの最新作がアニメでやっているのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。アニメファンが世界中に増えたのも理由の一つには違いないが、より大きいのは本作の不可侵性がもはや失われたことだろう。

ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名な映画であると同時に、幾度となく公式で解釈の変更が繰り返された作品でもある。たとえばターミネーター3は2の続編だが、実は主人公の年齢すら食い違っている。さらに言うと、4は3の続編、ドラマ版は2の続編、ジェニシスは1のやり直し、ニュー・フェイトは2の続編のやり直しだ。

これらの作品群はまるでお互いを打ち消し合うかのように時間軸を盛んに分岐させ、懲りずに新たな解釈を創出し、例外なく商業的失敗の憂い目に遭ってきた。今もなお熱心にシリーズを追っているファンはとっくに「ターミネーター2のような」歴史的名作が現れる期待など捨て去り、作品ごとの解釈を前向きに捉える慈母のごとき情愛を獲得している。そうでなければやっていられない。

そもそもターミネーターは別に大層なハードSFでもなんでもない。「殺人魚フライングキラー」で大失敗したジェームズ・キャメロン監督が熱にうなされて観た悪夢が元ネタの与太話に過ぎない。もともとタイムマシンの設定からして矛盾の塊だ。機械軍の親玉たるスカイネットが開発したのに生きた細胞しか過去に送れないってなんだよ。でもT-800は生体組織で機械部品を覆っているからセーフ。 はあ、そうですか。念入りに検品しないと無駄になっちゃうね。

ちなみに初代ではターミネーターを追ってカイル・リースが過去に行った直後にタイムマシンを破壊したとされているが、ターミネーター2では全然普通にT-1000とT-800が送られてきている。ところでT-1000ってナノマシンの集合体だから少なくとも生体組織とかではないんだよな。一応、表面部分が皮膚と同じ信号を発するとかなんとかやっている設定らしいが……。 まだこの話する?

要するに、ターミネーターはSFとしてよくできているから面白いんじゃない。機械工学的にはどうなのか知らないがむっちゃクールな殺人マシンが無表情でとことん追い詰めてくるのが怖くて楽しい。そして、そんな強敵を相手に逃げ惑いながらも工夫して打ち勝とうとするから面白いんだ。本当はSFじゃなくてホラー映画の文脈で作られているんだ。

しかしこんなワイルドなやり方がまともに通用したのは昔の作品だからであって、映像技術も視聴者の前提知識も進歩した21世紀に同じ作り方をするのはいくらなんでも無理がある。だからSF要素の方を突き詰めるしかないんだけど、そっちに大衆的需要があったわけじゃないのは先に述べた通りだ。

つまり、ターミネーターの新作はどう転んだってターミネーター2のようにはなれない。まずはそいつを認めることが長くファンを続ける秘訣だ。その上で良さげな解釈をファン同士でぶつけ合い、新作に予想通りの解釈が出たらしきりにアツがって悦に浸る。そういう感じで我々はこれまでやってきた。

そこへいくと「ターミネーター0」は過去作で培われた解釈を結集させたような、いわば独自解釈の煮凝りとでも言うべき路線を堂々と歩んでいる。かつての続編はどれも初代や2の栄光を取り戻したいとでも言いたげな気配がちらついていたが、本作は表現技法の違いもあってかオマージュこそ取り込んでいても過去作との差別化にためらいがない。そもそも、舞台からしてアメリカじゃない。日本だ。

ターミネーターシリーズは機械と人類の戦いという大風呂敷を広げた設定の割には、なぜか舞台が西海岸で完結してしまう昔ながらのハリウッドスタイルを維持している。だから他の国々の具体的な状況が一切描かれていない。本作はそこの隙間をうまく突いている。

「ターミネーター0」の基本的なプロット自体は以前とそう変わらない。人間とターミネーターがタイムスリップする。敵の破壊には概ね成功するものの、人類と機械の戦争が勃発する「審判の日」は避けられない。スカイネットが核ミサイルを発射して地球は火の海と化す。ただし、日本を除いて。

いや、マジでそうなんだよ。日本だけ無事なんだ。この話では。なぜなら2045年から1983年の東京に来た技術者が、スカイネットに対抗しうる人工知能を開発して事前に備えていたからだ。もっともその人工知能にもやたら説教されるし、なんなら「人類も敵かもしれない」とか言って自衛隊とか警察官とか殺されまくるんだけど、色々あって核ミサイルは防いでくれる。マジで。

この世界の日本はとてつもなくすごい。90年代なのに作業用の人型ロボットが普及している。店とかで普通に働いている。特に説明もない。2のアメリカではサイバーダイン社がプレス機からパクったマイクロチップの複製でドヤ顔していたのにさすが科学技術立国日本は違うな。もしこっちにサラ・コナーがいたら即来日してSONYとかHONDAの社屋を爆破して回っていただろう。

実際、作中でターミネーターがわざわざ競合他社向けの偽装工作をしなくちゃいけなかったり、特殊な事情があるとはいえ最後には作業用ロボットの物量に押し切られて負けたりなど、スカイネット的にもかなり納得のいかないであろう苦戦を強いられているのは興味深い。

