今はもう過ぎ去りしゴールデンウィークの思い出。さすがに外出がランニングと買い物だけなのはどうかと考えて、ぶらっと散歩をした。道中で見つけた新規開店らしき『メロンパン専門店』にまんまと数枚の硬貨を剥ぎ取られ、帰宅してさっそくホカホカのそれを齧る。積年の記憶から縁遠い柔らかな食感と上品な甘さに僕は思わず顔をしかめた。
メロンパンというのはもっと表皮がゴツゴツとしていて、口腔内の水分をたちどころに収奪せしめる代物ではなかったか? いま食べているこいつはメロンパンとは名ばかりの高級菓子パンだ。生意気にも中にカスタードクリームまで入ってやがる。なんとまあ嫌らしい。それはそれとして味はたいへん美味しかったので2個買ってきたメロンパンはいずれも瞬時に胃袋に収まった。
小腹が満たされたところで積んでいた漫画を崩しにかかる。「SPY×FAMILY」は現在絶賛アニメ放映中の大人気作品につき、とりたてて説明は不要であろうからあえて注釈は書かない。1、2巻と順調に読み進み、さすがヒット作と言わしめる圧倒的な読みやすさに僕はやはり顔をしかめずにいられなかった。各キャラクターの個性がよく立っていてブレもなく、コマ割りの手慣れた感じはいかにも大ベテランの技量をうかがわせる。読者の視線移動を計算し尽くしたその絵作りは、絵を描いているというよりはもはや任意のモデルを予め決まった箇所に配置しているかのようだ。
物語も実に解りやすい。老若男女の誰がどう読んでも置いてけぼりにはなりそうもない。東西冷戦時代のドイツをモチーフにしてはいるものの、実際それらを意識しなければならない場面はまず見られない。名称の多くは語感ありきで利用されており「秘密警察」や「殺し屋」などといった不穏な役回りの主要人物が現に拷問や殺戮を行っているとしても、諸々のダーティな印象は後々のギャグシーンでまとめて払拭される作りになっている。
映画や小説ではもっと細かく描写を張り合わせないと整合性に欠ける局面でも、漫画という媒体においてはこのギャグシーンでの払拭がなにかとものを言う。本作はその持ち味を最大限に活用している。だからこそエンタメ性が低そうなシーンを大胆に切り落としても、物語の進行になんら影響を及ぼさないでいられるのだ。端的に言えば、本作からは良くも悪くも作り手のエゴがまったく感じられない。遅滞や迂遠がなく円滑に一直線に進んでいる。おかげで既刊すべてを読み切るのに映画一本分の時間しかかからなかった。とにかく口当たりが良すぎる。
そう、口当たりが良すぎるんだ。なにもかも。 さっきのメロンパンもそうだし、SPY×FAMILYだってそうだ。近年の、ありとあらゆるものがそうだ。美味しくなかったのかと問われたらそりゃ美味しいし、面白くなかったのかと問われたらもちろん面白いと答える。だが、そういった感想の源泉が上等な奉仕を受けたことによる返報性の働きだとしたら、僕はちょっと評論の自信を失ってしまう。今しがたぺろりと食べた2個のメロンパンは、果たして本当に美味しかったのか? ただ食べやすかっただけなんじゃないのか。
そこで僕はあえて口当たりが悪そうな代物で口直しをすることにした。口当たりの良さは本来当たり前ではない。あまりそれに慣れすぎると、コンテンツとの付き合い方が近視眼的になりかねない。ひとしきり日課の運動を済ませ、シャワーを浴び終えた午後8時過ぎ。僕は解凍した鶏むね肉をグリルで焼いた。塩と胡椒とクミンとその他少量のスパイスを振って焼いた。いつもの柔らかい鶏もも肉とは異なる、あのモサモサした鶏むね肉だ。ついでにチェダーチーズも載せてやった。
