2022/01/10

持続性ダイエット

本エントリの内容は2019年の夏から翌年の春にかけて、約8ヶ月の期間で計17kgの減量(80kg→63kg)に成功した僕の個人的な経験に基づいている。ダイエットにあたり採用した手法は概ね再現性が高いと思われるが、メンタル面に関しては主観的な記述も多く含まれている。これはつまり、後述の例を完全にこなせる限りにおいては減量を確約できても、そこにたどり着くまでのタフネスやモチベーションは各々で調達・維持するしかないことを意味する。そして実のところ、それこそがダイエット成功の唯一の鍵なのだ。

事実、ダイエット――過体重の者が標準体型に減量する上で――やっていかなければならない日々の生活ははっきりしている。どんなに言い方を取り繕い、マーケティング用語の看板を張り替えても、行為自体はこの上なく明瞭だ。余計に食わずに動けばいい。 効率的なダイエットなるものがあるとすれば、せいぜい摂取カロリーの適量やオーバーワークにならない運動の限界を見極めること、自身の肉体的な変化に合わせてそれらの基準を上下させていくこと……くらいしかない。

したがって、本エントリに人々がアッと驚くようなテクニックの類は一切登場しない。これまでに何度もダイエットに挑戦しては失敗してきた"経験豊富"な人たちにとっては、深いため息がだだ漏れるほど聞き飽きた内容しか書かれていない。しかしそれは、資格を取得したいのなら試験勉強をするしかないとか、英語を話せるようになりたいのなら英会話を練習するしかないのと同じで、目的を果たすためには決して避けられない現実である。

ここまで読んで「やはり自分はダイエットには向いていない」と結論を出すのも一つの考えに違いない。幸い、昨今の社会は肥満者に表面上はずいぶん優しくなってきている。面と向かって侮辱されたり、あからさまに差別を受ける状況は次第に減っていくと見られる。人類全体が唯一無二の「標準体型」とやらに向かって邁進していくのもそれはそれで薄気味悪さがあるので、なにかと批判や揶揄の対象になりやすい「ボディ・ポジティブ」などの理屈にも、僕は案外そこまで反対ではない。重要なのはなんであれ、自分自身の在り方を定めることだ。

仮にうまく痩せられたとしても、それが周囲や社会の圧力に強制された結果なら必ずしも好ましいとは言えない。逆に大して食事が好きではないのに気づけば食べ続けてしまう、というのもやはり穏やかではない。要するに、今の自分に納得しているかがダイエットをやるにあたって重要になってくる。

デブは長生きできない

率直に言って、僕はあまり自分に不満はなかった。見てくれでメシを食っているわけではないし、デブはデブでキャラクターが立つこともあってむしろデブネタを散々こすって生きてきた。今でもデブだった頃の写真を見ると「これはこれで悪くはなかったな」と思う。デブの僕は顔や体つきの造形が球体に近くて、とても人畜無害に見えるのだ。平和な時代なら周囲に馴染みやすい点でメリットも大きい。

しかしデブは長生きできない。 これは厳然たる事実である。あらゆる統計がそう言っている。健康寿命の方はさらに絶望的だ。最終的に80歳で死ぬとしても、足腰が動く10年の余生と、介護ベッドに張りついて暮らす10年には雲泥の差がある。僕は長生きしたいし健康でありたい。これから先、どんな面白い技術や娯楽が発明されるか分からないのに不健康では困る。ひょっとするとそれは肉体が十分に動かなかったら利用できない代物かもしれないのだ。

肉体は不便極まりない。40になり、50になって、いよいよ身体の不調がごまかしきれなくなってからなんとかしようとしても、その頃には大抵手遅れだったりする。体力を作るための体力がない。 そんな状態に陥ってしまっている。10年、20年と堆積した不摂生の悪癖はおいそれとは治らず、ちょっと走ろうものなら膝関節が助命嘆願の悲鳴を上げる……。やはりダイエットは早ければ早いほど好ましい。そう結論を出した僕は26歳の誕生日を迎えた翌月、生まれて初めてダイエットと向き合った。

摂取カロリー量を計算する

ダイエット食には多種多様なメニューが存在しており、肉をひたすら食べるダイエットだとか、脂質を多く摂るダイエットだとか、果ては特定の食品ばかり食べ続けるダイエットなんていうのもある。一方、僕が採った手法は総カロリー量を減らす古典的なやり方だった。これは人間の代謝が摂取カロリーと消費カロリーの差し引きで行われる単純な事実に着目している。一般に消費カロリーが余剰分を上回れば痩せ、さもなければ太る。極論、健康な20代男性が1日1600kcalの食生活を継続的に行って太ることはほぼありえない。20代男性にとって1600kcalとは息を吸って生きているだけで消費されうるエネルギー量だからだ。これを基礎代謝量と言う。基礎代謝量は所定の計算式で個々人に適切な値が分かる。

