天皇陛下がオリンピック開催にご懸念を表明あそばされたことで、左右も上下もてんやわんやの大騒ぎになっている。
左派はたいてい共和主義者なので君主の権威には否定的なはずだが、殊ここに至っては「天皇にハシゴを外されてやんの」といった右派に対する報復感情が先行しているのか、意外にも件の表明に首肯する人が少なくない。僕も左派だから気持ちは解らないでもないが、君主の言葉に影響されて政治が動く方こそよっぽど恐ろしい。議会政治はどこへ行った?
右派は右派でこれと一見同じ穏健ぶった主張をしているものの、仮に陛下がオリンピック開催に熱烈賛成だったらきっと立場が逆転していただけなんだろうな。まったく、政治はプロレスじゃないんだぞ。使い勝手の良い武器が降って湧いたからといって好き勝手に振り回すんじゃない。ちゃんと後々のことも考えてくれ。
とはいえ、奇妙な点もある。僕もみんなも件の表明が本当に政治的な発言か大して厳密に考えていない気がするんだよな。建前でいえばオリンピックは平和の祭典、スポーツ大会であって、ナショナリズムとも政治とも無縁のはずじゃなかったか。だからオリンピックの主催当事者は国ではなく都市ということになっている。日本オリンピックではなく東京オリンピックなんだよ。
例えば甲子園やマラソン大会が行われることになったとして「こんな時期にやるのは心配だなあ」と言ったら、その人は政治的発言をしたことになるのか? 政治・宗教・野球の話が戒められる場だったら「君、そういうのはちょっと……」と諌められる? マラソン大会だったらそんなことない? でもこれがオリンピックだと、なぜか政治的発言になっちまうみたいなんだ。おかしいな。
そろそろすっとぼけたふりはやめておくか。事実、オリンピックは政治そのものだ。言うまでもなく多額の資金があちこちに流れているし、その恩恵に与るために働く人たちが大勢いる。政治家は人々の後援を受け、オリンピックを通じて支持者の利益を最大化する。万が一、中止にでもなったら彼らはとても困る。面子丸つぶれどころの騒ぎではない。今後の進退にも関わりかねない。したがって、オリンピック開催への賛否はれっきとした政治的発言になりうる。Q.E.D. 証明終了。伏せカードを2枚置いてターン終了。
なんだけれども、普段は「政治の話は好きじゃない」と言う人でもオリンピック開催については割とぼちぼち賛否を表明していたりする。なんらかの理由で急に政治的じゃないことになったのか、情勢的に気兼ねせず言えそうだから言っているだけなのか、よく解らない。
ここにさらに追加の補助線を引くと、このテーマはもっと深堀りができる。そもそも政治的かどうかってどこで決まっているんだろうね? 僕のタイムラインはもともと政治力高めのデッキ構成だからか、そこらへんの機微はあまり読み取れない。しかし、主にIT系のフォロー各位の間にはなんとなく政治性を忌む空気が漂っている気配がする。中には、あるコラム記事をリツイートしてまで賛意を寄せていたのに「後半はなんか政治的な内容だったからやっぱ無し」と訂正を加える人までいた。断っておくが、この彼はとても聡明でウィットに富んだ人物だ。
そういう人たちにはぜひとも訊いてみたい。君らは一体どこで線引きしているの? って。もし、ワイン樽に一滴の汚水が垂れたらそれはもう樽いっぱいの汚水でしかない、というくらいにまで厳格に――かなた遠くのジャングルの奥地まで――線を引いているというのなら、むろん、オリンピック開催への賛否など表明できやしない。というか、ほとんどどんな発言もできなくなってしまう。まったく政治性のない発言をすることはかえって難しい。「賃金上げろ」とか「残業減らせ」といった愚痴だって、まごうことなき政治的発言だ。まさかそれだけはナチュラルでプリミティブなオーガニックコットン100%の意見だとか思ってないよな? かつて労働者の権利を勝ち取るために、王侯貴族や資本家の首を次々とちぎっては投げた歴史を忘れたか?
まあ、言いたいことはわかる。たぶん君らの中にオレオレ基準があって、そこから外れたものを一律に政治的と括って除外しているんだろう。理屈はどうあれ、とにかく目に入れたくないから。だが、それって左派が右派の発言を見ないようにしたり、あるいはその逆をする作為となにが違う? かの陰謀論者だって科学的な主張にいちいち反論しているわけじゃないぞ。各々でブロックしたりミュートしたりしてるだけだ。そして、おのずと耳触りの良い意見にばかり囲まれていく。
つまり、君らのプレイスタイルは今挙げた連中と本質的にはさほど変わらない。 「自分の気に入る話は政治的ではない」 っていう、超恣意的なエコーチェンバーをせっせと作り上げているだけなんじゃないのか。下手をすりゃあ、はっきり自覚して左右に偏ったやつより君らはズレているかもしれないぞ。君らは自分で思っている以上に既に政治的なんだ。
もっと恐ろしい話もある。もし明確な根拠なく政治性を線引きしているとしたら、君らの握るライン引きは他の誰かにとって容易に操作可能かもしれないってことだ。 大日本帝国の末期、鬼畜米英を屠るために命を賭してでも立ち向かっていくことは国民の義務だった。彼らはそれが「政治的」だなんて微塵も考えてはいなかった。むしろ戦争に反対する側が「政治的」――ややもすると「アカ」と蔑まれ、リンチの対象でありさえした。手を振り上げる彼らは別に極右ではない。ごく普通の、模範的な市民だった。
正直、僕は「政治の話は好きじゃない」と言う人たちが、ちょっと怖い。しばしば意見が対立する右派は時として小憎たらしいが、思想をひた隠しにしないぶん想像はつきやすい。隠される方がずっと怖い。君らにとってはきっと左派や右派の方こそ、延々と口喧嘩を繰り返しているように見えておっかないのだろう。しかし、僕たちの視界にはまた違った光景が映っている。
僕は左派であり自由主義者なので、嫌いな話を無理に聞かせることは好まない。ただ、できればこれも一つのものの見方だと考えて胸に留めておいてほしい。