鶏むね肉をこういう形で食べるのはダイエット期間以来かもしれない。さほどカロリー摂取量に構わなくなった今では片栗粉をまぶして野菜炒めに加えることがほとんどだ。そうすると例のモサモサ感が和らいで格段に美味しくなるが、代わりに大量の油と調味料を用いるため当然カロリーは高くなる。一方、こいつときたらどうだ。ナイフで切り取った鶏むね肉を口に運ぶ。固い。噛みしめるたびに繊維質を纏った重厚な肉片が歯の隙間という隙間に押し入ってくる。口腔内の水分は一瞬で奪われた。牛肉と違ってジューシーな肉汁とかもない。ひたすらモサモサしている。
さらに肉を切り取って口に運ぶ。固い。延々と固い。だが、だからといってまずくはない。むしろこれはこれで美味しい。美味しいと感じるまでとにかく噛み続けなければならないだけだ。口当たりの良さと美味しさを混同すると、この類の味覚には気づけない。とはいえ、あのメロンパンは明らかにおやつだった。メインディッシュと比較するのはやや不公平かもしれない。おやつに口当たりの良さを求めるのはごく自然だからだ。
翌日、僕が猛然とイオンの買い物かごに投げ入れたのはかの有名なカロリーメイトである。僕は人生で数えるほどしかカロリーメイトを食べたことはないが、異様にモサモサしていたことははっきり記憶している。そしてこれはメインディッシュかおやつかなら、どうあがいても後者だろう。全部で5つもバリエーションがあったのは知らなかったが、とりあえず全部買ってきた。
しかしカロリーメイトが2本で1包装なのは想定外であった。本商品は1本あたり100kcalもある。1つの味ごとに2本、計200kcalも摂取していたら、全バリエーションを食べ終わる頃には食事同然になってしまう。やむをえず残った片割れはそれぞれ密封容器に移すことにして、2日に分けて味見を行った。
カロリーメイトを前歯に挟んで齧る。噛む。頭に響く咀嚼音からしてモサモサしている。言うまでもなく食感もモサついている。どのバリエーションにもほのかな甘みがあって美味しいが、それはそれとしてやはりモサモサしている。口の中を飲み物で勢いよく洗い流したくなる。最近では滅多に味わえない完璧なモサつき加減に感動すら覚えた。コーヒーとの相性は意外に良かった。
ちょうどKindle Unlimitedに再加入した直後だったので、口腔内にモサつきを残したまま光文社古典新訳文庫版の「われら」を新しく開いた。およそ100年前に出版された古典SFである。とても新訳とは思えない想像を絶する読みづらさに面食らう。文面を追うたびに脳に靄がかかるかのようだ。いずれ読み終わったら書評を書くつもりだがこの調子では何年先になるか判らない。
だが、決して退屈な作品ではない。コテコテのソ連的ディストピア世界の描写には古めかしさを認めつつもシニカルな笑いを誘うところがある。しかしそれらが当時を生きる人々にとっては厳しい実生活の書き写しでもあることにはたと気がついて、にわかに恐怖を抱いたりもする。現に著者のザミャーチンは本作がきっかけで亡命を余儀なくされたのだ。その手の歴史的経緯を見出すと、いくらか読書体験が悪くても俄然ものにしたくなってくる。古典にはそういう魔力がある。
こんな具合で僕のゴールデンウィークは不可思議な逆張りに費やされたわけだが、僕のやった行いが反権威としての逆張りだったかと問われれば大いに疑問が残る。そもそも口当たりの良いものばかりが目に留まるのは競争が激しすぎてそうでなければ売れにくいからであって、鶏むね肉やカロリーメイトや「われら」がそれに左右されないのは既に盤石な地位を築き上げているからに他ならない。
新参は最初の一口が勝負なのだ。手に取ってもらいやすいように口当たり良く仕上げるのはどう考えても当たり前だ。じゃあつまり、僕がやったことって結局は権威に従っただけじゃないか。ちくしょう。やられた。まあ、専門店のメロンパンは美味しかったし、SPY×FAMILYもなんだかんだで面白かったし、アーニャちゃんもベッキーちゃんもダミアンくんもみんなむっちゃ可愛いしな……。
ちなみにカロリーメイトはバニラ味とフルーツ味が同着で一番気に入った。