そこで僕はまず自身の摂取カロリー量を可視化すべく、カロリー計算アプリを導入した。当時の僕は運動習慣をまったく持っておらず、仕事も趣味も完全なインドアだったので消費カロリー量はまさしく「息を吸って生きているだけ」に限りなく近かった。よって1日1600kcalをどれほど超過しているか可視化できれば、おのずと減量の加減も掴みやすくなると考えられた。アプリは「YAZIO」か「あすけん」かで迷ったが、複数の食品を単一の「食事」として一括登録できる前者の方を選んだ。後者は有料会員でなければ同機能を利用できない。ただし有料の機能は「あすけん」が優れているため、金を払う前提ならそっちの方が望ましい。

結果、ダイエット開始前の僕の摂取カロリー量は2500kcal以上にのぼることが判明した。すなわち1日あたりのカロリー超過は900kcal、1ヶ月単位では27000kcalにも達する。脂肪1kgが約7000kcalなので、1日1600kcalで体重の増減がない人が同様の食生活を送ると毎月4kg弱ずつ太っていく計算になる。

このようにしてデータでまざまざと自らの過食を見せつけられるとさすがに認めざるをえない。世の中には全然食べてないのに太っちゃう、などとのたまう往生際の悪いデブが大勢いるが、そんな彼らにこそ手始めにカロリー計算をやってみてほしい。万物の霊長であるヒトの代謝とて化学の基本法則からは逃れられない。取り込んだエネルギー以上になにかを生産することは絶対にありえないのだ。 たとえそれが脂肪であってもだ。

最初の1週間か2週間はあえて減量をせずにカロリー計算だけに取り組んでみるのも良いかもしれない。ダイエット食を考えて、カロリー計算もして、運動もして……なんて慣れない真似を一気にやろうとするのは過剰なストレスを生んでしまうし、ストレスは挫折の要因にもなりやすい。まずはカロリー計算を習慣化して、食事を終えたら反射的にアプリを立ち上げられるようになってから減量に進んでも遅くはない。

野菜スープ、低脂肪肉、豆腐

では、実際にいかなるメニューで減量を実施すべきなのか。実のところ、ここが一番難しい。可処分時間の多い身分ならスーパーに足繁く通って野菜や鶏むね肉を買い、せっせとダイエット食の開発に勤しむことも不可能ではないだろう。しかし週に6日、1日に平均10時間も働いて、手取りは20万もなく、奨学金の支払いがやっと……という立場の人に本格ポトフやチキンステーキのレシピはとてもじゃないがすすめられない。事実、肥満者と貧困の相関性は相当に強い。

とはいえ、諦めるにはまだ早い。貧困なら貧困なりに知恵を絞り、実践している人もいる。この分野は僕が密かに尊敬してやまないブロガー「黄金頭」さんの記事が詳しい。色々あるが雑にまとめるとスープと低脂肪肉と野菜で腹を膨らませるメソッドだ。飽きたら味付けを変えればよい。今時は一人前用の鍋スープの素が大量に出回っているのでハードルはずいぶん低くなっている。ちなみに僕はスープ類の他に納豆卵かけ豆腐をよく食べていた。

他方、額面上のカロリー量が低くてもカップ麺やインスタント食品、コンビニ食に手を出すのはおすすめしない。あれは絶対的な分量が少ないから低カロリーに見えるだけであって、その場は満足できてもたちまち空腹に苦しむ羽目になる。コンビニ食は、コンビニ食それ自体がダメというよりは、コンビニという場所がダイエット中の人間に好ましくない。ただでさえこれまで好き勝手に飲み食いしてきたデブが、ありとあらゆるジャンクフードやスイーツを間近に揃える素敵空間へ放り込まれて無事でいられるはずがない。真の護身とはそもそも危険に近寄らぬことと武道の達人も言っている。

――なに? それでもたまにはお菓子を食べたい? 別にいいよ。制限カロリーをきちんと守れるならな。 “経験豊富"な人ほど「チートデー」などの小賢しい理屈を詳しく知っているが、週に何度もチートデーなんてやってたら痩せられるわけないだろ。

カロリー計算に慣れてくると日頃の食事内容はおのずと糖質制限に近い形に向かう。白米やパンをメニューに加えると途端に食べられる量が減ってしまうからだ。逆に糖質の摂取を諦められれば、選べる食事の幅が格段に増える事実にも気づく。ダイエットに成功した後もこの考え方は大いに役立つ。主に学校給食を経て未だ多くの人が主食はマストと思い込まされているが、卵3個を使ったオムレツは単品なら300kcalにも満たないのだ。ウインナー2本と目玉焼きを2個に、ブロッコリーをつけたご機嫌なブレックファストでさえ500kcal以内に収まる。ところが、これらにパンや白米を足したらあっという間に6、700kcal近くに達してしまう。完全に糖質を絶つのはもちろん不健康だが、せいぜい1日250g前後に留めるくらいが現代人にはちょうどよいと僕は思っている。

