先日、三十路を過ぎた身でピアス穴を開けた。ぶすり。いや、ぶすりという感じではなかった。バチンッという音に近かった。耳に穴を開ける道具はパンチ穴を開ける機械と構造が似ている。というより、対象が紙か皮膚かの違いだけで仕組みはほぼ同じなのではないか。ともあれ、そのようにして僕の耳たぶに穴が穿たれたのだった。
こういう経験は学生のうちに済ませておけば話が早かったのかもしれないが、その頃はそうした事柄にさほど関心を抱けなかった。むしろ、どうしてわざわざ痛い思いをしてまで着飾る必要があるのか、と訝しんでいたほどだ。しかし歳をとり相応に視野が広がってくるにつれ、遅まきながらピアッシングが装飾を拡張する実用的な手段だということに気づいたのである。
いわばファッションのための拡張機構、ファッション・スロットとでも表現できる。人はみな、大抵服を着る――なにを着るかは別としてもとりあえずなにかは着る――着衣が前提の社会において被服の文脈は極限に透明化されてしまい、必ずしも当人のアイデンティティを強く代表するものとはかぎらなくなった。
一方、この”ファッション・スロット”は今も昔も一定の文脈を負う。物理的に穴を穿つ過程が否が応でも個人の意思を表明せしめる。管理的な環境でしばしばピアスが染髪と並んで不良の代名詞とされているのは、おのずと醸し出される主張性が統制を乱す因子となりうるからだろう。翻せば、ファッション上の差別化を図る意味合いでは非常に効果的な手段と言える。
幸いにも、今の僕は就業規則の緩い職場にいるおかげでこの拡張機構を有効化できる。折しも、ショートヘアにした際に童顔がやや悪目立ちする傾向を払拭できないか検討していた経緯もあり、ピアスの装着は有力に思われた。近場のクリニックが手頃な料金体系だったので、開けると決めた後は行動も手短に済んだ。
しかしいざ施術の段となり、ピアスガンを持った看護師に耳たぶのどこに開けたいか問われると少々戸惑った。耳の軟骨の部分や、鼻や舌など他の部位にも穴が開けられるのは知っていたが、耳たぶ一つの中にも多くの選択肢があるらしい。わずか数cmの穴の位置の違いでそれぞれ文脈が変わる。このような極小の世界観の豊かさについて知悉したいと常々願っている。
とはいえ、不慣れなうちは中央付近でないとなにかの拍子に千切ってしまいそうな気がしたので、今回は標準的な位置に開けてもらった。そして冒頭の文面に戻る。一瞬の激痛の後、パンチングされる紙ってこういう気分だったんだななどと考えている間に処置が終わり、耳たぶの上に直径二mmのジルコニアが生えていた。これはあくまで穴を保持するためのピアスなので装飾性はあまり高くない。
ちょっと驚いたのはピアス穴が完成するまでの期間が意外に長いことだ。まず、最初のピアス(ファーストピアス)は最低でも二ヶ月間は取り外しさえできない。風呂に入る時も寝る時も、病める時も健やかなる時も常に着けていないといけない。日々の消毒も着けたまま行う形となる。この段階で着脱を行うと穴の形が歪になってしまうためだ。
二ヶ月経ち、穴が安定してくると相応の装飾性を備えたセカンドピアスに取り替えられるが、それでも取り外せるのは数時間程度が目安とされる。最終的に半年以上経ち、あらゆるピアスを着けられるほど安定してはじめて真に着脱の自由が得られるのだ。まるで装備以外に熟練度があるタイプのRPGみたいだな。
さしあたり二ヶ月後に着けるピアスを考えておかなければならないのだが、実はもう一つ目は決めてある。それなりに装飾的であり、自分の服装に適うフォーマルな形状であり、かつ、アイデンティティを代表するものとしては、堅牢な材質でできたミニマルな図形がよいと感じた。そこで、手始めに純チタン製の四角形を試してみようと思う。
なにしろ僕の人生はほとんど四角形を前にして行われている。四角形のディスプレイの前で四角形のキーを叩き、四角形のウインドウに表示された文字列を読んだり書いたりしている。このように自身の担う文脈を抽象的に表現する手段を以前から模索していたが、ピアスによってそれが実現しうるというのはまことに望外の発見だった。今のところ経過は順調である。こうして、僕の身体にファッション・スロットが一つ増えた。