なぜ僕の周りではゲーム・オブ・スローンズやウエストワールドが一切話題に上らず全員アニメの話をしているのかということを一生考えてきた。情報系オタク(人生の大半をパソコンカタカタで過ごしてきた人間の、総称)は上の世代も下の世代もアニメばかり見ている。話数が多いと尻込みしてしまうのかとも思ったが、まだ1シーズンしかないイカゲームとかもまるで存在しないかのようだ。よく知られたタイトルでもこんな有様だから、その他大勢の単体映画については言うまでもない。
もちろん探せば実写作品を好む人たちはごく簡単に見つかる。インターネットは広大だ。しかしそれは僕の愛すべき人たちではなく、たまたま趣味が一致したどこかの知らない人々でしかない。僕は他ならぬ情報系オタク(人生の大半をパソコンカタカタで過ごしてきた人間の、総称)の皆さんに実写作品を2の64乗本くらい観てほしいのだ。自分も同類だから。
かつては学校でも、ちょっと前までは職場でもだいぶ布教を頑張ってきた。とりわけIT企業はまさしく情報系オタクの宝庫である。ところが肝心の彼らときたら「観れたら観るわ」と絶対観ない時の返事をよこすだけで、にべもない。むしろ横で話を聞いていた事務の子の方が「面白そうだったので観てみました」とか言って感想をくれる始末。そりゃあ、事務の子だって仕事でパソコンカタカタはしているだろうけど、そうじゃないんだ。パソコンカタカタとは精神性の概念でもあって……。
そんなわけで、ある時期からTwitterで映画の紹介文をツイートしはじめた。Amazon Prime VideoにしろNetflixにしろ、なにか作品を選ぶ基準があれば少し変わるかもしれない。残念ながら今のところ効果は芳しくない。まれに反応をもらうことはなくもないにせよ、そういう人たちはもともと実写作品が好きだったりする。
どうしてパソカタ諸氏(人生の大半をパソコンカタカタで過ごしてきた人間の、愛称)は実写作品をあまり観ないのか?――しかしこの問いは、長らく交流を重ねるにつれて不正確だと解ってきた。彼らは実写作品に限って観ないのではなく、たいていアニメも大量には観ていない。アンテナの指向性がものすごく尖っていて、特定の条件を満たした作品でなければ手をつけないのだ。その一つが情報量の多寡である。
パソカタ諸氏が好む作品は情報量が非常に多い。ただでさえ1話あたり正味20分強という、実写作品の世界からすれば押し潰されそうな短尺の中で実に様々なことが起きる。キャラクターはほとんどひっきりなしに喋っているし、コロコロとコミカルに表情が変わる。どんどん音楽がリズミカルに流れて、ビシバシSEが鳴り響く。
そこへいくと、僕が好むような作品はどうだ? 一般的なドラマはアニメの2倍以上の尺があるから、たとえ同じ様式で作ったとしても情報密度は半分しかない。にも拘らず、車を走らせて喫茶店で煙草をくゆらせるシーンだけで容易に10分は費やす。遠景を映している間に5分は経つ。アニメならじきにエンディングだ。
おそらくパソカタ諸氏にとっては、これが退屈で仕方がない。彼らは密と疎でいうなら、密を主にしている。その一瞬、一瞬で常になにかが起こっていればいるほど好ましい。Youtubeの切り抜き動画や倍速再生などはこうした欲求の極北と捉えられる。こんなふうに解釈すると、なるほど確かに実写作品など観ていられないはずだ、と首肯せざるをえない。アニメキャラクターは工夫次第で挙動をデフォルメして高速化できるが、実写作品には難しい。
対して、僕は疎を主にしている。事態の発生は結果であって本質ではない。本質は物事の前にこそ、情報量の少ない領域にこそ宿っている……そう信じたい。だからこそ、僕は3時間半の長尺のうちの、1時間の入念な情景描写を愛する。親子のすれ違いを表すための、寡黙な食器カチャカチャを愛する。来たるべき大決戦の1話を映す手前の、9話分の下準備を愛する。
しかし僕の愛すべき人たちにとってこれらはおおよそ無駄な情報であり、けちくさい貧相なデータであり、切り抜き動画でカットされた部分に等しいようだ。この事実が無念でやりきれず、どうにも悔しい。キーボードを抱いて生まれたというくらいには僕も誉れ高きパソカタの一員なのに、段々と同胞の歩みについていけなくなってきているのを感じる。
せめて3シーズン……そう、3シーズンで完結のドラマ視聴で手を打たないか? 「DARK」っていうドイツのタイムスリップものがむっちゃ面白いんだ……いくら叫べど僕の声はカップリング創作やアニメの感想にたちまちかき消される。だけど絶対に諦めないからな。