2023/07/15

30歳の節目に電子の家を建てた

かつての時代では30歳で家を建てることが国民共通の目標だったらしい。1993年、バブル経済の崩壊とともに日本は凋落の道を転がりだし、国政では55年体制が終わり細川内閣が発足、IT分野ではWindows3.1日本語版が発売された激動の年。僕は岩手県とかいう人間より牛の数が多いスカスカの大地にオギャーと誕生した。多分に漏れず、家は新築だった。

時に、西暦2023年7月11日。僕は30歳の誕生日を迎えて名実ともに中年男性と相成った。世相はずいぶん様変わりしたが僕もやはり家を建てた。ただし、肉体の収容を差し置いてインターネット上におけるアイデンティティやコンテンツコントロールの確立を重視した背景から、僕が建てた家は鉄骨でも木でもなく電子情報でできている。

ここ十数年の間にSNS――ソーシャル・ネットワーキング・サービスを取り巻く状況は急速に変化した。ただの手慰みに過ぎなかった一介のWebサービスが気づけば権威を纏いはじめ、その権威を塗り固めるがごとく他の権威も寄って集って天を衝く尖塔を築いた。そうして建てられた尖塔はいかにも立派そうに見えたが、たった一人の経営者の気まぐれによって今や根元が揺らいでいる。

こうした状況下にあって人生の多くをインターネットに捧げてきた人間としては否が応にでも考えざるをえない。14年以上に渡り半生を刻んできた写し身たるTwitterアカウントは、実のところ恐ろしく脆く、容易く壊されかねない代物でしかなかった。だが、良くも悪くもインターネットが我々によりいっそう迫り、多くの感性に影響を及ぼすのは今後も避けられそうにない。広範なリアルタイムコミュニケーションの機会を捨て去るのは少々退屈だ。

ならばせめて、情報の受け取り方や交流の工夫を自らの手で行えるようにしておきたい。じきに現れる第二、第三のTwitterも決して我々に本当の自由を与えてはくれないだろう。彼らの構築するプラットフォームに写し身を置いて、管理の一切を委ねるという選択はつまり、我々が本当に欲しい情報と彼らが見せたい情報の交換を暗黙裡に呑まされ続けることなのだ。

そこで僕はFediverseに家を建てた。なんの変哲もない建売りのMastodonで、和風モダンの瀟洒なMisskeyやフルオーダーメイドの独自実装とは異なり質素だが、これはこれで手に馴染む堅牢性が頼もしく感じられる。以前、あらゆる実装系で建てられた集合住宅を転々としたものの、結局はMastodonの質実剛健さが僕の中で勝った。特に埋め込み引用機能が気に入っている。

せっかくなら土地も広くとっておく。現状、VPSはContaboのユーロ建て払いが最強のコスパで知られている。日本リージョンでなければSSHの入力遅延が激しすぎて使い物にならないとはいえ、それでも合計月額8.9ユーロ、約1400円(2023年7月15日現在のレート)で4vCPU/8GB RAM/200GB SSD/500Mbpsは破格の性能だ。もし2GB RAMの一段上を求めているのなら、国内の事業者の4GBプランではなく断然こっちをおすすめしたい。

情報発信や交流の本拠地を拵えるからにはセルフブランディングも欠かせない。電子情報化住宅の建築はVPSの契約よりも前の、ドメイン名を考える段階から始まっていると言っても過言ではない。技術者であり物書きでもある僕としては、やはり両方のニュアンスをドメイン名に含ませたい。Fediverse上のインスタンスにおいてドメイン名は半ば屋号的な意味合いを持っている。こんな面白い自己表現の機会をみすみす逃すわけにはいかない。

そうは言ってもこれは簡単な仕事ではなかった。ぱっと一瞥した際に引っかかりを与えるような、いかにも長大で露骨な文字列はかえって安っぽい。かといって、一般名詞は個人のアイデンティティを委ねるには器が大きすぎる。カリグラフィー的な審美性も重要だ。総合すると、トップレベルドメイン部分を足してもせいぜい10文字ちょっとが限度であろうと思われた。