結局、ダイエットの要は飽きずに食べられる健康的なメニューをどれだけ生み出せるか――にかかっていると言える。まんまと痩せた僕に相談を持ちかけてきた人たちは皆、あたかも魔法のごときテクニックの存在を期待していたようだった。しかし僕が素直に「食べる量を減らして運動した」と白状すると露骨に残念がった。期待に添えなかったのは恐縮だが、現実は所詮そんなものである。健康的な肉体を手にした今でもカロリー計算は続けているし、帳尻が合わなければ同様のダイエット食を摂ることもある。意図的な減量は終わっても食事の管理自体は永久に終わらないし、健康に長生きしたければ終えてはならない。以下にどうしても空腹に耐えられなくなった時に食べる緊急避難用の間食を挙げる。各自参考にされたし。

■インスタントスープもしくは味噌汁
塩分と出汁の組み合わせは普遍的な満足度の高さを誇る。だいたいどれも1杯50kcal未満なので気安く飲める。

■イカの乾物類
こういうやつ。ヘルシーな割に歯ごたえがあってよく腹に溜まる。これなくしてダイエット初期の苦しさは乗り切れなかったと言っても過言ではない。今でもたまに食べたくなる。

■ノンシュガーガム
口さえ動いていれば多少は空腹感が紛れる。ただしあまり執拗に噛みすぎると腹を下すし歯が痛くなる。

■飴
わずかに糖分を摂るリスクと引き換えに脳みその欲求を黙らせる。

■りんご
100kcal以上あるがその圧倒的な満腹感は一食分の食事にも匹敵しうる最終決戦兵器。

夜半、われわれはやたら腹が減る。ひどい時は食べなければ干からびて餓死してしまうのではないかと恐れるほどに腹が減る。耐えきれず暴飲暴食して後悔に苛まれるのは現代人の業だ。われわれはいい加減この種の空腹が錯覚に過ぎないことを学ばなければならない。 騙されたと思って一度でも我慢して寝てみれば分かる。朝起きた頃にはあの強烈な空腹感が嘘のように消えていることだろう。

とにかく動く

たとえ肥満体でなくても運動嫌いの人は多い。心底運動が嫌なのか食事制限縛りの減量を目論む猛者もいるほどだ。だが、それは茨の道だと今一度はっきり言っておかなくてはならない。 しかも抜け出た先には枯れ果てた荒野しか広がっていない。運動を伴わない減量は筋肉が萎びたままなので、万が一痩せられたとしても不健康な肉体しか得られないのだ。せめて見てくれだけでも良ければ救いはあるが、大概は容姿もみすぼらしくなる。

そもそも動物たるヒトが一日の大半を終始座ったり、寝転がったりして健康体を維持できると思う方がよほどおかしいのである。ビルや道路が大地にギチギチと生い茂り、日がなずっと机に向かって生活の糧を得られる近現代の暮らしなど、人類史のスケールに比すれば小指の爪の長さにも満たない。われわれの肉体は依然、槍を握って獲物を追い回していた頃のままなんら変わりない。しからば、現代人も多少は動く習慣を取り戻して時代遅れの肉体に都合を合わせてやらなければならぬ。

ひょっとすると100万年後、1000万年後の人類はデスクワークをしているだけでグングン健康なマッチョになっていったり、いっそ肉体を棄てて情報生命体に進化するとかしているかもしれない。だが、いずれにせよわれわれは西暦2022年を生きる哀れなホモサピでしかなく、誠に遺憾ながら肉体の呪縛を超克する術はない。惑星の地表にへばりついて暮らす未開な生命としての運命を受け入れる覚悟ができたなら、まずはウォーキングとスクワットを身に着けよう。数多ある筋トレのうち、スクワットは特に消費カロリー量が大きく効率的だ。

やる気に満ちあふれたダイエット初心者はしばしば勢い余って会員制のジムに登録したがる。しかし当面の間、せめて半年間は自宅での自重トレーニングに徹してほしい。ジムをいきなり有効活用できる人間は非常に稀だ。大抵は自分に適したトレーニングマシンをろくに把握できず、ただいたずらに時間と金を浪費して終わる。

