中年男性がハマりがちな趣味というものがいくつか存在する。蕎麦、チャーハン、パスタ、カレー……そしてコーヒー。多分に漏れず、僕も30歳に相成る過程でそれらすべてにしっかりハマってきた。だが、コーヒーだけは最後の一線に踏みとどまってこらえていた。なぜなら、生豆とさして変わらない価格で最高の焙煎を行う店があったからである。
横砂園と名乗るその店は、コモディティの手頃な品種からスペシャルティの高級銘柄まで幅広く網羅していながら焙煎度合いも選べて、注文した当日中に発送もしてのける圧巻のホスピタリティとコストパフォーマンスを兼ね備えていた。今思えばありえない話だ。通常、どんなサービスや商品であっても速い、安い、良いのうち同時に二つしか満たせない。
すなわち、安くて良いものは遅く、速くて良いものは高い。さもなければ誰かにしわ寄せがいく。「よほどコーヒーが好きなんだなあ」などと能天気でいた僕ときたら、まったく救いようがない。実際には、店主ひとりの過酷な労働によって辛うじて成り立っていた商いだったのだ。
ほどなくして訪れた焙煎豆の販売終了は青天の霹靂、寝耳に水、驚天動地、どんな故事成語をもってしても表現しきれない恐慌を僕にもたらした。しかし、他の焙煎店の一般的な価格や業務に携わる従業員の数など、いわゆる業界の相場感について学んでいくにつれて、もともと長く続く商売ではなかったのだと納得せざるをえなくなった。
それからは流れの身のごとく焙煎店から焙煎店へと、横砂園の代わりを探し続ける不毛な日々がはじまった。むろん、そんなものがないのは解りきっている。踏み込んだことを言えば、そもそも存在すべきではないのかもしれない。いくら自営業でやっているからとはいえ過労に裏づけされた価値に持続可能性はない。だが、そうは言ってもあのコーヒー豆はうまかった。業界の標準的な価格帯ではあの味に敵う店はまず見つからない。かといって、高級店の豆には手が出ない。
そのような割り切れぬ葛藤を抱えつつも、コーヒーを切らしては困るので二番手、三番手の店の豆を買い続けた。これだって十分にうまい、一体どこに問題があるというのか? たかがコーヒーじゃないか――自分を納得させようとする偽りの声が次々と脳裏にこだまする。……むろん、本当は最後の選択肢が残されている事実にも薄々気づいていた。そう、他人にやらせて納得できないのなら、自分でやればいいのである。 これはあらゆる嗜好の鉄則と言っても過言ではない。
そういうニーズに応える道具がすでに出揃っていることも僕は知っていた。なにも手網だとかフライパンだとか、さもなければ工事が必要なバカでかい業務用ロースターかの二択しかないわけではない。前者よりは疲れず、後者よりは手軽な選択肢がちゃんと存在している。手回し式の焙煎機だ。これなら何十分回し続けても全然疲れないし、工事も置き場所もいらない。れっきとした直火焙煎でもある。
なにより、形を変えて横砂園に貢献できる。かの店は焙煎豆の通信販売は止めたが生豆は取り扱っている。ここから生豆を買って自家焙煎すれば、彼らを過労させずして相互に利益を得られるのだ。あらゆる状況が僕に手回し式焙煎機でコーヒー豆を煎れと告げていた。であれば、これはもう煎るしかあるまい。そう決心した。
購入した手回し式焙煎機はアウベルクラフトという製品だ。直営代理店で購入すると600gの練習用生豆が付属する。組み立てにはドライバーと30分弱の時間を要するものの、構造はそう複雑でもなく一度組んでしまえば二度目以降はフィーリングでなんとかなりそうな印象を受けた。収納場所にあてがあるなら組み上がった状態で保管したっていい。なにげに交換部品が併売されているのも嬉しい。
完成するとこんな感じになる。言うまでもなく使い方は直火にかけて回すだけだ。強いて挙げるなら、毎秒一回ずつ回すのがコツらしい。だいたい12分後に最初の状態変化(1ハゼと言う)が起きて、これが止んだ直後に焙煎を終了すると浅煎りができあがる。さらに2分ほど続けて2回目の状態変化(2ハゼ)が起こったところで終了すると中煎り、なおも続けると中深煎りや深煎りに進む。
とりあえず僕は中深煎りを目指して、最終的に深煎りで済めばいいと考えた。この手の作業の初回は大抵なんらかの形でタイムロスが発生する。それに、想定されうる現象の後ろの方まで確認しておきたいモチベもあった。結論から言うと、おおむねその通りになった。説明書きによれば、中煎りの段階に突入する2ハゼ発生から深煎りまでの間には約40秒しか猶予がないと言う。1ハゼまでは悠長に12分も回すだけなのにえらい急速な変化具合だ。焦らないはずがない。
なにしろ合計14分以上も直火に炙られた金属は相当に熱い。軍手をしていようがミトンをはめていようが熱いものは熱い。にも拘らず、こいつを台座から引き剥がして、ネジを緩めて、蓋を開けて、ちょっとずつしか出てこないコーヒー豆を全部振り落とし切るまでひたすら保持していなければならない。その上、小休止さえ許されない。焙煎は余熱でも勝手に進んでいくからだ。
そういうわけで散々手間取った結果、中深煎りのつもりで火から下ろしたコーヒー豆は計画通りほとんど深煎りの顔をしてザルに上がった。でもまあ、上出来じゃないか? 僕は深煎りも好きだ。ひたすらドライヤーの強風に当てて冷ました煎りたての豆を一つつまんで、かじる。鮮烈な苦味の奥に備わった甘みと香味のディティールを感じて、おおよその成功を確信した。うまくいったなこれは。
なぜこんな回りくどい寸評をしているのかというと、焙煎直後のコーヒー豆は味が暴れていて正しい評価が行えないためだ。ここまでの文章は焙煎当日の日曜日に書いているが、まだ淹れたコーヒーは飲んでいない。明日の朝にそれを飲んだ僕がこの後の続きを書く手はずになっている。
〜〜〜〜翌日〜〜〜〜
正直なところ、僕はみじんも不安を抱いていなかった。豆をミルで砕いた際に漂う清香、湯を注ぐと立ちのぼる豊穣な芳ばしさ、フィルターの上でむくむくと旺盛に膨れる粉……一切の要素が僕に揺るぎない自信を与えた。お気に入りのマグカップにとぽとぽと注いだそれに口をつける瞬間に至るまで、僕は一時の高揚を超えた涅槃の境地に達していた。ズズズ……(コーヒーをすする音)
……あまりにもうますぎてUMA(Unidentified Mysterious Animal)になった。 あれほど恋い焦がれていた直火焙煎のワイルドな味わいが今ここにある。アウベルクラフトの製品設計が特別に優れているのか、それとも僕に焙煎の才能があったのか、できれば後者だと嬉しいがいずれにしてもすばらしい。初回でこの出来栄えなら後はますます良くなる一方だ。
もはや僕は焙煎豆を買う理由を失った。蕎麦打ちのためにこね鉢とめん棒を買い、チャーハンのために中華鍋を買い、パスタのためにギリシャ産オリーブオイルを買い、カレーのためにスパイスを買い、性懲りもなく今日まで続けてきた僕に最後のフロンティアが現れた。他の愛すべき道具たちと同じようにこの焙煎機とも長い付き合いになりそうだ。ついでに言っておくと、焙煎後の臭いも家中にだいぶ長く残る。