
時に西暦2005年、ネットサーフィン(死語)中に見かけた広告を見てWebページを開くと、そこにはスタイリッシュかつ洗練された世界観が広がっていた。当時、基本無料のオンラインゲームといえば、緩いファンタジーの世界で低頭身のキャラクターがわちゃわちゃしているものと相場が決まっていた時代に、完全な3Dグラフィックスで銃と長剣が交差するゲームが登場したのだ。この認識は当然ながらただの世間知らずであったが、ローカライズされた無料のゲームにしか手が届かない陸王少年には、まったく真新しい存在に映った。
Gunz The Duelというそのゲームは、日本では2005年の秋頃にオープンベータを開始していた。硝煙の匂いが漂うスチームパンク的な舞台設定、拳銃から小銃、ショットガンまで色とりどりの銃火器を自在に駆るプレイフィールは純粋に面白く、壁を垂直に走ったり蹴ったりして移動しながら攻防を繰り広げる立体的なアクション要素は、この時まだ記憶に新しいマトリックスシリーズを彷彿させるものがあり、あらゆる点で新規プレイヤーに刺激をもたらしめた。
同時接続数が5000人前後というのは、当時の国内のTPS/FPS(当時はこの言葉さえあまり知られていなかった)ゲームにおいては驚異的な規模感だった。そうしてプレイヤーたちが手探りでこの”アクションゲーム”を楽しんでいたさなか、突如として招かざる客が現れる。日本より早期にサービスが開始され、すでに6万人ものプレイ人口を誇っていたGunz本国、すなわち韓国のプレイヤーたちである。
彼らは未知の戦闘技術を用いて次々と日本人プレイヤーを屠っていった。2つの銃火器スロットをどちらもショットガンで揃え、長剣でキャンセル動作を反復しながら高速で接近して一瞬のうちに敵を抹殺せしめるその戦闘技術は、文字通りKorean-Style、K-Style、KSと畏怖をもって呼称され、僕たちを絶望の渦に叩き込んだ。距離をとって小銃やリボルバーを放っても、彼らにはなんの効力もなさない。毎秒繰り返される長剣の防御で弾かれるか、あっという間に接近されて撃ち抜かれるだけだ。
さらに、2丁のショットガンを交互に撃ち続ける動作は遠距離でも意外にアーマーポイントを削ってくる。今考えると単に武器のバランスが崩壊していただけだと思うが、ともかくGunzにおいてアーマーポイントを失うのは相当な不利を意味する。ただでさえ強力なショットガンの散弾一つ一つが実際のダメージとなり、武器間の射程のアドバンテージは消滅してしまう。かといって、応戦をやめて回復に回れば急接近を余儀なくされる。
となれば、僕たちも彼らと同じ戦い方をしないわけにはいかない。なけなしのゲーム内通貨を叩いてショットガン装備に買い替える者が続出した。だが、それでも彼らの理解不能な動きには到底ついていけない。装備を真似しても技量が追いついていないのだ。折しも当時は日韓に政治的な緊張が走っていた時期でもあり、韓国製のオンラインゲームの中で韓国人を侮蔑する珍妙なプレイヤーも目立ちはじめた。
とはいえ、わざわざ日本サーバを荒らしにくる韓国人プレイヤーが問題なのは確かである。日に日に日本人プレイヤーたちの気持ちは荒み、ゲーム内の雰囲気は険悪化していった。そんなところへ、前触れなく救世主が現れる。「kkkkkkkk」か「dokdo neun uri tang」しか言わない典型的な韓国人プレイヤーと異なり、彼はローマ字を用いて日本語を話した。「kike nihonjin」武器を構えずにそう訴える謎のプレイヤーは、話を聞かない日本人プレイヤーに何度も殺されながら演説を始めた。
曰く、自分は韓国人だが日本に留学経験があり、日本語を話せること、今のプレイ環境は明らかに不公平であり状況を正す義務を感じていること、そのために必要な技術を日本人プレイヤーに教えたいということ……そして、疑念と期待が半々に渦巻くなか、週に2回の講習会が始まった。その場にいたプレイヤーにパスワードが伝えられ、彼は他の韓国人プレイヤーが入って来られないように鍵付きの部屋を建てた。彼は「俺をヒョンと呼べ」と言った。ヒョンとは日本語で言うところの”アニキ”的な意味を持つ。
じきに秘密のヴェールに包まれていた韓国人プレイヤーの戦闘技術が解明された。たとえば、長剣の攻撃と防御を高速に繰り返しながら移動する技は「バタフライステップ」と呼ばれ、ショットガンの有効射程に達するまで銃撃を防御しつつ、不意に遭遇した敵にヒット判定を与えて動作を硬直させる働きを持つ。
講習によって技術を会得したプレイヤーたちはすぐさま他の人にも教え広め、K-Styleを知るプレイヤーの数はネズミ算式に増えていった。ひとたび対抗の術を身につけると、たちまち日本人プレイヤーの反撃が始まった。わざわざ別の国のサーバに初心者狩りをしに来るような連中が本当に強いはずもなく、僕たちがK-Styleに習熟すればするほど彼らの練習不足が露呈せしめられた。
果たしてサービスインから数ヶ月もすると韓国人プレイヤーの荒らしは鳴りを潜め、運営側の対策が進んだこともあって正式サービスが開始される頃にはすっかり見かけなくなった。事態が落ち着くと、ヒョンも姿を現さなくなった。こうして、一つのオンラインゲームが救われた。
後から知った話だが「ヒョン」は複数人いたという。当時、韓国のBBSでは「同胞が日本のサーバで恥知らずな真似をしている」と話題になっていたらしく、日本語能力を持つ様々な「ヒョン」たちが教師役を買って出て、各々がプレイ環境の改善に努めていたのである。
そんなGunz The Duelはわずか1、2年ほどの最盛期の後、その極めて難解な操作性が災いしてプレイヤー離れを起こし、Special ForceやSudden Attackといった後続のFPSゲームに客を奪われて急速に廃れていった。それから20年が経った今、UIをブラッシュアップしたバージョンがSteamで再び販売されようとしている。
残念ながら、このような奇妙な操作を要求するゲームが今さら流行る見込みはないだろう。しかしこの懐かしいゲーム画面を見るたび、e-Sportsという言葉も知られていない時代に、公正なスポーツマンシップのために働いてくれた彼らのことを思い出す。まだランドセルを背負っていた陸王少年にとって、彼らはまさしくヒョンであった。