本日の朝方、いつものようにArch Linuxを起動すると唐突にDiscordが手動アップデートを要求してきた。わざわざ圧縮ファイルをダウンロードし、任意のディレクトリ下に展開せよということだ。毎朝、習慣的に行っているyay -SyuにDiscordのアップデートは含まれていなかったので、よほど急に行われた更新だったのだろう。
通常、Linuxにはアプリケーション(パッケージ)の導入から更新、削除までを一括で管理する仕組みが備わっている。これをパッケージ管理システムと言う。macOSにも同じ仕組みがあり、これはHomebrewと呼ばれるがGUIアプリケーションを管理する文化はないと思われる。
一方、Windowsではほとんどのアプリケーションが個別にアップデート機能を持ち、それぞれの都合で更新を行うことが多い。macOSのApp Storeのようなものがもっと普及していればCLIに不慣れなユーザも気軽にパッケージを一元管理化できるはずだが、現状、Windowsのアプリストアは閑古鳥が鳴いている。
問題は、この蛮習がLinuxに移植されたアプリケーションにも伝播していることだ。Linuxユーザは基本的にみんな何らかのパッケージ管理システムを利用しているので手動アップデートをあまり快く思っていない。後々、アップデートの内容が管理システムの側に登録された時に、既に手動で更新していても何も問題が起こらなければいいのだが、こうした例外的なやり方がコンフリクトや種々の障害の種を育むことは明らかである。
最も効率的な折衷案はパッケージ管理システムがくだんのアップデートを提供するまで更新を延期させてくれることだ。もちろん、管理システムにアップデートを一元化して勝手にあれこれ要求しなければもっといい。
だが、Discordはどちらもしなかった。起動すらさせてくれなかった。
Arch Linuxは数あるディストリビューションの中でも最速の更新頻度を持つパッケージ管理システムを備えている。おそらく、このアップデートが提供されるまでに一日とかからないだろう。しかしDiscordはそれすら待たずにただちに手動アップデートせよ、さもなければ去れ、 と言ってきたのだ。別に激怒するほどではないが地味にいらついた。結局、今はWebから接続している。
結論:Discordは早漏野郎
ところで、無料ブログサービスは特定の単語(特に猥褻なもの)の使用を禁じているところが少なくない。しかし、このブログはローカルで書かれ、GitHubのリポジトリにデータが同期され、いくつかのスクリプトが走った後にFirebase上で構築されているので本質的に検閲されるおそれはない。実際にそうなる可能性があるとは思わないが、取り組みとしては面白い。