ラジオ(SONY ICF-506)を買った。今やラジオはインターネットを介しても聴けるし、情報リソースとしてなら他にいくらでも仕入れ先が存在する。にも拘らずあえてラジオを買った理由は、もちろん停電やインターネットの断絶を見越してのこともあるが、それ以上にライフスタイルの反映を兼ねてもいる。
現在、ウェブのそこかしこでせっせとリコメンデーションシステムが働いている。動画を観る時、音楽を聴く時、ググる時、およそなんらかの情報を得ようとすると、そいつらは仕事をはじめる。次に僕らが類似の動作を繰り返した際に、もっと僕らを気持ち良くさせるために。まったくおありがたい話だ。無尽蔵に噴出する情報の湧き水に巻き込まれて溺れる前に、飲むべき水とそうでない水を選り分けてやろうと言うのだ。おかげで僕らはひとたび好みが定まればいつも良い感じに冷えた水を飲める。水に飽きたらジュースやアルコールを選び直しても構わない。
ところがこいつにはちょっと問題がある。どんな形であれリコメンドに倣うということは、しばらくすると自分が気に入りそうな味のドリンクしか出てこなくなるのだ。なんせ似たような「ドリンク」だけでも数百、数千とバリエーションがあるものだから、それらをぐびぐびと飲み散らかしていたら文字通りお腹いっぱいになってしまう。そんな快楽の中であえて「気に入らないかもしれない味のドリンク」なんて一体誰が飲みたがる?
こういうことが音楽とか映画の範疇に留まっているぶんには、まあ、たぶん大きな問題にはならないと思う。メタルばかり聴いて狂人になったとかいう話は聞いた覚えがない。問題になるとしたら、そいつがニュースだった場合の話だ。とりわけ時事問題との接し方がリコメンドされたまとめ動画とか、Twitterのタイムラインとかだったりすると、どんなに世間と乖離していてももはや気づけないかもしれない。今時はテレビを持たない単身者も多いと聞く。
僕にしてもNetflixなどを観るので無駄に立派なテレビを持ってはいるが、地上波の番組を観ることはそうそうない。せいぜいブレイクファストのついでにチラ見する程度に過ぎない。ということは、僕も既にエコーチェンバーの内側にいると言える。現状のリコメンデーションシステムが半自動のエコーチェンバー製造器だとしたら、TwitterのタイムラインやRSSの購読リストはさしずめハンドメイドのエコーチェンバーだ。好きな動画や音楽をひたすら浴びることがとても気持ち良いように、好きな意見や主張を見聞きするのも病みつきになる。この快楽に慣れすぎると、そうでない状況に出くわした際の不快感に耐えられなくなるかもしれない。
それはポップスファンがメタルを敬遠するのとは似てるようで違う。自分と異なる見解への嫌悪が強まりすぎると、人間の頭の働きは大したものでそれを正当化できる材料を探し出すのだ。その手の防衛機制がやがて偏見や差別の形成に繋がっていく。つまり、僕らがエコーチェンバーの袋小路に自らを追い込まないようにするには結局、ある程度の気持ち良さを手放さなければならないのである。
そこで僕は日常生活にラジオを取り入れることにした。インターネットラジオではなく、アナログ電波を受信して聴くリアルラジオだ。選局の自由度は居住地域と電波強度に左右される。当然、シークも予約もできない。今時信じられない不便さだ。
とりあえず僕は自宅からどのFM局が聴けるのか、あえて手探りでダイヤルを回して記録した。実はラジオが家に届く前に関東地域のFM放送局を全部載せた一覧表も作っておいたのだが、やはり実際に聴けなければ意味はない。有事にはきっとこうした表が役に立つだろう。
これがその一覧表Ver2.0である。改めて見直すとひどい作りだ。当初は手書きでアナログ感を出そうとしたのだが、僕の直筆がとても見れた代物ではなかったのでおのずと方針転換を余儀なくされたのだった。しかしどちらにせよ用紙の切り口が信じられないほど斜めに曲がっている。その上、FMは「Mhz」なのにAMは「kHz」でヘルツの大文字小文字が揃っていない。手作り感の情緒で擁護するにしても限度がある。
それにしても東京から電波が発信されているJ-WAVEやInterFMがまるで入らないわりに、地理的にずっと遠いはずのFMヨコハマがしっかり入るのは奇妙な話だ。ワイドFM放送局のTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送のうち前の二局も日によって入ったり入らなかったりする。一方、NACK5とNHK埼玉は埼玉県のローカル局だからかアナログとは思えない圧倒的に優れたS/N比で聴けている。
