2025/04/03

いずれすべてが代行される

入社当日、または数日目にして早くも退職を果たした新卒社員が続々現れていると言う。巷ではこれを若者特有のタイパ思考などと世代論にまとめて扱う傾向が強いが、新卒者の早期退職率は昔から今まで概ね横ばい(約3割)で目立った変化はなく、少なくとも統計上からは各世代の内的な性質に因る特徴は見られない。

あえて想像するなら、かえって雇用形態が曖昧だった昔の方が「あいつはトンだ」「フケた」と濁して突然消える向きがありそうに思える。もっとも手軽なはずのスキマバイトの類にもスマートフォンが必須とされ契約に個人情報が求められる今時と異なり、当時は港町やドヤ街に赴けば住所不定無職の風来坊でも難なく仕事にありつけたと聞く。だとしたら、昔には昔なりの早期退職の姿があってもおかしくはない。

要するに、世代に関係なく辞める人は辞めるし辞めない人は辞めないというのが僕の見解なのだが、とはいえそこに世代的な隔たりがないとは思わない。むしろ大いにあると考えている。代表的なものの一つが退職代行業の流行だ。所定の料金を支払うと本人に代わって退職の意思表明や書類手続きを代行してくれる。辞める人は新卒だろうと50、60代だろうと辞めるが、後者の年頃の人が退職代行業者を使って仕事を辞めた話はあまり聞かない。

してみると、これは奇妙な話に感じる。自分でもできる仕事をわざわざ他人に代行させるのは一般には富める者の振る舞いと見なされるためだ。貧乏人に家政婦やベビーシッターは雇えない。にもかかわらずおしなべて給与が低く、生活水準も乏しい若者が代行業務を発注するのは、僕にはどうも身の丈に合わない行いに見えてしまう。

調べたところ、退職代行業務の価格相場はおよそ2〜3万円。正社員であればさらに1万円ほど上乗せされているケースが多い。いかに近年の新卒者の初任給が上昇傾向にあると言っても、転職して次の給与を得るまでの無収入期間を考慮すると数万円単位の損失は相当に大きい。面接先の会社に行く交通費も数社、十数社と受けていくと案外ばかにならない。

いくら相手が凶悪なブラック企業でもまさか退職希望者に暗殺者を差し向けたりはしないだろうし、せいぜい小言を言われるか悪くても怒鳴られる程度で済むのではないか。どのみち辞めた後には一生関わらない相手になにを言われても知ったことではない。数万円もの代償に見合うほどの苦役とは僕には到底思えない。

というふうに最近までは考えていたのだが、この件について自問自答を課した結果、もう少し含みのある結論を得られた。年齢層に応じてコミュニケーションの評価基準が異なる可能性を見落としていたかもしれない。所詮はこれも世代論なので今から話す内容はあくまで極論として聞いてほしい。

たとえば年配の人、高齢者の世代は基本的にコミュニケーションそれ自体に正の評価を与える傾向が根強いように思う。たとえ激しい喧嘩や諍いであっても彼らは正に数える。なぜなら彼らにとって負とは物理的な暴力のみであり、どうであれ話し合いでカタがついたのならそれは唯一の負が回避された平穏な状況だからだ。

次に、僕たちの世代、中年の世代は相応に自然の暴力から守られて育ったため、そこまでワイルドな評価基準は持てない。僕個人としても負のコミュニケーションは存在する。軽い口喧嘩であっても避けられるなら避けるに越したことはない。過去を省みると直ちに抹消せしめたい会話の履歴は無数に湧いて出てくる。ただ、苦痛を伴わなければ理解できなかったという諦観で自分を納得させている。

では、若者の世代、Z世代やα世代はどうか。僕の観測範囲で眺めるかぎり、彼ら彼女らはコミュニケーションそれ自体にうっすらと負の印象を抱いているように見える。朗らかな性格であったり、運動部に所属していて活動的であっても関係ない。前提としてコミュニケーションは常に負の値を持ち、限定された相手と特定の状況下にかぎってようやく正に好転する。

店員に料理を注文する機械的な会話も、親子の愛情と責務の狭間に横たわる緊張的な会話も、距離感の微妙な同僚や同級生との試行錯誤的な会話も一切が負であり、できれば丸ごと省略したいと彼らは考えている。そうして選り分けたコミュニケーションの中から、純粋な快楽に適うものだけを味わいたいと切望しているのだ。

このような評価基準では、確かに退職に関わる交渉事など是が非でも御免被りたい。幸いにして、昨今の世の中はそうしたニーズを先回りして受け止める形に進歩しているし、店員との会話も、他の個々の状況にもそれぞれ代行を担う技術が発達してきている。退職代行業者も注文用タブレットと同等の代物と捉えればなんら不思議な話ではない。

僕とて注文用タブレットは便利に使っているくせに、退職代行業者の利用を怠慢と捉えているのはまだコミュニケーションの評価基準が甘く、気安く価値を認めてしまっているからなのだろう。しかし前述した通り、非娯楽的なコミュニケーションが次第に間引かれていくのは技術の進歩に伴う必然的な現象である。

退職代行業も今は辛うじて人力で行われているが、こういった商売もそう遠くないうちにLLMによる代行AIエージェントに取って代わられるはずだ。当然、その時代では個々人がパーソナライズされたAIエージェントを持ち、コミュニケーションの大半を代行してもらう形となる。企業側の応対もエージェントを通して行われる。機械知性同士の会話であるから自然言語を用いる必要性もなく、手続き的な応答に特化した構造的言語がより一層発達していく。

その時代の人々は互いにコミュニケーションの結果のみを受け取り、過程には気を払わなくなる。ほとんどの人がエレベータや電車の動作原理をろくに知らないまま乗り降りして、目的地にたどり着くという結果のみを得ているように、構造的言語でブラックボックス化されたコミュニケーションの内訳に関心を持たず、与えられた選択肢をただ享受する。こうして、いずれすべてが代行される。

むろん、これらの代行AIエージェントはれっきとした製品である。エントリークラスの広告付き無償版は最低限の選択肢しか提供してくれず、利害調整などの交渉事にはめっぽう弱い。逆にフラグシップモデルの高級品は相手のエージェントを論理的にねじ伏せて有利な条件を引き出してくれる。その根本的な理不尽さからくる格差を新しい時代の人々は疑いさえしないだろう。考えたり疑ったり苦しんだりするのはもはや人間の仕事ではないからだ。

翻って現在。では、一体どうすればいいのか? 手当り次第にわざと苦しんでみる? ナンセンスだ。退職代行業者に頼って退職する若者はあるものを使っているだけに過ぎない。ニーズに対して商品が生まれるのは避けられない。かくいう僕もすっかりLLMに頼りきりでコーディングしており、間もなく仕事の方もLLMに頼る前提で振られる時代がやってくるに違いない。

つまり、すでに賽は2^64個くらい投げられている。どこかの誰かに賽を投げた責任を負わせたくても、みんなが一斉に振った以上はどうにもならないのだ。自分でもびっくりするほどの極論だが、なぜだかそう的外れな気がしない。

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