ナンバリングはもう忘れてくれて構わない。夏真っ盛りの今だからこそ着たい服装はやはり半袖のポロシャツである。僕は夏が来るたびに持っていない色のものを新しく買う。微妙に色合いの違うピンクだけで半ダースくらいのバリエーションが箪笥に唸っている。鹿の子よりニットポロの方が好きだ。ポロシャツという出自からしてスポーティな服装がニットだと一気に都会的な雰囲気になる。最近はMOONCASTLEがアツい。大阪のニットブランドで作りがとても良い。
ところが半袖ポロシャツを着ていると悩まされるのが鞄だ。ニットポロがいかにおしゃれであってもポロシャツはポロシャツなので、ワイシャツより大幅にカジュアル寄りになるのは避けられない。なにしろ半袖シャツそれ自体が圧倒的にカジュアルなのだ。イギリスの高貴な紳士にはファッションの構築感を維持するために半袖の服を一切着ない人もいると言う。しかし我々は誠に遺憾ながら高温多湿の日本に住んでいる。真夏に長袖のニットポロなど着ていたら蒸発しかねない。
カジュアルに偏りすぎるとなにが困るのかというと、鞄の選択肢が狭まるところだ。カジュアルな服装にカジュアルな鞄は合わせられない。青年期を過ぎた紳士は一定値以上のカジュアルスコアを超過してはいけない決まりになっている。たとえば、半袖ポロシャツにショルダーバッグの組み合わせを想像してほしい――どこからどう見ても真夏の冒険少年だ。少年がするぶんには構わないが都市を歩く三十路の紳士にふさわしい格好ではない。
では手提げ鞄はどうか? ダレスバッグは? 今度は逆にかっちりしすぎている。ポロシャツが放出するカジュアル性に鞄が浮いてしまう。トートバッグなら辛うじてありかもしれない。ただし、注意点としてトートバッグはえてしてデカい。デカい鞄には冒険性がつきまとう。都市にいる人間は冒険の匂いをさせてはいけない。常に荷物をたくさん持ち運ぶのでなければもっと控えめの鞄がおのずと求められる。
そこで導入されるのがクラッチバッグだ。今や革鞄の専業ブランドでもあまり見かける機会がない、あの手で直に持つタイプの鞄である。言わずもがな今日、クラッチバッグはすこぶる受けが悪い。片手が常に塞がる、持ちづらい、出し入れもしにくい。合理性の時代に完全に取り残されている。
だが、半袖ポロシャツと完璧に調和する。 半袖ポロシャツどころか、アウトドアファッション以外のすべての服装に調和する。利便性を削ぎ落としたミニマルな形状だからこそ、都市にうまく溶け込んで余計なノイズを発しないのだ。さしずめファッションありきの鞄と言っても過言ではない。
言うなればピストルの時代に帯刀するSAMURAIに近い。あらゆる汎用的暴力を提供する銃器に対して、日本刀の暴力は局所最適化されすぎていて時代にそぐわない。だが、それゆえ他では得られない誇りと輝きに満ちている。半袖を着ていてもエレガントに鞄を持ちたいというその一点を貫くために、片手が塞がった状態で飲み物を持ったり傘を差したりしなければならない。大抵の場合は自立しないのでどこかに仮置きすることもできない。
そしてなにより荷物が入らない。カッコいいクラッチバッグはきまって細マチだ。箱みたいにずんぐりしたものや、愚かにもストラップが付いているような代物は「集金バッグ」と蔑まれ、真のクラッチバッグとして認められる日は未来永劫に訪れない。日本刀に射出機構を設けてピストルに対抗せんとした者は破門される。SAMURAIは文句を言わずに潔く荷物を厳選する。荷物を整理する楽しみを見いだせない者が紳士でいるのは難しい。
そうしてクラッチバッグを手に入れた翌週(例によって馴染みのブランドで買った)さっそく会社に持っていった。どんどん鞄が小さくなっていく僕に対して同僚たちは動揺を隠しきれない様子だった。「それならもう手ぶらでいいんじゃないの」と突っ込む同僚にふふんと「鞄はコーデの一部なのだよ」と華麗に反論したのも束の間、その日はテスト用端末を持ち帰らないといけないことが発覚し、右往左往するのであった。