2023/07/08

尻から10億番目のThreads所感

映画でも漫画でもよくある、主人公を散々苦しめた手強い悪役がさらに強い悪役に瞬殺されるシーン。どういうわけか僕はあれが好きだ。やっとの思いでしのいだ悪役をさらに上回る敵がいるという戦慄、恐怖、のみならず、その敵は同じ悪も容赦なく屠る冷酷さをも持ち合わせている。主人公たちは今後そういう強敵を相手にしなければならない……。

実のところ、我々が目の当たりにしているのはそんな光景なのかもしれない。数々の事業を成功させ大富豪に登りつめたイーロン・マスクは今や、同様に栄華を極めるマーク・ザッカーバーグにひねり潰される寸前だ。SNSに巣食う悪辣な左翼を成敗してくれたと快哉を叫んでいたインターネットのオタクたちもずいぶん口数が減ってしまった。

彼がTwitterを買収して以来行なってきた改悪の数々はもはや並べるまでもないが、とりわけユーザの投稿閲覧数を制限する施策はもともと尽きかけだった信頼をついにすべて失ったように思う。たとえ一時的な措置でも二度三度起こらないとはかぎらない。かくしてTwitterは「色々あってもここがいい」との妥協点を大幅に下回り「人がいるからいるだけ」のサービスと相成った。

しかし、それでも「人がいる」のは他に代えがたい。ひとたび固まると誰もが同じ理由で使い続けるものだから、互いに互いの行動を牽制しあう形になってしまう。誰かが先陣を切ってよそに移ったとしても、数百人、数千人いるフォローの一人か二人が欠けただけに過ぎない。情けない話だが、みんなで動かないとみんな動かないのが実情のようだ。

さらに残念なことに既存の移行先はどれもマスユーザを安心させてくれない。あらゆる実装系やインスタンスは特定の需要を満たせてもフリーライド可能なインフラを担う作りには現状なっていない。ユーザの自主性に誠実すぎる設計思想は、皮肉もマスユーザからすると不審で頼りのない態度に映る。Twitterにしろなににしろ、叶わない文句を言える環境は気安い。

そこへいくと”自由”なFediverseの世界は違う。誰でも好みの環境を自ら用意できて、なんなら改変もできるとなれば「じゃあやればいいじゃん」と完全無欠の正論パンチでぶちのめされてしまう。マスユーザにとってそれは1000の広告よりもイーロン幕府の圧政よりも恐ろしい虐待なのだ。ある意味で、有無を言わせない不自由さは目的のコンテンツが手に入るうちは平穏である。そして目的のコンテンツとは大抵の場合には芸能人やインフルエンサーや公式アカウントを指している。

先日、Metaの新しいSNS「Threads」がリリースされた。前述のマーク・ザッカーバーグの会社が繰り出したサービスだ。ユーザ数は初日で3000万人を越え、Twitterが到達するのに何年も要した記録を瞬時に抜いてしまった。どうやらこいつはマスユーザの需要を満たしているらしい。そこで一つ現地調査を行うべく僕は腰をあげて、実家の納屋に放置されて埃をかぶっていたInstagramアカウントに火を灯したってわけだ。

いや、嘘をついた。本当は何日も前から納屋でバリバリ待機してた。机と椅子とパソコンと冷房器具を持ち込んで、今か今かと待ち焦がれていた。Instagramアカウントもちゃんと動くか事前に確認した。ついでに言うと僕の腰は軽い。どうせ自分には向かないと解っていても、デカい会社がデカいサービスを始めると気になって仕方がない。皆さんだって実際そうだろ?

