2025/07/18

2025年参議院選挙、僕はこのように投票する

今週末、参議院選挙の投開票が行われる。すでに各メディアが報じているように、与党の過半数維持はかなり厳しい情勢だ。政治信条的な面からも制度設計上の面からも政権交代を期待する立場としては、通常これは歓迎すべき状況である。ところが、今回ばかりはそういうわけにもいかない。

なにしろ石破政権は過去の政権と比べて明らかに穏健的であり、表向きは保守自認ながらも実態的にはほぼリベラルと言っても差し支えない政権運営を行っている。特に安倍政権時代によく見られたナショナリズム賛美や居丈高な態度はすっかり鳴りを潜め、夫婦別姓や同性婚に諸手を挙げて賛同するとまではいかなくとも、前向きに検討しないでもないぐらいの姿勢が感じ取れる。

他の分野でも、たとえば労働者軽視の新自由主義的政策や近隣諸国との歴史問題に関する軋轢など、これまで左派が問題視してきた多くの部分が石破政権では抑制化、沈静化していると評価できる状態だ。つまり、現政権は事実上のリベラル政権と言える。だからこそ左派にとって政治状況はますます厄介なものとなる。

まず第一に、それでもひたむきに真正のリベラル政党による政権交代を目指すとしたら、少なくとも次回の選挙までに石破首相には退陣してもらわないといけない。権力基盤が安定しているうちは政権交代の機運など起こりようがないからだ。だが、たとえ政敵でもせっかく成立しかけているリベラル風味の政権をあえて追い出すのは、バキバキに決まった右翼政権と戦うよりもむしろ心理的ハードルが高い。正直に言うと別にそんなに嫌いじゃないしやりづらい。

にもかかわらず、実際にそうなれば次の衆議院選挙の前に総裁選が行われる。現時点でもっとも当選の見込みが高いのは前総裁選で次点についた高市早苗議員だ。言わずもがな、彼女は自民党内で一位、二位を争うタカ派で知られている。彼女が総裁の座に就けば自民党は名実ともに保守政党への回帰を果たす格好となる。政敵を追い込んだつもりが、逆にもっと過激な敵を招いてしまうのである。

それでも展望はなくもない。高市政権は失われた保守票をある程度取り戻して自民党の権勢を短期的には回復させると思われるが、普段から声高に主張している強硬な外交姿勢が現実にまろびでた時、経済や国際協調にとてつもない打撃を与えることは想像に難くない。そういう懸念が根強かったからこそ、当時の自民党議員や党員は傍流に甘んじていた石破氏を一挙に総裁へと引き立てたのだった。

自民党は保守政党ではあるが、彼らにとってあくまでそれは経済的動員と票田を同時に引き出すための道具に他ならない。道具磨きに凝りすぎて獲物を狩り逃しかねない人間をリーダーには戴きたくないのだ。しかしながら、これまで散々っぱら道具を売り出してきただけの効果は良くも悪くもあり、狩りよりも道具磨きの方に耽溺する支持者を多く抱えこんでしまっているのも自民党の性質の一つに数えられる。

今回の選挙期間中、高市氏を中心とする道具磨きグループは目に見えて選挙協力を控えている。間違いなく石破首相の退陣を当て込んでの対応だ。錆びついた道具で戦わざるをえない狩りグループは厳しい状況を強いられている。そして、まもなく選挙結果を突きつけられて求心力を失った狩りグループに取って代わり、道具磨きグループが高市氏を首相の地位に押し上げていく。

この時の自民党は保守にとってたいへん魅力的に映るだろう。装飾品の銃や剣がしばしば本物よりも華美で瀟洒な造りをしているように――だが、自民党が経済界の要請を一手に引き受けることで強力な支持母体を得てきた背景を鑑みると、いつかは必ずその立派な道具で狩りに行かされる。もしそれがまともに撃てず、切れもしないなまくらに過ぎないと判った途端、ただでさえ過半数割れで始まった高市政権はさらに不安定化を余儀なくされる。

ここでばたばたと総崩れを引き起こしてくれればいよいよ政権交代の機運が訪れる。あるいはそこまではいかなくともタカ派政権の長期化をいち早く挫いて退陣を促し、再び成立した穏健な政権のもとで連立を提案するなど様々な形で政権運営に介入できるようになる。そうして大臣経験者を豊富に揃え、官僚とのネゴシエートを学んだ野党が、やがて政権交代を実現する。

