2024/08/14

本売りまくりⅢ

前回の続き。8月12日、コミケ当日。ほぼ始発の電車でサークル主催者、東大生君ことenden――僕はいきなり登場人物の名前を出さず段階を踏むやり方が好きだ――の家に向かったところ、寝耳に水の新事実を知らされた。様々な事情により特装版の仕上げがまだ完成していなかったのである。彼は徹夜で作業を続けていたものの無慈悲にも太陽はみるみるうちに昇り、サークル参加者の入場時刻は刻一刻と近づいている。 オタク学生に特有の本棚とガジェット類と謎のオブジェで満ちたワンルームで、僕も自分ができそうな作業を手伝ったが今さら大して能率は上がらない。気がつけば時刻は7時半を過ぎ、8時に迫りつつあった。本来、サークル参加者は9時半前に受付を済ませなければならず、ここから国際展示場駅まで1時間以上かかることを踏まえると今すぐに出なければ間に合わない。 そこで、我々は究極の決断を余儀なくされた。「特装版は作りながら売るしかない」 急ぎ、未完成のモルタルの塊と作業道具、そして通常版の本を台車に積み上げ、切らしたガムテープを買う時間も惜しんで封もせぬまま係留――今になって考えるとマジでありえない限界すぎる行動で駅に跛行した。 Read more

2024/08/05

本作り

8月3日(土)。夏コミに向けての同人誌作りが始まった。当ブログでもかねてより宣伝している戦略級魔法少女合同の特装版を作り、元の2倍の価格で売りつけようというのだ。この計画は本来すでに実現しているはずだったが、様々な困難により今回まで持ち越しになっていた。サークルの学生諸君らが夏休みに入った今、急ピッチで制作が進められている。 当日、サークル主催者の東大生君(仮名)と参加者の藝大生君(仮名2)と私文中退(僕)が全員1時間以上遅れて東大駒場キャンパスに集結すると、どこからか謎の電動工具や様々な作りかけの部品、その他道具などが続々とまろび出てきて準備が整った。東大生君が室内で他の作業をしている間、藝大生君と僕は前回も紹介した槌音広場で板を切る仕事に従事する。 といっても、2ヶ月前から大きく変わった作業工程について僕はろくすっぽ理解していなかった。なにしろ特装版の最新仕様を把握しているのは先の2人だけなのだ。僕の仕事は小説が本の中に収まった時点で完全に終わっているし、外装の良し悪しを決める自信はない。ただ、異常な装丁が現に莫大な売上をもたらした事実と、異常な若者がなにか熱心にやろうとしているロマンに期待を寄せて黙々と小間使いに徹した。 Read more

2024/07/23

20世紀生まれのサイボーグ

ふと、眼鏡を変えたくなった。僕にはあまり良くない手癖がある。最低でも5分に1回は眼鏡の位置を直そうとして手が動いてしまう。中指でブリッジを押し上げるだけだから大した手間ではないが、それでも5分に1回ともなればチリツモでかなりの運動量になる。もし累計をまとめてエネルギーに変換できたらドリップコーヒーのためのお湯くらいは沸かせるかもしれない。 そんな手癖が身についたのも8年前に買ったJINSのフレームがやたらと長持ちしすぎているせいである。店で金属部分を曲げ直してもらってもズレるので、パーツ本来の寿命はとっくに摩滅しているに違いない。しかしJINSには真円に近いフレームがほとんどないゆえ換装の機会が一向に訪れず、結果として基幹ハードウェアが過剰な対応を余儀なくされている。なにしろまったくズレていなくても無意識下で発動するほどだ。 Read more

2024/07/10

星新一をくれたお巡りさん

2003年のある夏の日。僕はいつものように本を読みながら下校していた。人も建物もまばらな田舎町の通学路は足が覚えている通りに歩き続けるだけで家に着く。時折、足の裏に意識の一欠片を分け与えると、じきに靴底が土くれを踏んでいる感触を伝えてだいたいどの辺りを歩いているかが分かる。道中に道路が未舗装の区間があるため、そこまで来れば半分は歩いたことになる。 たとえ東北の寒村であっても夏は蒸し暑い。6時間授業を終えた後でも、未だ空高く昇りつめた太陽がじりじりと首筋を焼き焦がして汗腺を刺激する。してみると、これはずいぶん不公平な話に思える。日本中どこもかしこも暑いのだから東京の子たちと同じく夏休みも8月31日まで続いてたっていいではないか。だが、事前に配られた冊子は今年も例年通り僕たちの夏休みが遅く始まり、より早く終わる過酷な事実を容赦なく告げてきた。 Read more

2024/07/01

革探しの旅Ⅱ:必要にして十分な携行品

前回の精神的続編。革鞄は買わないと言っていたが、あれは嘘だ。幾度となく原宿の工房に通って選び抜いた一品が先週末、約2ヶ月の歳月を経てついに完成と相成った。この鞄には使う前にして僕のライフスタイルが詰まっている。なぜなら来る日も来る日も、工房のありとあらゆる鞄に携行品を出し入れして検討を重ねてきたからだ。そこには永久の課題が存在する。”僕は一体なにを持ち運べば事足りるのか?” 人によってはこの問いは愚問である。常に巨大なリュックサックを背負い、一切の荷物を受け入れられる大人物に引き算の理屈はない。たとえ中に半年に一度も使わない道具があったとしても、いざという時に役立てばそれで良しと鷹揚に構えられるのならどこにも差し障りはない。 他方、僕は持ち物にややシビアな性格だ。使わないかもしれないものを持つのは重さや大きさにかかわらず我慢ならない。かといって手ぶらで都市という名の戦場に赴くほどの武士(もののふ)ではない。最低限の装備は持っていきたい。プライベートにおいて、季節や状況によらずなにが必要にして十分な携行品なのか――鞄を選ぶにあたり、僕はずっとこのことを考え続けた。 Read more

©2011 Rikuoh Tsujitani | Fediverse | Keyoxide | RSS | 小説