アルゴリズムでリコメンドされるタイムライン

Threadsにログインするとさっそくタイムラインに投稿が並ぶ。多くは芸能人やインフルエンサーなどで、企業の公式アカウントもある。一部は投稿日時がサービス開始より前なので予めベータテストが行われていたのだろう。こういう不気味なほどの根回しのよさはFediverseの世界ではまずありえない。Metaの連中はマスユーザの好みを知り尽くしている。0フォローだからなにも表示しないなんて”不親切”な真似はしない。

そのうちFediverseやBlueskyやTwitterで見知った顔が出てきてフォローしたりされたりする。InstagramにFFがいる人は一括でフォローできる。フォローがいればリコメンドも停止すると思いきや、多少の修正は入っても完全には他人の投稿を省けない。第一に芸能人やインフルエンサーが優先されて、特にフォローが少ないユーザには強くリコメンドされるようだ。

#バズれバズれじゃあないんだよ。申し訳ないが引っ込んでくれ。この手の投稿を減らすために僕はフォローを増やした。第二に、FFがいればその中で注目度の高い投稿が上位に表示される。時系列順ではない。おのずと「ぽやしみ〜」とか「一生風呂入れません」などといった”低価値”な投稿は視界外に追い払われ、消費者にとって望ましいタイムラインが自動的に構成される仕組みになっている。

そして最後に、フォローのフォローの投稿が現れる。それでも手が空くようなら赤の他人の投稿も顔を覗かせる。アルゴリズムでできたカウチはユーザの腰を固く掴んで離さない。ありったけの可処分時間を費やしてもらうには直接の友人関係では事足りないというMetaの荒い鼻息が伝わってくる。

現状ではフォローの投稿のみが等しく時系列順に並ぶタイムラインは存在しない。いずれ作ると言っているが、優先順位としては誠に正しいと言わざるをえない。どのSNSもマスユーザは統計的にROM専が多いとされているので、そこにフォーカスするのは理に適っている。

朝、起きたらWeb2.0の死体が見つかった。そんな印象を受ける。かつて夢見られていた双方が発信する協働のインターネット社会は、少数のインフルエンサーを生む代わりにより多くのン億人をむしろ消費者にして終わってしまった。だが近い将来、目標の10億ユーザを引き込む上ではすさまじく需要に即した仕様と言える。

Threadsの思想性

フォローしたりされたりしているうちに気づいたが、このアプリには相互フォローを可視化する機能が備わっていない。フォローしてくれた相手のプロフィール欄へ行くと「フォローバック」ボタンが表示されるので、この時点ではフォロー状態が判るが以降はあやふやだ。

無理やり確認する方法はある。フォローしている人のフォロー欄を上から下まで探って自分がいるか確かめればはっきりする。とはいえ、数百人、数千人もいる相手にそれをするのはとても面倒くさい。Metaは解っててあえて面倒くさくしている。フォロー状態を意識させなければ人間関係が希薄化して、いっそうコンテンツ消費的な傾向を高められるからだ。

なにしろThreadsではフォロー解除の際に確認画面も出ない。あたかもフィードを購読する手軽さでフォローを付け外しできる。「SNS疲れ」に代表される無駄な関係性をインターフェイスで間引く腹積もりらしい。この辺りには既存の問題点を克服しようとする意欲が感じられる。

Threadsの名称が示す通り、投稿画面の時点で連続投稿を後押しする仕掛けも施されている。半透明に表示される縦線はまさしく糸のごとしだが、Twitterと違って500文字も投稿できて画像も大量に添付可能なこのサービスでどれほどのユーザが「スレッド」を築くかは難しい。どちらかといえばインフルエンサーやクリエイター向けの機能と想定される。

クリエイターといえばコンテンツモデレーションの具合には一言触れておきたい。タイムラインを眺めた感じでは外国人が半裸の写真を投稿しまくっているので、これを越えない範疇ならおそらく許容される。二次元については絵柄がハイティーン以下寄りでなければR-15相当までは認められそうだ。現にそういう絵も流れてきた。それにしても通報欄に「単に気に入らない」があるのは面白い。

流れてくる投稿にスレッドの存在が明示されているのも興味深い。他のSNSでは省略されがちな部分を視覚化することで、コメントの閲覧と投稿を促す意図があると考えられる。反面、再投稿(RTに相当)やいいねの数は巧妙に隠蔽されている。たぶんMetaはRTといいねに代わる価値としてコメントを推すつもりなのだろう。