これこそが僕の抱いている展望だ。これ以外の形で棚ぼた的に政権交代を実現しても旧民主党と同じく政権運営を覚える前に国民から愛想を尽かされてしまうと思う。現状、すでに首相経験者と大臣経験者を両方揃えている立憲民主党がもっともこのシナリオに適しているため、僕は基本的には彼らに票を投じてきた。とはいえ、高市首相とてむざむざおとなしく退陣はしてくれないだろう。そこで、第二の話がやってくる。

経済界の支持を失った高市政権にはA/Bのプランがある。プランAは道具磨きをやめて不慣れでも狩りに精を出すこと――ただし、これは容易ではない。道具磨きグループにとってはイデオロギーの喪失に等しい。移民や非正規労働者の問題も経済的合理性の前には棚上げせざるをえない。支持者からしたら明確な裏切りである。対してプランBは、道具磨きを同じくらい熱心にやっている別の似た集団とくっつくことだ。

なんでも参政党は今回の選挙で10議席以上を得る見通しだと言う。彼らと彼らの熱烈な支持者が丸ごと手に入り、かつ、その勢いがポリッシュを道具にすばやく擦りつけるがごとく次の選挙まで保たれるとしたら、あるいはもしかすると経済界と一旦手を切っても勢力を維持できるだけの議席が手に入るかもしれない。結局、圧倒的に支持されさえすれば支持母体は後からついてくる。

殊ここに至っては、参政党関係者の発言を逐一ファクトチェックしたり、過激思想を揶揄したりといった対策には大した意味がないのだろう。究極に言えば彼らの敵は言葉に言い表せない閉塞感、日々の営みについて回る曖昧模糊とした不満それ自体であり、常識に根差した批判をすればするほどかえって強引極まる現状打破の魅力を強化する結果に繋がる。

もしそんな考え方が社会全体を覆い尽くしてしまったら、一体この国はどうなってしまうのだろう? 経済を捨てた保守は脆く細くてもそのぶん鋭く尖っていて恐ろしい。どんなに不愉快な指標であっても経済のために最低限それなりの扱いを受けられていた人々が、剥き出しのイデオロギーに突き刺されて全身を穴だらけにされる。そこには理屈もなにもない。体制が正義で正義が体制という循環参照的で意味不明な爆発的権力だけが君臨する。

もちろん、ここまで展開が激化する前に斎藤知事の復活に湧き、石丸元市長の躍進に湧いた過去のようにさっさと飽きられてしまう余地も十分にある。だが、かといって参政党の台頭を前もって抑えない理由はない。「支持されているから支持をする」という浮動票特有の動きを封じるためにも、早いうちに冷水を浴びせておくに越した話はない。

そこで、第三の話が降ってくる。上記は「未来社会プロジェクト」に掲載されている我が埼玉県選挙区の情勢を表した画像だ。見ての通り、四人区で参政党が四人目に食い込んでいる。このまま自然に推移するなら彼らは埼玉県で議席を得るだろう。僕が支持している立憲民主党は当選が確実視されており、次点の投票先に選びやすい共産党は残念ながら当選できそうにはない。

この情勢で参政党を抑えるにはどうすべきか。答えは明白だ。四人目の議席を対等に競っている公明党の候補に入れるしかない。 公明党! 連立与党だぞ? しかし、同様の投票行動をとる有権者が一定数以上いて無事に参政党を抑え込めたとしたら、ひとまずもっとも危険な政党の勢いが削がれ、石破政権が当面保たれる見込みが幾らか高くなる。改造内閣に大臣を送り込むのは同政権下でも不可能ではない。

こうして見ると政治がどんどん複雑化している一方、その内実は徐々に原始的に後退していっている様子がうかがえる。現在の政治にもはやなにかを生み育てるといった発想は乏しく、ただひたすらパイの奪い合いに終始している。一連の状況下では落ち着いて話し合える穏健な秩序がなければ文字通り話にならない。まったく、仮にも急進左派の僕がこんなことを言うなんて誠に世も末だな。

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