2025/05/21

革探しの旅Ⅵ:ビジネスバッグ編

いよいよナンバリングがドラゴンクエストとかファイナルファンタジーみたいになってきた。前編を読む必要はあまりない。さて、これまで僕は様々な革鞄を手に入れてきたわけだが、最近はテーラードジャケットを中心とするトラディショナルなファッションを追求していることもあり、またぞろ鞄のラインナップを増やす必要性に迫られた。

いわゆる「ビジネスバッグ」と呼ばれる代物である。短い持ち手がついた片手持ちの四角い鞄だ。よりクラシックな仕様だと前面に錠前が設けられている。かつてセットアップのスーツにネクタイがサラリーマンの前提とされていた時代では、持ち歩く鞄も大抵はこうした形状のものだった。今日でもコンピュータ上で「ビジネス」を表す記号的表現として、そのような形のアイコンを目にする機会がある。

しかし今や現実でそういう鞄を持ち歩いている人々は非常に少ない。まさしくビジネスゆえの合理的なニーズが、ビジネスバッグの主役の座を伝統的な手提げ鞄からリュックサックへと移行させてしまった。通勤ピーク時にスーツを着たサラリーマンの集団を見渡せば、一昔前まで禁忌中の禁忌とされていた「スーツにリュック」のスタイルがいかに深く浸透しているかがうかがえる。今時、擦れて傷むような本格的な生地のジャケットを着る人も減ってきている。

とはいえ、逆にそれはそれで良かったのかもしれない。これまでの世の中は世間体のために万人がしたくもない格好をさせられ、買いたくもない服や鞄を買わされていたが、これからは自ら進んで伝統美を追い求めたい人間だけがそれらを身につける時代なのだ。だからこそ一歩進んだ柄物のネクタイや、明るい色合いの革鞄を選ぶのにもいちいち気後れしない。服飾業界の慢性的な経営不振はともかく、総合的には多くの人にとって望ましい時代になったと思う。

僕としても大いに恩恵を受けている。というのも本来、ビジネスバッグといえば書類を持ち運ぶためにA4サイズ以上の作りが当たり前だった。今でもラップトップ用に大半のビジネスバッグはそのサイズ感を維持しているが、本革で片手持ちでA4サイズ以上の鞄となると、これはもうとんでもなく重い。鞄単体で2kg近くにも達する。その中にラップトップとその他の荷物が加わったら3、4kgもの荷重が片手にぶら下がる格好となる。多くのサラリーマンがリュックに移行した理由が分かろうという話だ。

そこへいくと、僕はA4の書類もラップトップも普段は持ち運ばない。通勤時も職場には職場用、自宅には自宅用のマシンがあるので必要な荷物は限られている。つまり、形はれっきとしたビジネスバッグでサイズだけ小さい鞄があれば良い――それこそ昔だったら相当に奇抜な発想だろう――通常、伝統的で小ぶりな鞄といえば婦女子向けの丸みを帯びたものがほとんどで、紳士向けの角ばった作りにはなっていない。

ところが、幸いにも僕が贔屓にしている革製品ブランドのHERZがまたもやうまくやってくれていた。セカンドバッグ・ダレスタイプと題されたそれは100年前から存在していそうな伝統美とミニマルなサイズ感を絶妙に両立している。クラシックな外観を重視して縫い糸の色を白から焦げ茶色に変えてもらったが、店頭で糸の色見本を凝視しながら小一時間も唸り続けたのにはさすがの店員も辟易したに違いない。

そうしてセミオーダー仕様の鞄が手元に届くまで1ヶ月半。出来上がった鞄は果たして期待通りの威厳を秘めていた。2、3年と使い込んでいくうちに、その威厳はくすんだ革肌とともに表情として克明に現れてくるだろう。最大の特徴はやはり錠前の重厚な存在感である。嵌めると小気味よくカチャリと金属音が鳴り響く。あえて施錠はしない。元より大して防犯には役立たない。だが、数多ある鞄の中でも閉じるたびに充足を得られるのはこれぐらいだ。

一方、伸縮性のないハードレザーで組まれた横幅30cm足らずの内側は予想以上に狭く、驚くほど荷物が入らない。予め携行品が決まっている人でなければこの種の鞄を使いこなすのは難しいと思われる。注文前に店頭で入念なシミュレーションを重ねたのは言うまでもない。

僕が必ず持ち歩く荷物はペン、ロイヒトトゥルム1917(手帳。なにげにアナログの方の日記も半年ほど続いている)、財布、小物入れ、無線イヤフォン。右側の空いた余白には水筒かコーヒー豆の保存容器が入る。街歩き用には前者、通勤時には後者が選択される。どうせ飲むならいちいち店で買うより自分で焙煎したコーヒー豆の方がうまい。もちろん、ハンドドリップのためのコーヒー用具は職場に常備してある。縛りプレイに隠されたささやかな自由。

背面。数枚の紙片くらいしかまともに入りそうになく、情報化以後の現代においては完全に死を宣告されたスペースと思いきや、意外にもKindle Paperwhiteがぴったり収まる。(上の画像でも入れている)電車に乗り込んで即座に読書を開始できるのは僥倖であった。本を読んでいると吊り革を掴む手が足りなくなるので鞄は棚に置かざるをえないが、このサイズなら簡単にひょいと持ち上げられる。

以上、こうしてみるといかにも堅物そうな鞄も工夫次第で便利に持ち歩けることが分かっていただけたかと思う。これからの開かれし時代、伝統とは押し付けたり押し付けられたりするルールではなく、このように好き者が趣味として楽しむべきものなのである。

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