この鞄を買ってから二年弱が経過した。当時、ショルダーバッグはポータビリティとアクセシビリティを兼ね備えた最高の選択肢に思われた。ラップトップもノートも小物もなにもかも全部入る。それでいて、常に手の届くところに鞄の入口がある。実用性においてはこの上なく理想的だ。
だが、この二年の間に僕のクラシック趣味は全身の隅々にまで行き届き、今日では季節に応じたオーダーメイドの服を纏うまでに酔狂を遂げた。こうした服はリネンにしろウールにしろ、大抵は通常の手段で洗濯ができない。すると、どうなるか。本革のショルダーバッグを身に着けることで発生する革汚れを容易に落とせなくなるのだ。
とりわけトラウザーズの尻や腰回りに、あの呪いみたいな油脂性の革汚れが付着すると絶望的な気分に襲われる。上等な仕立てのトラウザーズは季節の終わり頃にようやくクリーニングに出すぐらいがちょうどよく、頻繁に汚して何度も洗っていたらあっという間に生地が劣化してしまう。
それでも洗って落ちるならまだ良く、なんなら汚れが残る場合さえある。「呪いみたいな」とは決して比喩ではない。丈夫なコットン生地なら歯ブラシで磨き倒すことで悠久の時を経て消滅に追い込むのも不可能ではないが、繊細なリネンやウールの生地だとそうはいかない。以上の経緯から、立派な本革のショルダーバッグを身に着けていいのは、汚れてもいい立派ではない服を着ている時だけ、などという不可思議な状況が生まれたのである。
次第に本革のショルダーバッグは鞄掛けの後方に追いやられ、主役は服に密着しない手提げの鞄に取って代わられた。ブリーフケースやダレスバッグは決して利便性に優れた鞄ではないものの、クラシックなコーディネートによく似合い、言うまでもなく服を汚さない。こうして、せっかく購入したショルダーバッグは誠に遺憾ながらその役割を終えた……かに思われた。

先週、別の鞄の購入のついでに僕はとある依頼をした。前述のショルダーバッグにはナスカンが付いていてショルダーストラップを取り外せる形になっている。つまり、理屈の上では別の持ち手に交換できる。もしこの鞄に合う長さのハンドルがあれば、A4Eサイズの手提げ鞄に生まれ変わらせることが可能なのだ。
店員は「本来は違うショルダーストラップを付けるためなんですが」と前置きしつつも、いくつかハンドルを持ってきて「特注でよろしければ専用のものを作ります」と言ってくれた。やった! さっそく同型の展示品を置いてもらい、様々な種類のハンドルを合わせては唸り、また別のものをあてがっては唸りを繰り返した。自分で言うのもなんだが相当面倒くさい客だな。
最終的に、僕はその中で一番握り甲斐がありそうな持ち手を選んで注文した。鞄のハンドルだけに一万円近くも払うのが割に合うかは人によるが、僕はせっかく買った鞄に再生の機会を与えられるなら安いと思った。そうして出来上がったのが上の画像の代物だ。

鞄に装着するとこのようになる。手提げでギボシ留めの鞄はなかなかないのでややマニアックな出で立ちだが、素晴らしくクラシックな姿に生まれ変わったと思う。なにげに嬉しいのは、この鞄はソフトレザーなので手提げ鞄にしては若干軽めで雰囲気が優しいところだ。手提げ鞄というとブリーフケース然りダレスバッグしかり、どこかビジネスの匂いがするものだが、これならカジュアル用途もありかもしれない。
こうして置物の立場に甘んじていたショルダーバッグが一転、新たな役割を与えられて見事な復活を遂げた。こんなお願いを聞いてもらえるのも、実直なものづくりをしているブランドの美点だと感じる。気にいらなければ気にいるようにできてこそ、使い捨てではない真の道具たりえるのである。