僕は変なところで異様に世間知らずなのだが、ひょっとするとさいたま市と横浜は台地で、東京都内だけが盆地だったりするのだろうか? 東京にはスカイツリーから発信しているFM放送局もあるようだが、マンションの高層階と台地由来の高度が相乗して電波が減衰しているとしたら興味深い。
絵で表すときっとこんな具合に違いない。だが、まだ疑問は残る。そもそもFM電波ははるか上空の電離層まで飛んでいって、そこから乱反射を繰り返して前進していくのではなかったか。だから太陽光線の影響を受けない夜間は、日中より高い位置に電離層が形成されるため電波の飛距離が伸びやすい。ところがJ-WAVEやInterFMのやつらときたら、昼だろうと夜だろうと頑なに受信しやがらない。いや、まあ、そういう不便を前提に買ったから別に構わないんだけど。
今のところはもっぱらNACK5を聴いている。ここ三日間、在宅中はとにかく垂れ流しだった。すると、テレビとは違って意外に作業の邪魔にならないことに気がついた。時間帯によってはややテンション高めな番組もあるが、それでもテレビの連中ほど狂乱じみたノリではない。なにしろ聴こえてくる声の数が多くても三つか四つ、大半の場合は二つまでだ。画面に注目を集める必要がないからか、やかましいSEの類もあまりない。
それでいながらトークの内容は仕事に集中していても断片的に耳に入ってくる。世間がどういう物事に関心を持っているのか、ある出来事に対してどんな感想を持つのが「ふつう」なのか、なんとなく掴める。日に何度かは主要なニュースも報じられる。そしてなにより、まったく僕にリコメンドされていない音楽がしょっちゅう流れてくる。懐メロから流行歌、ポップスからメタルまでジャンルはかなり幅広い。演歌が流れることもある。
してみるとラジオは情報の仕入れ先の一つとしては案外悪くないというか、むしろ優れているように思う。リコメンデーションはされていなくても、雑多なインターネット上と違って整理はされている。それでいてテレビほど騒々しくもない。なんというか、距離感がちょうどいい。情報源がラジオオンリーだったらさすがに物足りないが、エコーチェンバーに備えつける出窓には向いている。
朝、目が覚めたらとりあえずラジオの電源を入れる。コンピュータを起動するよりも、ホーム画面の鳥アイコンをタップするよりも早く、どこかのシンガーソングライターが世間話をしているのが聴こえる。ベッドメイクを終える頃には普段聴かないジャンルの音楽が流れはじめ、シャワーを浴びて部屋に戻ってきた時には自動車の免許すら持っていない僕に渋滞情報を教えてくれる。いずれも僕にとってはどうでもいいことだが、それこそが失ってはならないもののように今は感じはじめている。
ICF-506について
正直、ラジオの音質を舐めてかかっていた節は否定できない。じきに三十路を迎える僕もかつてはデジタルネイティブ世代と言われていたこともあって(たぶん僕の上下の世代も言われまくっていたと思うが)、高級ラジカセなるものに触れた経験はない。技術科の授業で作らされた簡易ラジオはデフォで音割れ気味だった。
そこへいくとこのICF-506はなにげに10cmスピーカーを盛っているだけあり、オーディオ狂の僕が聴いてもわりと納得できる感じの音を出す。なにしろずっと垂れ流しにしていても不快にならないのだから、いわゆるハイファイ的な音作りではないにせよ聴き疲れしないように上手く調整されているということなのだろう。SONYの神話はまだ死んでいなかったらしい。
ちなみに周波数のチューニングがアナログっぽいインターフェイスなので、あたかも往年のバリコン式ラジオを彷彿させるが、実はこれは雰囲気だけの代物で実装は完全にデジタルである。周波数がぴったり一致していなくても「同調」ランプが点くと勝手に出音がクリアになるのがその証左だ。要はDSP(Digital Signal Processor)が選局から復調まで全部やっている。おそらく筐体内部の基盤の上にはプロセッサがべべんと載っているのだろう。バリコンの利点はせいぜい電力を消費せずに選局できることくらいなので、よほどの緊急時でなければ特に差し障りはない。
まさか西暦2022年にラジオの話をするとは思わなかった。なまじ歳を食うと急に後ろを振り返ったり寄り道したくなったりするようだ。