名前を出すのも億劫なあの人とかあの人とかが台頭してきた時、ああ、マスキュリズムの一派なんだなと僕は能天気に捉えていた。確かに男というだけで苦役が課されるのは理不尽だし、男性差別のみならず女性差別的ですらある。「男なんだからやれよ」は裏を返せば「女にはどうせできないでしょ」だ。そんな過去を反省してか、いくつかの国では男女ともに徴兵を課すようになった。本当は徴兵制自体をなくしてほしいが情勢的にはそうもいかないのだろう。
さらに踏み込んだ話をすると、男女の均等雇用が訴えられるのはもっぱらデスクワークに限られていて、土木業や建設業、運送業などの過酷な現場仕事で同様の主張が為される例はめったにない。男女平等とはこれいかに。このように、マスキュリズムの言い分には一定頷ける余地がある。もちろんそこには過労を前提とした搾取が横行しており、頑健な肉体を持つ一部の男性でなければ適応できない現状が否めないにせよ、華やかで高給な仕事ばかり望んでいるとの誹りは免れられない。
こういう話なら理解できる。しかし今やマスキュリズムはすっかりインターネット人間(インターネットに脳を焼かれた人間の、総称)に破壊されてしまった。インターネット人間はえてしてBIG主語だから個別に事例を切り分けられず、あるいは半ば故意に、女(約39億人)はこうだ、とかああだ、といった雑語りをしがちだ。それがまた鏡写しみたいに過激な敵対陣営の目に留まって、際限なきINTERNET OVERDOSEに突入していく。
これがただの不手際だったら大した問題ではなかった。ディスコミュニケーションは施行回数を重ねるたびに低減されうる。ところがインターネット人間たちの目的はいつしか問題提起ではなく、敵対者をこれみよがしに叩きのめしてフロアを沸かせることへと移り変わった。なんなら一部の人間は飯の種にもしている。要するに彼らのディスコミュニケーションは作為的であり、敵との和解は承認と食い扶持の喪失を意味する。有料noteマンとはよく言ったものである。
とはいえ読みもせずに文句を言うのもどうかと思ったので、僕はきついインターネット臭のするそれを一月だけ契約してみた経験がある。ほぼ毎日更新する律儀さは見習いたいものの、肝心の内容は時事性こそ高くとも同じ結論の繰り返しでしかなかった。これを読む人たちとて人生の好転とか、なんらかの実践を伴った解決策とかを期待しているわけではないのだろう。
単にそれを読むことが彼らにとって溜飲の下がる娯楽なのだ。曰く、経済成長が滞る原因は女、労働環境が改善しない原因は女、少子化の原因も女、自分が子を持てない原因も女……そのどれもが、なにげにそこそこ当たっていそうに見える。なぜなら、複合的に積み重なった数多くの要因を選り抜いてチェリーピッキングしているからだ。時勢に合わせて女性を外国人、野党、高齢者に置き換えるのはそう難しくない。きっと真逆の需要にさえ応えられるはずだ。
事実、10年くらい前までは外国人批判がトレンドだったが、主要なSNSや動画投稿サイト、アフィリエイトの規約上でヘイトスピーチ対策が施されるやいなや下火となった。扇動によって引き起こされる言論は発信元のインフルエンサーが手を引けばたちまち勢いを失う。かつては権勢を誇ったネット右翼も今日では一笑に付される存在に落ちぶれた。
被差別者がどこの誰に責任や補償を求めるにせよ、現実の政治運動に転換しなければ決して実現はできないし、自助努力に根ざした観点では転職、筋トレ、学位や資格の取得などに邁進する必要がある。少なくともフェミニズムはこれらをやっている。賛同するしないは脇に置いても――100年以上はやってきている。彼女らの運動がまるで歓迎されなかった艱難辛苦の歴史は誰でも知っている。女性は連帯できて男性ばかりができないとしたらそれはなぜなのか。なお、我が国の男性議員比率は世界各国の中でもトップクラスに高い。
いずれにせよ、アンチフェミの中でマスキュリズム運動が芽生える兆しはない。インフルエンサーたちが垂れ流す有料noteを漫然と読んで、私見を述べる手間も惜しんでリツイートに勤しむ。ちょっとテンションが上がると集団で他人に飛びかかったりもするが、やはりなんの発展にも至らず時間の浪費で終わる。運動というよりは手癖に近い。
僕はこの界隈を何年も遠巻きに眺めて、やがて現実の政治運動へと昇華されるのを密かに期待していた。政治運動となればより広く支持を取りつけるためにインターネット臭を薄めなければならないし、主張のトーンも穏当な方向に修正されると考えられたからだ。現に何人かのインフルエンサーは商業出版にもこぎつけた。売れ行きも悪くない。マスキュリズムの需要自体は相応に高かったと言える。
しかし、実際にはなにも起こらなかった。インフルエンサーは相変わらず同じ結論を煮戻した有料noteを売り続け、アンチフェミはそれを貪り、性懲りもなくOVERDOSEして、経営者や学者も巻き込んで1万RTもされれば現実に影響を与えたようだが所詮は徒花に過ぎなくて、リアルな政治は良くも悪くも彼らとは無関係に進められている。
インフルエンサーはまさしく濡れ手で粟だ。読者の目が醒めないうちは永久に売り続けられる。客を取り合ってインフルエンサー同士で争うぐらいだ。文章を読むほどまめじゃない客層を拾うべく、任意のターゲットに直接嫌がらせを行う者まで現れた。今なら5万円でやってくれるらしい。賢しげに苦言を呈する手合いもさほど対立してはいない。どうあれ文末では相手のせいにしている。
最近のアンチフェミは女性保護団体との訴訟に精を出す富豪にせっせと寄付金を送ったりもしているようだ。富豪がどんな奇行に走ろうとも、寄付金を高額な食事に使ったり、余ったら自分のものにすると宣言しようとも、彼らは異様におおらかだ。中には生活費を削ってでも支援すると言っている猛者も少なくない。
じきに二匹目、三匹目のどじょうを狙う者が後に続くだろう。個人ブログから当意即妙なツイートへ、ツイートから有料noteへ、有料noteからカンパ、訴訟沙汰、実力行使へと、振る舞いはどんどん派手になり、いかにもセンセーショナルではあるが、政治運動としての品位は地に落ちるどころか追加の大穴が穿たれ、ついには奈落の底へと消えていった。これを取り戻すすべはないように思われる。
なあ、アンチフェミって結局どうなりたいんだ? 性役割を好んでいるのか好んでいないのか、男らしくなりたいのかなりたくないのか、すべてが曖昧模糊としている。彼らにも意見の違いはあるとはいえ、最終的なグランドデザインは共通して不明瞭なままだ。この期に及んで表現の自由を守ってるとか言われても困る。言行があまりにも一致しない人間を見るのは怖い。
アンチフェミの大御所が「大谷翔平、28歳なのに高校生みたいな顔してて正直キモい」と言った後、他のインフルエンサーたちも続々と追従するのを目の当たりにした時、僕はいよいよアンチフェミが解らなくなった。君らマジでこんな輩についていくつもりなのか? 「是々非々でリツイートします」なんて域はとっくに越えていると思うよ僕は。まあ別に、人の勝手だけどさ。