ちなみにこの「スカイネットを超える人工知能を作る」とか「技術者を過去に送って備えさせる」といった設定はドラマ版ターミネーター「ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ」から拝借したものでまず間違いない。このドラマ版は今やよほどのファンでなければ存在すら知らないかもしれないが、当時は独自解釈の宝庫でなかなか楽しめた。

特に気に入っている設定は、再プログラミングではなく自発的に人類に味方する「マシン・レジスタンス」なる第三極の存在だ。味方と言ってもズッ友ではないから目標達成に邪魔だと判定されたら容赦なく殺される。人間には不可能な実行力と倫理観のなさでスカイネット抹殺に向かっていく姿勢は毒には毒をもって的な清々しさが感じられた。

こういう前向きな気持ちで楽しめば、ボロクソに言われ放題のターミネーター3だってちゃんと見どころがある。インターネットが普及した時代柄に合わせて、スカイネットを単一の巨大なコンピュータではなく分散型ネットワークとして描いたのはかなり偉かった。中心がないから誰にも止められない。説得力抜群だ。しかし作劇上の都合が悪すぎて後の作品には継承されなかった。無念。

ターミネーターの原型(T-1)を映像化したのも偉い。人間っぽい形のターミネーターが何種類かいて、飛行機みたいなやつもいて、戦車が縦にでかくなったみたいなやつもいる。じゃあ一番最初の最初ってどんな感じなのかなってみんな一度は考えたんじゃないかと思う。21世紀初頭の技術力でギリいけそうな雰囲気が出ているのも誠に偉い。

僕は当時、このT-1の程よく無骨でリアルスティックなフォルムに大いに魅了されて何度も何度も上の動画のシーン(1分30秒以降)を繰り返し観たものだった。そのせいでママからはずっと「人が死ぬのを観るのが好きな子」だと思われていた。違うよ、好きなのはクールなマシンが人を殺すところだよ。陸王少年はそのように至極健全に育った。今でも気に入ったシーンがあると巻き戻して観る。

ターミネーター4やジェニシスだって悪くない。今まで冒頭に数分しか流れなかった機械と人間の戦争を全編に渡って描いたらどんな感じか気になってはいた。人間とターミネーターのハイブリットもファンの間ではよく検討されていた設定だった。ジェニシスの方は「じゃあ逆に人間側がむっちゃ備えてたらどうなるよ」っていう問いへのアンサーを見事に映像化している。

いかに技術力で劣る80年代と言えど周到に準備していればT-800なんて対物ライフルでワンパンだし、T-1000だって強酸で溶かせば容易に破壊できる。イ・ビョンホンも役柄にハマっていた。キャラクターが合えば人種に関係なくターミネーターを立派に演じられる事実を証明したのは大きい。80年代のアメリカでアジア人の警官に偽装するのが明らかに変なのは置いておこう。

反面、ジェームズ・キャメロン監督が制作に復帰してサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンまで呼び寄せて〝正統な続編〟を謳った「ターミネーター:ニュー・フェイト」が一番ピンとこなかったのは皮肉的だ。熱心なファンの裏をかこうとしすぎるとかえっておかしなことになるのかもしれない。新たなターミネーターは液体金属と骨格部分に別れて2体で別々に行動できるんだ……とか言われてもふーんって感想にしかならない。アクションはすごかったけどなんかマーベルっぽい。

そう考えるとターミネーター2のレジェンドぶりはやはり伊達ではない。重厚で頑丈な初代ターミネーターの印象がまだ記憶に新しい頃に、液体だから銃撃も打撃も効きません、でも金属なので手をナイフにして殺せます、骨格とか持ってるやつ全員馬鹿です、などと劇中で散々やられたら唸らざるをえない。じゃあどうやって倒すんだと興味津々になる。

もちろん弱点は明確に用意されていて、衝撃と温度変化に弱い。傷は直っても骨格がないから撃たれると大きくのけぞる。冷やされると固まって熱されると溶ける。誰でも視覚的にはっきりと納得できる。物書きなら誰しもあれくらい鮮やかにラスボスを退場させたいと願うだろう。SFというよりは脚本の勝利と言うほかない。

しかし新作は深掘りするしかない。だからどうしても理屈っぽくなってしまい、物語の簡潔さ、設定の明瞭さは失われる。ターミネーター2より後の続編が独自解釈の博覧会と化したのは作品作りの避けがたい宿命ゆえでもある。その辺りを踏まえると、僕はあまり過去作を貶す気になれない。

最新作の「ターミネーター0」もたぶん、昔のターミネーターだけを「本物」とする立場では気に入らないだろう。マルチユニバースが作中で明言されているあの世界では、ジョン・コナーもサラ・コナーも唯一無二の救世主ではない。彼らの努力や奮闘は無数の平行世界の一つに過ぎないのだ。

だが僕としてはここまで好き放題やり尽くしてきたのだから、世界観そのものをいっそある種のプラットフォームに仕立てた方が潔いのではないかと思う。その時々で上り調子の監督や制作会社が、思い出に残るターミネーターの独自解釈をお披露目する場――歴史的名作でなければならないという軛から解き放たれたターミネーターシリーズは、きっともっと自由で豊かな存在になれるはずだ。

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