2025/10/09

変な柄のローゲージニットを求めて

長らく関東に住んでいても、暖かい服を手元に置いておくと安心するのは北国生まれの習性かもしれない。我が故郷の岩手県盛岡市ではぼちぼち最低気温が10度を下回る。来月の今頃は氷点下近辺まで下がっているだろう。残暑で弛んだ空気が突然手のひらを返したように鋭く尖り、街行く人々をいきおい突き刺しはじめる。そんな辛く厳しい寒風から身を守りし聖衣が、他ならぬニットである。

これはただのニットではない。都会の人間がスタイリッシュに着る薄手のものとは異なる、極太の毛でもったりと編まれたローゲージニットだ。目ざとい人ならニットにゲージ数という単位が設けられていて、20Gとか12Gとか、7Gといった数字が振られているのを知っている。高ければ高いほど目が細かく薄い。10G以上は概ねハイゲージで、それ以下がミドルゲージとされる。ローゲージと呼べるのは4G以下だ。しかし関東の気候で7G以下のニットが必要とされる局面はほとんどない。

そのうえ、ローゲージニットは大層かさばる。どんなに丁寧に折り畳んでも膨張した風船のような存在感を放つ。羽毛布団と同様に圧縮袋に詰めるべきなのではないかと思いくらいには分厚い。機能性素材が発達した今日にこんな鈍重な代物が必要かと言われれば実際まったく不要なのであるが、全身をもこもこの毛で包む幸せを知らないでいるのは人生のピースを最低一つ欠いた状態に等しいとだけ言っておこう。

翻って、たとえ関東在住でもローゲージニットの使いどころはなくもない。真冬に暖房を切って、家の中で着る。そして、体の内側から発生する暖気に身を委ねる。どんな暖房器具よりもプリミティヴで心地の良い暖かさが得られる。当然ながら化学繊維を含むニットではだめで、ウール100%でなくてはならない。外で着ないのなら多少色褪せていても、毛玉が浮いていてもなんら差支えはない。ローゲージニットは丈夫である。変な柄でもいい。むしろ、変な柄の方がいい。変な柄の服を臆面もなく着られるのは部屋着の特権だ。

そうして先週末、下北沢の地に降り立った。古着といえば下北沢、下北沢といえば古着だ。世界各地から古着が集積されし聖地で人々はこぞって服を買い漁り、各地へと散らばっていく。それらのうち多くはいずれ再び売りに出され、様々な経路を辿ってまた下北沢に戻ってくる。その時の値札は以前より高い場合もある。極めて奇妙な循環システムがこの地では機能している。

さて、このような古着の坩堝で服をざっくりと眺めるには賢い方法がある。デザートスノーとJAMとグリズリーだけ見て回ればよい。たった3店舗だけ? と思いきや、これらの店は古着業界でとりわけ商業的に成功した出世頭ゆえ、下北沢に限ってもそれぞれが複数の支店を構えている。特定のブランドや年代の古着を探している人にはてんで向かないが、網羅的に探すなら大抵はこのやり方で事足りる。僕が学生だった頃と比べてずいぶん楽になったものだ。

さっそく入店すると、清涼感と湿気臭さが同居した独特の匂いが鼻腔をくすぐる。結局これがなんの匂いなのか見当がつかず、誰もが「古着屋の匂い」と怠惰なトートロジーに甘んじている。きっと卓越した人物がいつか当意即妙な語彙をもたらしてくれるのだろう。入口に飾られたヴィンテージ価格のアメカジアイテムをやり過ごし、レジの前に並べられたジャーマントレーナーに目を奪われつつも歩を進め、店舗の奥地にたどり着くとそこにニットが並べられている。

とりあえず片っ端から生地を触る。残念ながら大半はアクリル製だ。そうでないものもコットン製が目立ち、ウールが含まれているニットはあまり多くはない。何十着目かでようやく「WOOL100%」の表記を目にする。「HANDWOVEN」(手編み)と記されていたらさらに良い。「MADE IN ENGLAND」と刻印されていたらもう最高だ。現代に伝わるウールニットの伝統はかの地から始まっているため信頼性が非常に高い。店から店をはしごし、なんとなく見込みがありそうなら他の古着店にも寄る。