諸君らが万年運動不足の肥満者なら、きっと普通の腕立て伏せすら1、2回も満足にこなせないだろう。僕もそうだった。膝をついてやる初心者向けの腕立て伏せすらまともにできなかった。やむをえず壁に手をついて行う形式の、介護老人のリハビリに似たスタイルの腕立て伏せから始めたが、マシントレーニングの厳しさはこんな話では済まない。急がば回れ。 なにより、自宅の自重トレーニングなら必要経費はマット代のみで済む。

もう一つのダイエットの定番といえばランニングだが、過体重で運動がままならない状態では確実に膝を壊してしまう。かくいう僕も幾度となく整形外科に足を運んだ。今でこそハーフマラソンをなんとか走破できるくらいになったが、1kmを2kmに、2kmを3kmにといった地道な反復練習なしにはとてもたどり着けなかった。ダイエットありきならここまで突き詰める必要はない。さしあたりはウォーキングで十分だ。ウォーキングが板についてきたら数分走ってみたり、ウォーキングにランニングを混ぜたりして徐々に運動強度を高めていく方が堅実で怪我をしにくい。

運動習慣の大敵は怪我なのだ。 こうしてドヤ顔でランニングの実力を語っている僕も、仮に大怪我をして半年も入院すれば5km程度さえ十全には走れなくなってしまうだろう。苦痛に満ちたリハビリは日常に溶け込んでいかない。すなわち、習慣ではなくなることを意味する。僕はそれをとりわけ恐れているので怪我を負うような走り方はしない。むろん、カロリー計算と同じで運動にも終わりはない。

ちなみに、初心者が買うべきランニングシューズはアシックスのJOLT一択だ。こいつはめちゃくちゃ頑丈に作られていてコスパが高い。いかにもカッチョいい高級シューズは足の甲が狭かったり、加速力優先でソールが薄めに作られていたりする。初心者にとっては怪我の原因になりかねない。1kmあたり6分未満のペースで走っても疲労を感じないくらいに成長したら買い替えを検討してもよい。

近頃はリングフィットアドベンチャーを代表格に、フィットネス要素を備えたゲームも多数存在している。僕は昔気質のトレーニングの方が好きだが、娯楽を通じた方がうまくいくなら積極的に活用しない手はない。唯一の懸念はゲーム自体が古くなりすぎたりエンタメ性の部分に飽きがきた場合だが、幸いフィットネス業界は成長産業だ。すぐに後続の作品が出回る。

人生を過ごしていると「なに一つ良いことのない無駄な一日だった」と感じる日もある。しかし毎日トレーニングに勤しんでいれば「でも運動はできたな」とそこにワンポイントの肯定を加えられる。風呂に入るのが億劫な人は、まさに風呂から上がった直後を想像するといい。どんなに面倒くさくても入浴を後悔した覚えはないはずだ。 運動はそれに似ている。

ダイエットに終わりはない

なにかとサステナブルが叫ばれる世の中だが、ダイエットも持続性が重要なのは言うまでもない。極端な減量をして無理やり痩せてもリバウンドしてしまえば意味はなく、日々苦痛に耐え忍ぶばかりで創意工夫に事欠くようでは続く余地はない。僕は月単位にならすと2kgずつしか痩せていない。テレビ番組で劇的な体験を語るダイエッターに比べれば鼻くそみたいな数字だ。だが、マイペースゆえに自身の食生活を抜本的に見直すゆとりに恵まれたとも考えられる。

以前の僕はマウンテンデューを浴びるように1日2缶は飲み、その場の勢いで宅配ピザを注文する暮らしを送っていた。それが今ではもっぱらミネラルウォーターを常飲し、麦飯と温野菜、卵と納豆の昼食に概ね満足している。たまに羽目を外してはっちゃけることもあるが、なんだかんだで最終的には帳尻を合わせられている。つまり現在の僕はジャンクフードの良し悪し、健康食の良し悪しの両側面を真に認識できている。この感覚は短期間の追い立てられた減量や、特定の食品に依存した歪なダイエット方法では決して会得できなかっただろう。

そしてなにより、運動の楽しさが解った。健康な肉体を躍動させることは他に代えがたい喜びだ。いきなりテニスをやってもぶっ通しでコートに立っていられるし、10年ぶりにゴルフを再開しても2時間ひたすらクラブを振っていられる。豊富な基礎体力はあらゆる活動の幅を広げる。片道40分程度なら徒歩で行ける範囲だな、と気軽に思えるのもひとえにランニングのもたらした効能と言えよう。ひとたび効能を自覚できると運動のモチベーションがますます高まり、トレーニングの最適化のために食生活もおのずと健やかな形に維持されていく。さながらよく油の染み込んだ歯車のごとき円滑さ――これこそが僕の理想とする持続性ダイエットの姿である。減量は終わってもダイエットに終わりはない。

参考文献

農林水産省
国立がん研究センター

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白米に麦を混ぜて食べることをすすめる自己啓発的な過去記事。

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