僕がネパールに行ったわけではない。お隣のネパール人が里帰りから戻ってきたのだ。彼と僕の間には暗黙の取り決めがあり、日本語能力に自信のない彼に代わって僕が面倒な公共手続きを代行している。今回の例で言えば、一時帰国の際に必要なインフラ周りの停止・再開申請が当てはまる。その見返りに、僕はネパール土産を受け取る。
夏の終わり頃に郷里へと飛び立った隣人は今月、額に真っ赤な第三の目を塗りつけたまま帰ってきた。これはティカというヒンドゥー教に伝わる伝統的な印で、彼は帰国のたびに地元の神官から儀式を経て賜り、すでに四人の子どもがいるにも関わらず繁栄力をパワーアップさせて戻ってくる。入浴で自然に落ちるまでは当面そのままでいるらしい。
いつものように電気とガスの再開手続きを済ませていく傍ら、彼の家の居間で無造作に広げられた大量の荷物からお土産を頂いた。彼はミドルネームも含めて非常に長い名前を持っているため、Web上では入力ボックスの尺が足らず電話を通じて申請しなければならない。本稿では異国から伝来せし風変わりな品物を紹介する。
ココナッツミルク風味のお菓子(大嘘)

ネパールのお菓子。包装を剥くと白い塊が現れる。どの色の包装も中身は同じ。原材料と匂いからココナッツミルク的な味を想像する。だが口に含んだ途端、圧倒的物量の砂糖軍が瞬く間に味蕾を制圧せしめてしまい、ココナッツミルク的な要素はまるで感じられない。終戦後に形成される評議会の席もきっと砂糖陣営で占められるに違いない。
とにかく甘い。ひたすら甘い。甘味の強さを表すY軸の天井に線がべったりと張りついたまま、時間経過を表すX軸がひたすら横に広がっていく印象を受ける。イタリアンローストで炒ったどんなに苦いコーヒーも、ストレートで淹れたイングリッシュブレックファストの渋い紅茶も、この尋常ならざる砂糖菓子を御しきることはできない。
とはいえ、まともに美味しいと感じる時分もなくはない。日課のランニングでたっぷり一時間走った後に食べると、信じがたいほどの多幸感に全身が包まれる。おそらくこれはネパールの民が過酷な労働に耐えるために編み出したエナジードリンクならぬエナジースナックなのだろう。ゆめゆめ過剰摂取には気をつけたい。
インスタントラーメン各種

ネパールのインスタントラーメン。これは昨年ももらった覚えがある。基本的に辛いか、辛くてカレー味かの二種類だ。ネパールの地にはノンフライ麺などという日和った代物は流通しておらず、例外なくバリバリギトギトの油で揚がった超フライ麺なので量の割にカロリーがすこぶる高い。そのくせ種類によって味が濃かったり薄かったりと塩梅が難しい。僕たちで言うところのチキンラーメンと近い距離感で付き合えばうまくやっていけると思う。

ところで、ネパールのインスタントラーメンは作り方が英語でも印字されている。今時はスマホのカメラを通した翻訳機能が発達しているので大して困らないが、よく考えると日本のインスタントラーメンには今も昔も日本語の説明文しか記されていない。あれはもしかすると非日本語話者にそこそこの不便を与えてしまっていたのかもしれないな、などと異国の麺が放つ酸化した油の匂いをかぎながら独りごちた。
唐辛子

毎年恒例のヒット商品。なんだただの唐辛子じゃんと思ったそこの諸君! 知っていたか? 唐辛子にも鮮度がある。新鮮な唐辛子の辛味は清涼感に満ちている。ただ辛いだけではない。彼は「同じ村の人がくれる」とあまり嬉しくなさそうに言う(自分で作っても買ってもいないからだ)が、同郷人の仕事とて十分誇るに値する。なにしろ、これと同等の品物は専門店でもなかなか手に入らないのだ。
言うまでもなく、唐辛子の料理への応用は幅広い。いつものペペロンチーノにこいつを入れると、胃袋を根底から沸き立たせるストロングテイストな逸品に進化する。いつもの麻婆豆腐に入れれば、フレッシュな辛さが豆板醤の辛味と融合合体し、星八つの上級モンスターとして場に攻撃表示で召喚される。特殊効果は翌日の腹痛。特になにも催促しないが、これだけは毎年大げさに褒め称えている。
Miratia

最後に、変わった実を渡された。彼の地元ではこれをMiratiaと呼んでいる。どうにも聞き馴染みがない。ネパールの地名を指しているらしいが、ググってもろくな情報は出てこない。こんな形の実にも見覚えはない。これはなにに使うのか? と質問したところ、唐辛子とだいたい同じだ、と言う。そういう感じには見えない。しかし、一つ直に食べてみたら分かった。
これは花椒(ホアジャオ)だ。この独特な辛シビ感は間違えようがない。僕の知っている花椒はホールでも縮れた姿をしているが、眼前のMiratiaは立派な実の形をしている。家にあるやつよりもややヒネた後味がする代わりに、ずいぶん刺激が強い。これくらいクセがあれば長く炒めても風味を損なわないだろう。よく知っているはずの食べ物にもまだまだ知らない姿かたちがあるようだ。
おわりに
手続きを終え、これらの土産物をそっくり頂いて帰ろうとした時、彼が「前の人たちは全然もらってくれなかったよ」とこぼした。「前の人たち」とはここに来る前に住んでいた場所の、別のご近所さんのことだろう。無理もない。大抵の日本人は異常に甘い菓子や、異常に辛い唐辛子などをもらっても持て余すほかない。
だが、この僕が隣人となったからには話は別だ。僕は物をもらうことに躊躇がなく、分別もない。彼のキッチンに並ぶ豊富な香辛料や、戸棚に佇むなにやら珍しい食べ物も、いずれ適当な手伝いと引き換えに根こそぎ頂くつもりでいる。もはやお主の命運は尽きたのだ。せいぜい覚悟めされよ、と言ってみたものの、曖昧な笑みしか返ってこなかった。