ただし、外観の特徴を見るにスレッドを重ねて長文の議論をするのはなんとなく憚られる。ハートよりは気持ちがこもっている一口感想がせいぜいといった印象だ。実際、ほとんどのユーザがそうしている。ああしろこうしろと言わずともUI一つでユーザの行動を誘導してみせるのはさすがMetaと認めざるをえない。

張りきる業者たち

人がたくさん集まる場所には必ずビジネスチャンスが生まれる。インフルエンサーに億の目が集まる空間はおこぼれも絶大だ。件のアルゴリズム化されたタイムラインには先に挙げた人たちの他に業者の宣伝投稿も盛んに流れてくる。

マーク・ザッカーバーグは10億人集まるまでは広告を入れないと言ったが、ユーザ的にはすでに広告を見ているも同然だ。どこの馬の骨とも知れない人々のキラキラ投稿に、商機を見込んでやってきた業者のギラギラ投稿が幾重にも押し寄せてきて僕は具合がだんだん悪くなってきた。

人間を集めて好きに喋らせて金を稼ぐのはよほど大変な仕事のようだ。もともとTwitterもうまくは経営していなかったし、他のSNSも短文投稿の分野ではどこも生き残っていない。友達の一日の暮し向きを読み終わった途端にスマホを閉じられたら利益なんて産みようがないので、せっせインフルエンサーや赤の他人の投稿をタイムラインにねじ込んでくるし、中には業者も混ざる。

Threadsもこの基本原則は変えないだろう。常々言われているように我々こそが商品なのであって顧客は将来の広告主なのだ。じきに広告主は一連のタイムラインの挙動を見て、自分たちの広告を出稿するにふさわしい場所か評価を下すことになる。このぶんだと相当な成功を収めそうだ。

Fediverseに現れしワームホール

Threadsの唯一すばらしい点はFediverseに参加するところだ。わざわざ広告や業者の宣伝やインフルエンサーや赤の他人の投稿を見てやる義理はない。Fediverseのどこかに居を構えて、悠然と数多のユーザの中から見たい人を選り抜いてフォローすればいい。

なにもかも僕の嗜好に合わないこのサービスが光り輝いて見えるのは、まさにこの仕組みがあるからに他ならない。Twitterにいるマスユーザや公式アカウントの類がFediverseに直接移住してくれる期待は5年前に捨てた。ある日、Twitterが消えてなくなり、ユーザに自主性を求める従来のFediverseしか選べないとなれば彼らはSNS自体をやめるに違いない。

だが今はThreadsがある。マスユーザと公式アカウントと、口が達者な割に腰が重い愛すべきオタクたちを一手に引き受けてくれるのは巨大資本しかありえない。決して自分からは動こうとしない彼らとて、群れがのそっと傾くやいなや脱兎のごとく駆け出すものだ。ひどい言い方だが僕は彼らが好きなのでフォローしたいと思っている。そのためには、Threadsに頑張ってもらわないといけない。

ThreadsはFediverseの世界に現れたワームホールのようなものだ。Twitterや他の星系に散り散りになった人々を集めて数光年の旅路を省いてくれる。一定の距離を隔てて付き合えるのなら目を灼くキラキラも無害な一等星だ。いつか気まぐれに閉ざされる危険は確かに孕んでいるけれども、MetaがReactの顔をしている方に賭けて僕は一つ乗ることにした。

MetaはわざわざFediverseを宣伝したりはしないだろう。多くのThreadsユーザにとってFediverseは馴染みのない外界であり続ける。僕は別にそれで構わない。近い将来、10億人と疎通さえできれば、その中にはきっと公式アカウントや現実の友人や腰の重いオタクが含まれている。

©2011 辻谷陸王 | Fediverse | Keyoxide | RSS | 小説