Youtubeで有名な古着屋『pug』では印象的な調度品に出迎えられ、ファッション学で修士号を得ていそうな前衛的な格好をした店員に用向きを問われた。率直に「ウール100%のローゲージニットが欲しい、変な柄だとなお良し」と要求したところ、以下の服がワードローブの森の奥地から出てきた。悪くはない。特に2枚目はちゃんとローゲージで手編みでイングランド製だった。しかし2万3000円もするという。柄は可愛いが値段は可愛くない。

再度、デザートスノーとJAMとグリズリーに戻る。ところで、古着屋にも店員が話しかけてくるタイプの店とそうでない店がある。扱っている服のジャンルが狭い店ほど前者寄りで、広い店ほど後者に近づく。打ちっぱなしのコンクリートの壁の前に、いかにも厳選された数着の服が吊るされているような古着屋は入った瞬間に店員がシュバってくる。これにはファッショントークに花を咲かせたいアツい思いと、冷やかしなら回れ右してさっさと帰れという冷たい思いの両方が内在している。

各店舗を一周してなにも得られず途方に暮れかけたところ、雰囲気が緩めなリユースショップとして展開しているグリズリーの支店でついに目当ての品を見つけた。惜しむらくは変な柄ではないが、極太のウール100%で手編みでイングランド製で、なんと2000円だ。値札の付け間違いではないか? サイズ合わせも問題なし。急いでレジに向かう。

そこで店員に 「お客さん、他の支店にもいましたよね。ニットを探していたんですか?」 と聞かれて面食らう。今時の古着屋はそういう監視システムが発達しているのか? カメラの中に映る僕には「ニット購入者予備軍」のラベルが貼り付けられていたに違いない。それはそれとして、ローゲージニットは持ち歩くととてもかさばるので初日はこれで終了と相成った。

途中、松本清張の小説か僕のブログのタイトルみたいな店でラーメンを食べた。とうとう僕のブログの名声も下北沢の地に届くまでに至ったかと感激しかけたのも束の間、冷静に考え直すとおそらく松本清張の方を元ネタにしている可能性が高いことに気がついた。ラーメンはスパイスの効いたカレー風味でとても美味しかった。

同じ要領で2日目も探したが、結局買わなかったものが多い。たとえば以下の1枚目はほぼ理想に適っていたが、ボタンをかける部分が壊れていた。2枚目はなかなかブタサンダーな見た目で可愛かったが、ウールではなかった。3枚目は美品すぎて高かった。大量の古着が日夜投入される街でも、自分の条件に見合う服は案外見つからない。

一方、デザートスノーの中二階で見つけたこれは、ニットではないハーフコートなのに買ってしまった。なんとしても変な柄成分を獲得したかったのかもしれない。絨毯みたいな触り心地のウール生地で十分に分厚く、これはこれで部屋で着るのに悪くない。タグ曰く、かつてアメリカで織られた服らしい。本来はキャンプなどの時に着る屋外用の防寒具なのだろう。

古着屋巡りはガチャに等しい。Web上で目録化されている商品は一部に留まる。いつなにが入荷して、どこに在庫があるのかは店員でさえ与り知らない。事あるごとに並ぶ品物が変わり、一時間前には残っていた服がないこともざらだ。入れ込むのはほとほどにしておかないと射幸性の底なし沼に沈んでいってしまう。自覚症状なく下北沢の地に囚われ、そのまま帰らなくなった者も少なくない。

イングランド製の手編みのニットに、絨毯っぽいアメリカ製のハーフコート。2日間の収穫にしては申し分ない。すでに僕は10年続く冬も越せる人間だ。なにしろこの一件の裏側では僕の激推しニットブランドであるMOONCASTLEの2025AWが始まっており、新品のニットも半ダースくらい買い足している。左右と向かいの隣人に貸してもまだ余る。

猛烈にニット棚が欲しい。ニットだけを入れる専用の箪笥である。その余白という余白に平置きした色とりどりのニットをグラデーションになる形で精密に配置したい。最低でも三段あり、ゲージ数で分けたい。一番下の段がローゲージニットだ。たとえうだるような真夏の太陽の下でも、ふとニット棚を覗くと真冬に得られる豊かな暖かさを思い出すことができる。

©2011 辻谷陸王 | Fediverse | Keyoxide | RSS | 小説