10文字ちょっとで技術と物書きのニュアンスを両方含ませる――インスタンスを建てるのには半日もかからなかったが、ドメイン名を決めるのには何日も要した。帳面に候補を様々な書体で書き連ねてみたり、エディタ上で特定のフォントを指定した際の見栄えを比較したりしているうちに、どんどん日々が過ぎ去っていく。まるで中二病全盛期だ。あの頃もなにかとカッコつけようとして躍起になっていたものだ、と独りごちた辺りで、ふと頭をよぎる文字列があった。

中学生の時分に書いていた小説の題名だ。僕が初めてまともに長く書けた一次創作作品で未だに思い入れが深い。 『Mystech』 と題されたそれは、魔法を操る異世界人の襲来に対して人類が Mystic Technology と呼ばれる魔法技術で立ち向かうという、今となってはこすられすぎた筋書きの物語だが、当時はとてつもなく画期的なアイディアだと信じて書いていた。

懐かしいな、と苦笑いして帳面にタイトルロゴを記してみると、途端に自身の表情が引き締まるのを感じた。この字面は、カリグラフィー的な審美性を満たしている。とりわけ2文字目のyが良い。全体の均整もすばらしくとれている。改めてエディタでいくつかフォントを指定して書いて、僕はこの感覚にいよいよ確信を持った。昔に自分が書いた作品の題名で、かつ技術を表すニュアンスが文字列に含まれている。アイデンティティを代表させるにはこの上なく申し分ない。

反面、まだ物書きのニュアンス、文芸的な要素が取り残されている。これが僕の作品の題名を表しているということは説明しなければ伝わらない。だが、Mystechの7文字はすでに完成されていて他の文字を差し込む余地はなさそうだ。となると、トップレベルドメインで工夫するほかない。僕はGandiの一覧表を凝視しながら、文芸を表現しうるドメインをくまなく探した。

そこへいくと絵描きは羨ましい。彼ら彼女らには.artドメインや.designドメインがある。文芸もliterary artと英訳されるし、designの一種と強弁できなくもないが、印象的にどうしても絵描きっぽさが先行するのは否めない。.writeドメインとかが存在していてもよさそうなのに新設の予定すらないのは一体どういうつもりなのか。憤懣しつつなおも探っていると、暫しの後にとうとう見つけた。

.inkドメインだ。出版社や印刷業界、タトゥー専門店などに向いていると説明されているが、インクと言えばそもそも物書きの古典的な象徴でもある。僕とてお気に入りのボールペンでよく文字を書く。これだ。文芸のニュアンスを含めるのに適したドメインはこれしかない。こうして、神秘・技術・文芸を表すFediverse上の僕の根城 「Mystech.ink」 が誕生した。

ついに5年越しの夢が叶った。遅きに逸したとは思わない。あらゆる面において、僕にとって最良の時期がちょうど30歳の節目だったのだ。Fediverseの世界では肉体に関係なく誰もが自分の居場所を持てる。僕は30歳で家を建てたが、僕の半分の歳で数千人が住まう集合住宅を建てている子もいる。

Twitterの衰退は確かに残念だ。もともと経営不振に陥っていたにせよ、イーロン・マスクの手に渡らなければまだなにかやれることはあったに違いない。だが、今となってはどうにもならない。「支払いに必要な金を稼げない」……この一点を理由にいずれTwitterは滅び、世界中のソーシャルネットワークは再び激動の時代に突入するだろう。

それにひきかえ、ここからの眺めはいつでも最高だ。僕が見たい景色をナノ単位で調整できる。これから先、インターネットの世界、SNSの趨勢、プロトコルの発展がどう進んでいくか考えると、予想される混乱とは裏腹に奇妙な興奮を覚えて仕方がない。歳を食うのもそんなに悪い話じゃないな。

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